あなたは、自分が未熟であることを知っているでしょうか?
多くの人は、自分が未熟であることを知りません。
多くの人が自分が正しいと思っているのです。
残念ながら、自分が正しいという状況など、人生には存在しないのです。
あなたの考えや選択が合理的な割合として相手や何かに勝っていたことはあったかも知れません。
しかしながら、その選択も決して正しいとは言えないのです。
なぜなら、あなたはいつか自分の未熟さに気が付くからです。
その時には有利な選択であったとしても、後には不利な選択となることもあります。
その時には自分が正しくても、後には相手が正しいということもあるのです。
あなたが正しい訳でも、相手が正しい訳でもありません。
どちらも正しく、どちらも間違っているのです。
すべての存在が未熟です。
未熟であるために変化を求められているのです。
すべての人は問題を抱えます。
どのような選択も、必ず問題に向かいます。
それは、その選択がどれだけ正しいと思えても、その中には必ず未熟さが含(ふく)まれているからです。
小さな未熟さも問題として提起されるのです。
白いシャツの小さな染(し)みが問題となるようにです。
あなたは、今のあなたの実力によって出来る限りの未熟さを取り除かなければならないのです。
あなたが未熟さを取り除くためには、成長する必要があります。
変わることがなければ、未熟さを取り除くことはできません。
成長することによって初めて、あなたは未熟さを取り除くことができるのです。
あなたが成長するためには、学ぶ必要があります。
学ぶということは、より良い方法を得るということなのです。
それは、”外”から受け入れなければなりません。
受け入れることがなければ、変わることはありません。
自分の中だけで循環しているのであれば、それ以上を実現することはできないのです。
外から取り入れることによって、それ以上を実現することができるでしょう。
あなたは受け入れなければなりません。
未熟なあなたが自己完結を行ったところで、成長することはできないのです。
多くの人は自分が正しいと思い込んでいます。
その結果、受け入れることができずに反発します。
多くの人は自分が正しいと思い込んでいるために、発情期の雄牛のように熱(いき)り立っているのです。
多くの人は強い欲求に支配されています。
理想の実現に対して荒ぶっているのです。
残念ながら、強過ぎる欲求には理想を実現する力はありません。
それは、強過ぎる欲求によって、それ以上を受け入れることができないからです。
発情期の雄牛を宥(なだ)めることができないように、強い欲求に熱り立っている人を宥めることはできません。
強い欲求によって、自分が正しいと思い込んでいる人には、外から何かを取り入れることはできないのです。
そのような人には、それ以上を受け入れる器がないのです。
何かを受け入れるためには、力が弱まらなければなりません。
力が有り余れば、成長に必要な材料も跳ね除けてしまうでしょう。
多くの人は強欲に熱り立っているのです。
理想を実現するために利己的な状態に陥っているのです。
しかしながら、自分ではそのようには認識してはいません。
それは、自分が正しいと思い込んでいるからです。
正しい自分が、利己的であるはずがないと思うのです。
正しい自分が、成長を否定しているとは思ってはいないのです。
あなたは力を緩めなければなりません。
力を抜いて丁度良いのです。
豊かな人生のためには気迫など必要ではありません。
謙虚(けんきょ)な姿勢を保たなければ、豊かさは得られないのです。
雄牛が常に発情していれば、豊かさを得られるでしょうか?
それは、常に争っているということなのです。
それは、常に雌牛を求めるということなのです。
利益を求めて争うことが、豊かさを導くと思いますか?
多くの人は理想を実現するために強欲を用いて争っています。
自分が正しいなどと思い込んではなりません。
力を抜きましょう。
そして、”外”から受け入れるのです。