あなたは、自分が未熟であることを知っているでしょうか?
	あなたは常に未完成であり、変化し続けなければならないことを知っているでしょうか?
	あなたは決して何かに達してはいません。
	あなたは常に不足しているのです。
	一つの未熟さを克服すれば、別の未熟さを目の当たりにします。
	何かを完成させたと思うと、未完成の部分が見えてきます。
	安定を手に入れたと思えば、すぐに変化の必要を迫られます。
	満足したと思えば、すぐに不足が目に付くのです。
	あなたは未熟です。
	他のすべての人も未熟です。
	すべての人が変化を必要とし、すべての人が何かに達している訳ではないのです。
	そのため、あなたがあれこれと画策する必要はありません。
	あなたの目論見(もくろみ)は、必ず問題を引き起こします。
	未熟な者の方法は、世界に矛盾を生じさせるのです。
	多くの人は自分が未熟だと認めません。
	中には、自分が未熟だと知らない人もいるのです。
	自分が完成しており、変化する必要がないと考えるのは傲慢(ごうまん)です。
	そのような思い上がりこそが未熟さなのです。
	人生を思い通りに進めようと考えている人が多過ぎます。
	理想に反する状況に対して反発し、抵抗する人が多いのです。
	結果は状況に導かれます。
	あなたの受け取る状況こそが、あなたの現状を教えているのです。
	理想に反する状況が導かれたのであれば、そのような現状を所有しているということなのです。
	多くの人は理想を追い求める余り、結果を気にしています。
	結果がどうなろうとも気にする必要はないのです。
	それは、あなたにはどうすることもできないからです。
	あなたは自らの現状を受け取るだけです。
	未熟な者は未熟な状況を受け取りますが、それで良いのです。
	理想を追い求める余り、先回りして結果を画策しますが、その思惑(おもわく)は外れるのです。
	あなたは思いためらうことなく決断し、行動すれば良いのです。
	あれこれと画策したところで実力以上の状況を導くことはできません。
	あなたが実力以上の状況を求めているのであれば、実力を知らなければなりません。
	そして、実力(未熟さ)を受け入れなければならないのです。
	多くの人は、自らの実力を受け入れることなく、理想を得ようとしているのです。
	しかしながら、そのような理想が実現することはありません。
	因果の仕組みが、あなたに相応しい状況のみを導くからです。
	あなたに相応しくない状況など、決して導かれはしないのです。
	多くの人が考え過ぎています。
	余計なことばかりを考えているのです。
	あなたにできることは観察することです。
	そして、そこから発見することだけなのです。
	それ以上のことはできません。
	あなたは目の前に導かれる状況から、自分の実力を発見するのです。
	そうすれば、次の選択は自然と決まっているでしょう。
	観察し、自分を発見すれば、他に何かをする必要はないのです。
	あなたの画策はすべて失敗に終わります。
	例え状況が思惑通りに進んだとしても、後にそれに相応しい代償(だいしょう)を求められるでしょう。
	どのように賢く画策しても、それは未熟さの中の振る舞いに過ぎません。
	あなたよりも賢い理(ことわり)が、この世界には存在しているのです。
	あなたは自分が未熟であることを知っているでしょうか?
	見当が外れているのであれば、結果も外れているのです。
	あれこれと考える必要はありません。
	損得を勘定するものではありません。
	未熟な者の算段は歪んでいます。
	損を得と思い、得を損と思うでしょう。
	あなたには判断することができません。
	とにかく行動し、どのような結果でも受け取ってみましょう。
	理想の結果などを求めてはなりません。
	結果など、どのようなものでも良いのです。
	
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