人は、独りで生きるものではありません。
人は、独りで学ぶものではありません。
人は、独りで死ぬものではないのです。
しかし、人は独りで生きなければなりません。
人は独りで学ばなければなりません。
そして、独りで死ななければならないのです。
人は独りではなく、独りなのです。
あなたの人生は、他者のために存在していますが、それは自分のために存在しています。
あなたは他者のために行為しますが、それは自分のための行為なのです。
人生には、利他と利己が存在しているのです。
それは、陰陽のように避けることのできない理(ことわり)なのです。
人は利他と利己を抱えているのです。
人にとっては、どちらも大切なものです。
どちらかを重視し、どちらかを軽視して良いというものではありません。
あなたは、利他と利己のどちらも大切にしなければならないのです。
この世界においては、あなたは利己の割合を多くしなければなりません。
それは、この人生があなたの学びだからです。
あなたが他者を助けるためには、成長しなければなりません。
力のある者でなければ、他者を助けることはできないのです。
しかしながら、利己の割合を多くした者は、功(いさお)を自分のものにしたいと考えます。
利己の強化によって、功を手にすることを当然の権利だと考えるのです。
人は弱さを抱えています。
それは、恐怖を教えます。
多くの人は恐怖に従うことによって、功を独占(どくせん)しようと試みます。
しかしながら、その企みはあなたに乏しさを導くでしょう。
どのような功も、あなた独りで成し遂げたものではありません。
しかしながら、あなたが独りで成し遂げたという側面もあるために、誤解するのです。
例え、1から10までを独りで成し遂げたと(思い込んでいると)しても、あなたは独りではそれを成し遂げていないのです。
10を取れば、あなたの手元には8しか残りません。
それは、理によって2を与えなければならないからです。
しかし、7を取れば、2を与えられます。
そうすれば、あなたの手元には9が残ることになるのです。
強欲に従って多くを取れば、少なく蓄えることになるでしょう。
謙虚に従って少なく取れば、多くを蓄えることができるのです。
人生において学ぶべきは、謙虚であることです。
あなたの強欲が、あなたを苦しめているのです。
傲慢(ごうまん)も怠惰(たいだ)も、強欲の現れです。
利己に傾く者はそのように振る舞うでしょう。
勤勉や勤労は、謙虚の現れです。
利他に傾く者はそのように振る舞うのです。
強欲な者は自分の立場を理解しません。
それが、傲慢や怠惰という愚行を導くのです。
謙虚な者は自分の立場にある程度の理解を示すでしょう。
それが勤勉や勤労という知恵を導くのです。
自分を知る者は、自分の行為を知るでしょう。
しかし、自分を知らない者は自分の行為を知ることもないのです。
多くを取る者は少なく受け、少なく取る者は多く受けるでしょう。
恐怖に急(せ)き立てられて、多くを取ってはなりません。
あなたは少なく集めるのです。
知恵は、あなたに少なく集めることを教えるでしょう。
強欲は、あなたに多く集めることを教えます。
その行為がどちらの教えによって導かれたのかを考えましょう。
そして、それを人生のバランスを取るために利用しましょう。
多く集めることも、少なく集めることも大切です。
しかし、時を見誤ってはなりません。
すべてには時があるのです。
あなたは自分の時を見極め、利他と利己の割合を決めましょう。
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