あなたの心が最も強く念じていることが状況に実現します。
	世界は心の現れに過ぎません。
	あなたの体験は、抱える念に過ぎないのです。
	念とは、今に有る思いです。
	それは、心を支配している思いなのです。
	人は心に従って思考し、心に従って行動します。
	この世界には因果の仕組みが存在しているために、行為という原因は、状況という結果を導くのです。
	あなたが心に念じていることが、あなたの体験する現状なのです。
	しかしながら、多くの人は状況と心の繋がりを理解することができません。
	自らの体験が、念によって導かれているということを受け入れることができないのです。
	それは、弱いからです。
	受け入れる度量が無いのです。
	多くの人は、自らの体験を他人のせいにします。
	苦悩の原因を他人に探します。
	幸福の原因をも他人に探しているのです。
	誰かによって問題が引き起こされていると考えています。
	そして、誰かによって幸福が得られていると考えているのです。
	幸不幸は、他人によって決められていると錯覚しているのです。
	あなたは敵意の相手によって苦しんでいるのでしょうか?
	好意の相手によって喜んでいるのでしょうか?
	答えは単純です。
	敵意の相手も、好意の相手も変わります。
	敵意の相手は誰でも良く、好意の相手も誰でも良いのです。
	ただ、そのような認識があるだけなのです。
	あなたは念によって導かれる状況を体験しているに過ぎないのです。
	あなたは、今、心に抱えている思いを体験します。
	それは、心を知るためです。
	心を知ることによって、あなたは自分の現状を知ることができるのです。
	自分の現状を知ることによって、どう変化するか?を知ることができるのです。
	多くの人は方向性を求めています。
	どう生きるべきか?
	どう在るべきか?
	多くの人はその答えを求めているのです。
	あなたがどう生きるべきか?どう在るべきか?は、目の前に導かれる状況を体験することによって理解することができるでしょう。
	あなたはすべての状況から、心の現状を教えられています。
	あなたは心地好く過ごせば良いのです。
	何事においても、気分が晴れていれば良いのです。
	心を汚さなければ良いのです。
	穏やかな心持ちであることが大切です。
	多くの人は状況に対して穏やかに過ごせてはいません。
	それを苦悩と認識しているのであれば分かり易いでしょう。
	苦悩を認識した時、あなたは不安や怒りによって心を乱しているのです。
	しかしながら、理解しなければならないのは、幸福と認識している場合です。
	多くの人は幸福を体験している時、穏やかな心持ちであると考えています。
	しかしながら、大抵の場合、それは偽りの穏やかさに過ぎないのです。
	例えば、それが他人によってもたらされる幸福であるのならば、好意の相手が別の誰かに傷付けられたり、好意の相手からの裏切り(だと思う行為)に会った途端に、穏やかな心は乱れます。
	幸福だと思い込んでいたものが崩壊する時の方が、苦悩によって導かれる心の乱れよりも大きな乱れを生じるのです。
	人の念は、期待から大きく外れる結果を受け取る時に強化されるのです。
	あなたが他人に苦悩や幸福を依存しているのであれば、その期待は簡単に崩れ去るでしょう。
	それは、あなたに強く歪んだ念を抱かせるのです。
	あなたは次に、強く歪んだ念の現れである状況を受け取ることになるでしょう。
	念が歪む程、人の考えは歪むのです。
	あなたの念が歪む程、他人に対する依存心は強くなるのです。
	あなたは、状況が念に過ぎないということを理解しましょう。
	他人や自分以外の何かが原因ではありません。
	すべてはあなたの思い込みに過ぎないのです。
	あなたが苦しみを念じているために苦悩を受けます。
	あなたが喜びを念じているために幸福を受けるのです。
	ただ、それだけです。
	あなたは恐れている状況を拒絶するでしょうが、その強い念が懸念を実現するということに気が付かなければなりません。
	心の有り形を変えましょう。
	
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