あなたは、自尊心を大切にしなければなりません。
	あなたは、自らの品位を軽んじてはならないのです。
	人は気高く生きるべきなのです。
	それは、周囲を気にして生きることや、自己顕示欲に執着して生きるということではありません。
	誰かに気に入られるためでも、誰かに良い顔を見せるためでもありません。
	あなたは自分のために崇高な生き方を選ばなければならないのです。
	あなたは自分でどう有るのかを決めることができます。
	人生には選択が許されているのです。
	あなたは気高く生きることを選ぶこともできますし、下劣に生きることを選ぶこともできるのです。
	どうするかは自分次第です。
	誰かや何かに決められるものではありません。
	例えば、あなたの親兄弟は、あなたの品性には関係ありません。
	例えば、あなたの属する環境や状況も、あなたの品性には関係ないのです。
	どのような生まれであり、どのような暮らしを得ようとも、気高く生きることはできるのです。
	どのような生まれを得て、どのように暮らしても、下劣に生きることもできるのです。
	他人や何かを言い訳にしてはならないのです。
	あなたが高貴であろうと、下劣であろうとも、それはあなたの責任なのです。
	人は選択によってどう有るかを決めることができるのです。
	気高く生きる者には分別があるでしょう。
	下劣に生きる者には分別がありません。
	気高く生きる者は思慮深(しりょぶか)く、恥を知るのです。
	下劣に生きる者は思慮に乏しく、厚かましく生きるでしょう。
	気高く生きる者には賞賛(しょうさん)が与えられ、友人として歓迎(かんげい)されるでしょう。
	下劣に生きる者には批判が与えられ、盗人として追い返されるのです。
	言っておきますが、豊かさを得るのは気高く生きる者だけです。
	下劣を選ぶ者には乏しさが導かれるでしょう。
	それは、盗人の乾きが潤うことはないからです。
	盗人は満ち足りることを知りません。
	欲望に底がないために、その者は盗人となるのです。
	欲し続けることによって、乾きが潤うことはないのです。
	欲望を愛する者は、欲望に満たされることはありません。
	気高く生きるということは、欲望を愛さないということなのです。
	高貴な人は克己(こっき)を愛しているのです。
	気高く生きる者の克己(心)が満たされることはありません。
	それは、更に磨かれた自分を導くのです。
	盗人は不義を働いても自覚がありません。
	自らの盗みが不義であるということを知らないのです。
	盗人はその不義によって盗んだものよりも多くを奪われますが、盗んだものが多過ぎて、何を奪われたのかさえ知ることはできません。
	盗人は、自分が何をしているのかを知りません。
	自分が何を得て、何を失ったのかも知らないのです。
	この世界には因果の仕組みが働いています。
	この理(ことわり)から逃れられる者はいません。
	すべての原因が結果に結び付くのです。
	その原因を生み出すのはあなたです。
	あなたの選択が結果を導くのです。
	気高く生きる者は豊かさを避けることはできません。
	気高く生きるという選択は、人生の豊かさとして導かれるからです。
	下劣に生きる者は乏しさを避けることはできません。
	下劣に生きるという選択は、人生の乏しさとして導かれるのです。
	どのような者も、自らの因果を離れることはできません。
	高貴な人は必ず豊かになり、必ず幸福を受けます。
	盗人は必ず乏しくなり、必ず苦悩を受けるのです。
	高貴な人は可能性を手にし、盗人は可能性を失うでしょう。
	どのように生きるのも、あなたの自由です。
	人生はどのような経験も許されます。
	どちらが正しいということではありません。
	ただ、覚悟を以て責任と向き合わなければならないのです。
	人生はあなたの選択に従って展開しているだけであるのに、それに文句を吐く者が多いのです。
	どのような状況を得ようとも、それに悔やんではなりません。
	すべては、あなたの選択が導く学びの成果なのです。
	あなたはそれを大切にしましょう。
	
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