人生は成長という目的のために存在しています。
あなたがどのような道を生きようとも、その目的は成長にあるのです。
それは、心の成長です。
すべては、あなたの成長のために行われる経験なのです。
すべてがあなたの成長に繋がっています。
何一つとして、成長に関係しない経験はありません。
それがどのような経験であれ、あなたの成長の礎(いしずえ)となるということを知らなければなりません。
多くの人は、人生の目的を見失います。
目の前の経験が何のために存在しているのかを見失うのです。
あなたは、その経験が何のために存在しているかを自覚していますか?
思い通りにいかない経験を受け取る時、あなたは心を乱すでしょう。
それは、その経験が何のために存在してるかを見失っているためです。
見失った目的は、再び見出さなければなりません。
人生は、あなたが目的を思い出すまで、それに関わる経験を導くでしょう。
すべてはあなたの成長のために行われます。
あなたが聞く耳を持たなければ、人生はあなたに躓(つまず)きを与えるでしょう。
それは、あなたが聞くようになるためであり、聞けるようになるためです。
あなたが見る目を養わなければ、人生はあなたを立ち止まらせるでしょう。
それは、あなたが見るようになるためであり、見えるようになるためです。
あなたが理解することがなければ、人生はあなたの計画の腰を折るでしょう。
それは、あなたが受け入れるようになるためです。
愚かな者は、人生の行為の本質に気が付きません。
人生があなたを見限ることはありません。
どこまでも、あなたに尽くすのです。
そのため、あなたが気が付くまで経験は続きます。
聞く耳を持たなければ、聞くようになるまで、聞けるようになるまで躓かせます。
見る目を養わなければ、見るようになるまで、見えるようになるまで立ち止まらせます。
そして、理解することがなければ、受け入れるようになるまで腰を折り続けるのです。
多くの人はその本意を理解しないために、そこに苦悩を導くのです。
人生に対して苦悩を以て反応しているのです。
残念ながら、あなたの常識は通用しません。
あなたの価値観が正しい訳ではないのです。
例えば、他人を以て、あなたの常識を否定し、あなたの価値観の歪みを指摘します。
あなたは他人によって苦悩するでしょう。
それは、他人があなたに行為しているのではありません。
他人を通じて人生が行為しているのです。
人生は、あなたの反応を引き出すことに専念します。
あなたが恐れているものを利用するのです。
あなたが最も心に掛け、最も嫌うものを使って揺さぶります。
そのため、あなたは苦悩から逃れることはできません。
多くの人は苦悩から逃れることが幸福だと思い込んでいますが、苦悩の原因は心にあるために、それから逃れることは不可能なのです。
人生の目的を考えなければなりません。
人生の目的を見失ってはならないのです。
人生を考える時、あなたは全体を観るでしょう。
人生を見失っている時、あなたは個体を見ているのです。
個体を以て理解を得ることはできません。
全体を観ていないために、聞く耳を持てないのです。
全体を観ていないために、見る目が養われないのです。
全体を観ていないために、理解することができないのです。
目の前の経験は”小さなこと”です。
それは、細分化された人生の断片に過ぎません。
多くの人は断片を見て、それを人生だと思い込むのです。
別々に置かれた車の部品を指して、それを車だと言えるでしょうか?
それは、ハンドルやタイヤであり、車ではないのです。
人生の断片を切り取って、それを人生だと思い込んではなりません。
人生とは、全体なのです。
死を迎えてもいないのに、どうして人生を評価することができるのでしょうか?
あなたは全体を観てはいないのです。
もしも、人生を評価したいのであれば、死後にそれをすれば良いでしょう。
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