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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年1月19日木曜日

真っ直ぐ

あなたは、人生という道を歩まなければなりません。
それは、成長のためです。
人は、人生を歩むことによって様々な経験を積み、成長することができるのです。
成長とは喜びです。
あなたが求めている幸福という状態は、成長の最中(さなか)に存在している一瞬の煌(きら)めきなのです。
成長を手放した途端に幸福の煌めきは失われます。
そのため、あなたが幸福を感じていたいと願うのであれば、成長を続けなければならないのです。
成長にも様々な形がありますが、変化することが成長と理解すれば良いでしょう。
それがどのような変化であろうとも、変化することが成長なのです。
変化することなく、停滞することによっては、決して成長という状態は導かれません。
多くの人は理想とは懸(か)け離れた変化を不幸だと考えています。
しかしながら、あなたが成長した暁(あかつき)には、その変化が不幸などではなく、初めから幸福であったことを知るのです。
どのような変化も幸福です。
不幸は停滞の最中に存在している沈黙なのです。
あなたは変化を受け入れる必要があるということを覚えておきましょう。
変化を受け入れる者は歩みを進めることができるでしょう。
しかしながら、歩むことにはリスクを伴います。
それは、歩むことによって状態が変わるからです。
変化を得るということは、同時に問題を得るということをあなたは知っているでしょう。
多くの人は、新たな問題を抱えることを恐れているのです。
しかしながら、成長にとって問題は欠かすことのできない要素です。
問題が存在しなければ、成長も存在しません。
問題とは成長の原因なのです。
成長とは問題の結果であるということを覚えておかなければならないでしょう。
すべての人は偏見を所有しています。
人は、度量(どりょう)によって世界を見ているのです。
度量によって世界に反応しているのです。
すべての人の度量が未熟な状態です。
そのために、偏見を避けることはできないのです。
偏見とは、偏った見方です。
それは、人の視点(価値観)を固定します。
多くの人は、人生を歩む時にその歪んだ度量に相応しく偏って見ています。
例えば、強い野心を抱えて生きる者がいます。
そのような者は上を見て歩みます。
例えば、強い卑屈(ひくつ)を抱えて生きる者がいます。
そのような者は下を見て歩みます。
すべての人が上か下を見ながら歩んでいるのです。
そうすれば、どちらか一方に偏った視界を得ることになるでしょう。
上を見て歩く者は何かに躓(つまず)き、下を見て歩く者は何かに頭を打ち付けるのです。
偏見は多くの問題を引き起こすでしょう。
それは、あなたに成長の機会を導きます。
あなたは偏見によって問題と向き合うでしょう。
多くの人はそれを否定しますが、人生の目的に従うのであれば、それで良いのです。
あなたが偏見から生じた問題を体験して成長した暁には、視点は偏見の少ないものになるでしょう。
上を見ていた者は下を見て、下を見ていた者は上を見るでしょう。
そうすることによって、あなたは真っ直ぐに見ることができるようになるのです。
真っ直ぐに見るということは、素直に見るということです。
それは、上でもなく、下でもありません。
真っ直ぐに見ることによって、上下を同時に見ることができるのです。
真っ直ぐを見て歩む者には大きな問題が起きません。
真っ直ぐに見る者は足元の問題と、頭上の苦悩を事前に知ることによって、それを避けられないと知っても受け入れることが出来るからです。
問題は受け入れることによって問題としての形を失います。
躓くことを知っていたのであれば、躓くことを問題とはしないでしょう。
頭を打ち付けることを知っていたとしても同じことです。
偏見を捨てて真っ直ぐ素直に見るのであれば、人生には問題が生じないのです。
あなたは、上を見ることを離れなければなりません。
下を見ることからも離れましょう。
真っ直ぐに歩み、すべてを受け入れましょう。
受け入れることが変化です。
否定は変化を実現しません。
真っ直ぐに歩む者が、豊かな人生を生きるでしょう。

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