すべての人は理想を追い求めています。
	すべての人が理想を実現したいと考えているのです。
	理想とは、結果です。
	多くの人の考える理想には、多くの不純物が混じっているのです。
	しかしながら、そのことには気が付きません。
	自分の追い求めている理想は、純粋なものだと思い込んでいるのです。
	多くの人は利己的な結果を求めているのです。
	しかしながら、大抵の場合、その動機がどこから出たのかを考えることはありません。
	すべての結果は、それに相応しい原因によって導き出されています。
	原因が存在しなければ、どのような結果も導き出されることがないのです。
	多くの人は結果を求めますが、原因は求めません。
	そのため、追い求める理想が実現することはないのです。
	多くの人は自分が何をしているのかを知りません。
	自分が何者であるのかも知らないのだから、自分が何をしているのかも知らないのです。
	そのため、求めている結果に相応しい原因がどのようなものであるのかも知らないのです。
	人が結果の原因を理解することはできないでしょう。
	それは、人が自分を理解することがないからです。
	それは、自分というものが役割によって変わり続けているためです。
	多くの人は自分というものが役割を決めていると考えていることでしょう。
	しかしながら、実際には役割によって自分が決まるのです。
	多くの人が周囲の他者や環境に影響され、誘導(ゆうどう)されているように、役割によって自分というものの形を決めているのです。
	あなたは、本当に自分の意思によって何かを選択しているでしょうか?
	考察しなければなりません。
	大抵の人の選択(行為)は、自分以外の要因によって決められているものなのです。
	他者の選択を参考にしていることに気が付いているでしょうか?
	尊敬する他者の選択であれば、あなたは喜んで真似をすることでしょう。
	軽蔑する他者の選択であれば、それを拒絶するでしょう。
	多数派の意見を重視し、少数派の意見を軽視するでしょう。
	多数派の意見であれば安心することができます。
	しかしながら、少数派の意見では安心することができないのです。
	人は、他者の影響を受けているのです。
	環境によっても、あなたは自分を変えるでしょう。
	農村では農村に馴染み、都市では都市に馴染むでしょう。
	役割の中で自分を貫くことは困難です。
	子であれば、子であることを自分とし、親であれば、親であることを自分とするのです。
	多くの人の考える自分とは、その程度のものなのです。
	多くの人が自分で選択していると考えていますが、実際には自分以外の要因によって選ばされているのです。
	多くの人が理想を追い求めても、それを実現することができないのはそのためです。
	人は、自分以外の何かに影響を受けています。
	しかしながら、その影響を許しているのは自分なのです。
	誰かや何か、そしてあなたが悪いという訳ではありません。
	陽が照らし、風が吹き、雨が降り、雷が鳴り、雪が積もる。
	人の行く道には、必ず抵抗が存在しているのです。
	あなたは独りで道を進みますが、自分以外の要因があなたに自分を教えます。
	他者はあなたに自分を教えているのです。
	あなたの追い求める理想は、あなたの本当の理想ではありません。
	目の前に導き出される現実(結果)こそが、本当のあなたの追い求めた本当の理想なのです。
	様々なものに影響されている自分は自分ではないのです。
	あなたの理想は様々なものに影響されています。
	あなたが自分を誤解しているように、理想をも誤解しているのです。
	追い求める理想が実現しないことが自然です。
	寧(むし)ろ、追い求める理想が実現することは問題なのです。
	それは、不純物の混じった理想であるからです。
	純粋な理想とは、目の前の現実です。
	目の前に導かれる現実にこそ価値があるのです。
	現実を否定し、偽りの理想を追い求めてはなりません。
	自分の追い求める利己的な理想ではなく、本当のあなたの導く理想の現実を受け入れましょう。
	
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