人生とは、それぞれの人の学びです。
人生とは、それを生きる人のものなのです。
あなたの人生はあなただけのものです。
他者の人生は他者だけのものです。
あなたは他者の人生を生きることはできず、他者があなたの人生を生きることはできません。
あなたが他者の人生に介入することはできず、他者があなたの人生に介入することはできません。
誰も、他者の人生を創造することはできないのです。
しかしながら、人は他者の人生を生きようと考えます。
他者の人生に介入しようと試みるのです。
多くの人は、自分と他者の人生を混同して考えています。
多くの人は、他者の人生に介入しては余計な世話をやくのです。
多くの人は善意によって、ある人は悪意によって、またある人は無意識の内に、他者の人生に介入します。
そして、他者の人生を掻き乱すのです。
しかしながら、本人にはそのような自覚はありません。
多くの場合、人は貢献したと思い込んでいるのです。
どのような善意も、他者の学びを歪める行為として結果を結びます。
他者は学ばなければならないのです。
それがどのような問題であれ、それを苦しむ必要があるのです。
多くの人は善意によって、他者を自分のように考えます。
そして、善意によって、自分を助けるように他者を助けるのです。
苦しんでいる人を助けることは大切です。
しかしながら、本質を見失うのは問題です。
あなたは、その人がなぜ苦しんでいるのか?を考えなければならないのです。
それを考えないために、無作法に他者の人生に介入するのです。
その人が苦しんでいるのであれば、苦しむ必要があるのです。
それは、苦しみを生み出す原因を抱えているということだからです。
その人は、自らの抱えている苦しみの原因を認識する必要があるのです。
そうでなければ、それを取り除いてやったところで、同じ結果に行き着くだけだからです。
稼ぎ方を知らない者に資産を分け与えても、資産を食い潰すだけなのです。
そのような者には、稼ぎ方を教えることが最善です。
同情によって資産を分け与える方法で介入するのであれば、問題と苦しみを増長するだけなのです。
その人が苦しまなければ学ぶことができないにも関わらず、同情によってその学びを乱してはならないということなのです。
種火を乱せば、火は燃えません。
燃焼しなければ、力は使えないのです。
力の無い人の人生は、乏しさに苦悩するだけのものとなるのです。
あなたは豊かさを享受(きょうじゅ)するために生まれたのです。
豊かな人生を生きることが求められているのです。
種火を丁寧に扱い、大きな炎に育てなければなりません。
他者の人生に介入しようと試みることは、他者の種火を乱すことに繋がります。
実際には、他者の人生に介入することはできません。
そのため、他者の人生に介入しようと試みる間に、自らの人生の種火が消えてしまうということなのです。
あなたが努めなければならないのは、自分のことです。
自分の人生も豊かなものにする力が無いのに、どうして他者の人生を豊かなものにすることができるのでしょうか?
あなたの種火が大きく燃えているのであれば、他者はそれに見習うこともできるでしょう。
他者の人生に割り込むことをやめましょう。
親子だろうと、兄弟だろうと、夫婦だろうと、友人だろうと、関係の無いことです。
他者の学びを邪魔してはならないのです。
歪んだ善意を振り翳(かざ)すのをやめましょう。
自分と他者を混同する者は、豊かな人生を築いていません。
自分に誇(ほこ)れるものが無いために、他者に介入するのです。
乏しく生きる者は不足します。
そのため、他者から奪う必要があるのです。
豊かに生きる者は満ち足りています。
そのため、他者から奪う必要がないのです。
他者の人生に介入するということは、他者の学びを奪う行為なのです。
例え、相手が助けを求めても、相手のことを考えて行動しなければなりません。
相手が安全に学べる(苦しめる)ように導くのです。
それ以上のことをしてはなりません。
余計な手出しをしてはなりません。
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