あなたは、自分を貫(つらぬ)かなければなりません。
自分が決めた道を、行けるところまで突き進みましょう。
あなたには、自分を、自分の道を貫く必要があります。
それは、あなたはこの世界に一人しかいないからです。
あなたには、あなただけの役割が与えられているのです。
あなたはそれを果たさなければなりません。
ただし、役割を果たすということは、大層なことではありません。
あなたが自分の役割を果たすということは、何よりも簡単なことなのです。
それは、あなたが自然であれば良いだけだからです。
あなたが自然であることと、不自然であることは、どちらが容易いでしょうか?
多くの人は、不自然であることが容易いと考えています。
そのため、多くの人は不自然な自分を演じているのです。
多くの人が他人や環境によって用意された不自然な自分を演じています。
それをいつの間にかに自分の役割だと思い込んでいるのです。
多くの人が用意された役割を選びます。
それは、選択する必要がないからです。
与えられた道を進んでいけば、選択の苦労が無いからです。
多くの人は、与えられたものを飲み込んでいるに過ぎません。
自分で選んだものを食している訳ではないのです。
自分で選ぶことには、選択の苦労が付きまといます。
自分で選ぶということは、多数の意見に追随(ついずい)することはできません。
それは、新雪を歩むようなものです。
それは、勇気を必要とするのです。
しかしながら、自分で道を作るのであれば、それがあなたの自然なのです。
誰かの決めた道では、あなたは不自然を得るのです。
誰かの役割を代わりに担うことはできません。
あなたには、誰かの代わりは務まらないのです。
それは大きさが違うからです。
大きさが違う歯車には、その役割を果たすことができないのです。
あなたはあなたです。
あなたはあなたで然(しか)るべきなのです。
誰かには成れないのです。
あなたが誰かを目指すのであれば、その道は不自然です。
あなたはあなたには成れないでしょう。
他のところに組み込まれた歯車は、決して満足な仕事ができないのです。
あなたが自然を手放す時、それは、自分の役割を手放す時なのです。
あなたが役割を手放す時、それは、自分の人生を手放す時だと心得ましょう。
あなたは自分の道を行かなければなりません。
自然の中にこそ、生命力は存在するのです。
不自然な環境には、生命力は存在しません。
そこにあるのは傀儡(くぐつ)と化した屍(しかばね)なのです。
あなたは、自分を貫かなければなりません。
自分を貫くということは、頑固に我を通すということではありません。
自分の決めた道を進むために、変化し続けるということなのです。
形は変わっても、役割は変わりません。
歯車の形は変わっても、役割を果たすことはできるのです。
自分の人生を生きなければなりません。
これは、他の誰のものでもないのです。
これは、あなただけに託(たく)された役割です。
あなた以外には担うことができないのです。
自分を偽るのはやめましょう。
矛盾を抱えてはなりません。
矛盾を矛盾で穴埋めしようとしてはなりません。
道のために生き、道のために死ぬのです。
自分を貫かなければ道はありません。
道を貫かなければ人生はないのです。
不自然であることは多くの苦悩を導くでしょう。
しかし、自然であることでは、多くの感謝を導くでしょう。
好きな方を選びましょう。
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