このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年2月26日日曜日

自分がどう思うか?

人生とは、それぞれの大切な経験です。
人は、それぞれの人生を経験しなければならないのです。
人生の目的は、それぞれに違っています。
誰一人として、同じ目的のために人生を経験している者は存在しないのです。
これはあなたの人生です。
親兄弟であろうとも、あなたの人生には関係しないのです。
誰であろうとも、あなたの人生を生きることはできません。
この世界において、あなたの人生を生きることができるのは、あなただけなのです。
他の誰もが、あなたの人生を生きることを許されないのです。
そのため、あなたは自分で決めなければなりません。
あなたは自分で、どう生きるのか?を決める必要があるのです。
あなたの人生の決定権は、あなたにだけ任されているのです。
あなたは自分でどう生きるのか?を決めなければならないということを覚えておきましょう。
他者がどう思うか?よりも、自分がどう思うか?ということの方が重要なのです。
多くの人は、それが自分の人生であるにもかかわらず、他者の顔色を伺(うかが)い、その決定権を譲渡(じょうと)することを厭(いと)いません。
多くの人は、自らの人生に、関係の無い他者を押し入らせているのです。
他者があなたの人生の決定を許されているのであれば、それも価値を生むでしょう。
しかしながら、他者があなたの人生に介入したところで、他者には何の権限も与えられはしないのです。
寧(むし)ろ、他者は、あなたの人生に介入することによってリスクを負うことになるのです。
それは、他者の権限を奪い、自らの人生を放棄するという行為に繋がるからです。
良かれと思い行われることであっても、それが最善の結果を導くとは限りません。
他者の人生に介入するということは、大きなリスクを伴うということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは他者の人生に介入し、それを導こうなどと考えてはなりません。
すべての人生は、その人の必要な経験に向かって進んでいるのです。
他者の介入は、例えそれが善意であろうとも、その人の必要な経験を奪う行為となるのです。
それは、他者を助けるどころか、他者を苦しめるという結果を導くのです。
どのような他者も、自分の人生の通りすがりの人に過ぎません。
母であろうが、父であろうが同じことです。
人生という観点で見れば、すべての人は他者なのです。
多くの人は他者の顔色を伺います。
特に、家族の顔色を伺うのです。
他者がどのように思おうとも、あなたには関係のないことです。
あなたは、自分がどう思うか?と考えましょう。
周囲の他者が反対しても、自分がそれを行いたいと思えば、行うように尽力すれば良いのです。
周囲の他者が賛成しても、自分がそれを行いたくないと思えば、行わないように尽力するのです。
人生には正解は存在しません。
模範(もはん)など、どこにも存在しないのです。
あなたはあなただけの人生を生きなければなりません。
あなたの人生は、前代未聞なのです。
前例が無いということを知りましょう。
そのため、自分で決定する以外に方法はないのです。
誰かに頼っても、前例が無いために答えることができないのです。
誰かに決めてもらおうとしても無駄なことです。
そこには苦しみ以外の結果は導かれないからです。
すべての人が、自分の人生を経験しなければなりません。
人生の目的とは、自分を経験することなのです。
そのため、他者がどのように思うか?ということなど、何の価値もないのです。
人生に価値のあるものといえば、自分がどう思うか?ということだけなのです。
ただし、自分勝手に振る舞えということでも、他者の気持ちを蔑(ないがし)ろにして良いということでもありません。
あなたが自分で決めたのであれば、他者が介入する隙(すき)はないということなのです。
あなたが自分で決めたのであれば、他者の顔色を伺うことも、他者を頼ることもないでしょう。
そうすれば、他者があなたを心配し、好意によって人生に介入することもなくなるでしょう。
あなたが自分で決めたのであれば、他者と争うことはなくなるのです。
人生とは、それぞれの大切な経験です。
人生の目的はそれぞれに違っています。
自分がどう思うか?
どう生きたいか?ということを大切にしましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿