あなたは、あなたの人生を生きています。
他者は自分の人生を生きているのです。
あなたはあなたの人生を懸命に生きなければならず、他者は他者の人生を懸命に生きる必要があるのです。
他者がどのような選択をしようとも、あなたには関係の無いことです。
あなたは、他の誰の人生の責任も抱えてはいないのです。
あなたはあなたの人生に責任を抱え、他者は自分の人生に責任を抱えるのです。
あなたが他者の人生に介入したところで、何も変えることはできません。
あなたが他者を救おうと考えたとしても、それは実現しないのです。
あなたが他者のためにしてやれることなど何もないのです。
あなたにできることといえば、自分の人生を懸命に生きることだけなのです。
あなたにできることは、自らを磨くことです。
他者を磨くことはできません。
多くの人は他者を磨くことができると考えていますが、それは不可能です。
あなたの”手”は、他者には届かないからです。
親族であろうとも、その”手”は他者に届きません。
すべての人が、自分の”手”で自分を磨いているのです。
あなたは誰も変えることができません。
あなたは誰も救うことなどできないのです。
そのため、あなたは他者を磨こうとしてはなりません。
あなたが磨くことができるのは、自分だけだからです。
あなたは自分を磨きましょう。
他者の言動に抗う必要はありません。
他者は自らの言動によって、自分の人生を築いているのです。
因果の仕組みが存在します。
あなたが他者を裁くことはできません。
他者もあなたを裁くことはできないのです。
許すのです。
あなたが他者の言動に未熟さや嫌悪を感じたとしても、それは他者の選択なのです。
そして、それをどのように感じるのかは、あなたの選択なのです。
他者は、それが最善だとして選択したのです。
あなたには、他者の人生の最善の選択を知ることはできません。
それは、他者があなたの最善の選択を知ることができないようにです。
何が正しいのかを判断することはできません。
あなたには正しく思えても、相手には正しくはないのです。
あなたの”手”は、他者の人生には届きません。
他者を磨こうとする努力を手放しましょう。
抗えば、争うことになるのです。
それは、本来の意図に反する結果を導くことになるのです。
他者を磨こうと考えるのであれば、余計な手出しをしないことです。
他者は、他者の最善を受け取っているのです。
あなたからどのように見えても構わないのです。
他者の人生は、他者に任せるのです。
この世界においては、選択したすべての行為が許されています。
許されているために、選択することができるのです。
あなたの小さく歪んだ視界では、最善を見極めることができないのです。
自分のことも分からないのに、どうして他者のことが分かるのでしょうか?
あなたには何も見極められません。
目の前に導かれる状況こそが、最善であるのです。
しかしながら、それは理想とは懸け離れたものでしょう。
多くの人は理想を最善だと誤解しているのです。
他者を裁いてはなりません。
そして、他者があなたを裁くことはできないのです。
安心して許しましょう。
そうすれば、理(ことわり)こそが最善の裁きを下すでしょう。
理は、あなたの想像を超えた方法によって最善を導きます。
抗ってはなりません。
許しましょう。
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