すべての存在は、貢献するために生まれました。
すべての存在が、この世界に貢献する力を所有しています。
すべての存在が、この世界に貢献することができるのです。
あなたも、貢献するために生まれたのです。
あなたは貢献するための能力を所有しています。
それがどのような能力であろうとも、それによって、あなたは世界に貢献することができるのです。
この世界には、役に立たないものは存在しません。
種子は力の無い形ですが、鳥の餌となることができます。
芽は微力ながら、虫の腹を満たすのです。
枝葉は小力(こじから)ながら、動物の屋根となるでしょう。
花は大力(だいりき)であり、人の心を洗います。
果実は怪力であり、命を支えます。
大樹は神力(じんりき)であり、すべての命を生かすのです。
どのような存在であろうとも、何かしらの形で貢献することができます。
この世界には貢献の場所が常に与えられているのです。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
多くの人は、自らが貢献するために生まれたことを知らないでいるのです。
多くの人が、我欲を満たすことにとどまります。
誤解してはなりませんが、あなたは自らの能力を育まなければなりません。
それは、自分のことに懸命でなければならないのです。
種子は種子のままではなりません。
芽は芽のままでも、枝葉は枝葉のままでもならないのです。
種子は大樹となる必要があるということを覚えておきましょう。
多くの人は、我欲を満たすことを目的としています。
自己犠牲の精神を美徳と解釈している者もいますが、その自己満足はあなたの足枷(あしかせ)となるのです。
自己の成長を忘れるということは、種子が大樹と成ることを忘れることに等しいからです。
自力を得ない者には、貢献することなどできないのです。
ただし、この世界においては、すべての理想が実現する訳ではありません。
種子は必ずしも大樹と成る必要はありません。
どの段階であっても、貢献して死んでいけば良いのです。
しかしながら、大樹となる努力を欠かしてはならないのです。
大樹にも様々な形があります。
大樹とは、貢献の度合いが大きいということです。
それは、多くの人に支持されるということだけではありません。
多くの人に支持される偽善者であれば、少数に支持される善者(ぜんしゃ)の方が貢献の度合いは大きいのです。
それぞれの貢献の形は異なりますが、あなたは自らの考える善行によって、貢献するように努めましょう。
あなたの考える善行が、世間の認識と異なっていても構いません。
この世界には、陰と陽のどちらも大切なものだからです。
あなたの考える善行が陰であろうと、陽であろうとも、その能力を磨き、大樹と成れば、大きく貢献することができるのです。
苦い果実を生む大樹も、甘い果実を生む大樹も大切なのです。
あなたが全力を尽くした結果、誰かから批判を受けようとも構いません。
その行為が後に悪行だと気付いても、それで構わないのです。
悪行には悪行の貢献の仕方があり、善行には善行の貢献の仕方があります。
それに、善悪は時代によって異なるのです。
あなたは自らの持って生まれた能力を育てましょう。
自分を偽るということは、能力を偽るということです。
これは、自分勝手に理想を追い求めろというのではありません。
理想は必ずしも最善ではないからです。
あなたはただ、持てる力を発揮するように努めるだけで良いのです。
持てる力を出し惜しめば、却(かえ)って力を失うことになるでしょう。
それは、持てる力によって最善を尽くすことこそが、貢献する方法だからです。
あなたは常に未熟です。
あなたの貢献の度合は、いつまでも満足のいくものではないのです。
あなたの貢献の度合は常に不足しているということを覚えておきましょう。
それは、あなたには可能性があるということなのです。
種子は大樹となった方が貢献の度合を増します。
大樹からは、無数の種子が取れるからです。
持てる力を出し惜しんではなりません。
少しでも成長し、少しでも貢献することができるように、自らの能力を磨きましょう。
能力を使わなければ、磨くことはできません。
能力は使う程に、力を増すのです。
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