一度決めたら、真っ直ぐに進まなければなりません。
	あなたは道を逸れることなく進むのです。
	どのような結果を得ようとも、例えそれが理想とは違っていても、それで良いのです。
	人生において重要なことは、どうするか?ではなく、どうなったか?ということです。
	それは、あなたが無知であるからです。
	あなたは自分が何者であるのかを知りません。
	それは、何が最善であり、何が幸福であり、何が豊かさであるかを知らないということなのです。
	知らないということは、知る必要があります。
	知らなければ、何が豊かさであり、何が幸福であり、何が最善であり、自分が何者であるのかを知ることができないからです。
	あなたは理想の結果を得る必要はありません。
	それは、歪んだ願望の求める歪んだ結果に過ぎないからです。
	理想の結果を得るということは、不自然な結果を得るということです。
	不自然な結果が、あなたに自分が何者であるのかを教えることはないのです。
	それは、不自然であるからです。
	あなたの本質は自然です。
	それは、在るが儘(まま)の自分なのです。
	在るが儘とは、目の前の現実のことです。
	どのような結果を得ようとも、それが在るが儘の自分なのです。
	人は、在るが儘の自分であれば良いのです。
	そして、在るが儘の人生を生きれば良いのです。
	しかしながら、未熟さは我が儘を求めているのです。
	我が儘な自分が、我が儘な人生を生きることを美徳と考えてるのです。
	多くの人は、自分の決めた道を真っ直ぐに進むことはできません。
	それは、どのような道を進んでも、決して理想通りにはいかないからです。
	我が儘な理想が実現する道はありません。
	実現するのは在るが儘の現実なのです。
	現実に抗(あらが)い、理想を追い求めるのであれば、あなたは自分を失っていくでしょう。
	理想を追い求めるということは、現実逃避であるからです。
	多くの人は理想を追い求め、どうするか?を考えます。
	どうするか?という思考は、我が儘を離れることができません。
	それは、自分独りで考えているようなものなのです。
	狭い見解によって、あなたは知ることができるでしょうか?
	あなたが知るためには、広い見解による見識が必要なのです。
	あなたが知るためには、学ばなければなりません。
	学ぶということは、受け入れるということです。
	自分独りの考えでは学べません。
	自分独りで考えるだけであれば、何も変わりはしないのです。
	理想とは異なる結果を受け入れることによって初めて、あなたは何かを学ぶことができるのです。
	人生が、あなたに見識を教えているのです。
	あなたが見識を身に付けるためには、真っ直ぐに進まなければなりません。
	真っ直ぐに進んだ者だけが、理想とは異なる結果を受け取ることができるのです。
	真っ直ぐに進んだ者が辿り着くのは理想ではありません。
	真っ直ぐに進んだ者が辿り着くのは現実なのです。
	理想は幻想であり、現実は本質です。
	あなたが知らないことでも、人生は知っているのです。
	誰も知らないことでも、人生は知っているのです。
	あなたは人生から学ぶことができるのです。
	人生こそが、最高の指導者であるということを知らなければならないでしょう。
	多くの人は最高の指導者を前にして、その教えを拒絶します。
	多くの人が人生に不安を抱き、不満を吐くのです。
	そして、道を逸れるのです。
	道を真っ直ぐに進める者は少ないのです。
	それは、人生を信じることができないからです。
	在るが儘を信じることができず、我が儘を信じているのです。
	すべてを知ってる人生よりも、何も知らない己(歪んだ自分)を信じようというのです。
	あなたが”本当のこと”を知りたければ、真っ直ぐに進んでみましょう。
	絶対に理想通りには進みません。
	それでも”本当のこと”を知りたければ、真っ直ぐに進みましょう。
	
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