あなたは、道を突き進めば良いでしょう。
道を進める所まで進むのです。
しかしながら、道には様々な困難が存在します。
あなたは必ず、その困難と出会うでしょう。
困難は大きな問題として現れます。
問題は大きな障壁(しょうへき)となり、あなたから道を隠すでしょう。
問題という障壁に囲まれたあなたは、行く当てを見失い、孤独を感じ、苦悩に落ち込むでしょう。
孤独の中では、誰にも声は届きません。
そして、誰からの声も届かないのです。
そこにあるのは、己と真だけです。
己とは、自らの内に存在する破滅的な心(人格)です。
それは、道を諦めることによって、あなた(己)を守ろうとします。
己に従えば、道は途絶えるでしょう。
真とは、自らの内に存在する建設的な心(人格)です。
それは、道を突き進むことによって、あなた(真)を守ろうとするのです。
己も真も、あなたを守ろうと努めています。
どちらが敵で、どちらが味方であるということではありません。
どちらもあなたを守ろうと必死なのです。
己も真も、あなたに最良の選択を進めているのです。
どちらを選ぼうとも、決して悪い方法はありません。
どちらの方法を用いようとも、道は開けるからです。
己の提案を選択すれば、障壁を諦めることによって道が開けます。
真の提案を選択すれば、障壁を突き進むことによって道が開けるのです。
どのような選択をしようとも、道が途絶えることはありません。
道はどのような状況からでも派生するのです。
どのような選択をしようとも、後悔する必要はありません。
あなたは選択によって生じた道を進めば良いのです。
ただし、決断するのはあなたです。
問題という障壁の中では、己と真以外には誰もいないのです。
忘れてはならないのは、己と真は自分では無いということです。
己とは、弱い自分であり、真とは強い自分なのです。
己と真の比率から言えば、真の方が自分に近いのですが、己を忘れることはできません。
陰と陽の合わさる形を客観する存在こそが本当の自分なのです。
あなたは、己と真を超えた存在です。
陰と陽を見詰(みつ)めている存在があなたなのです。
己に従っても、真に従っても、そこには不自然が導かれます。
障壁は諦めるでも壊すのでもありません。
それを取り込むのです。
問題から逃れることも、問題と争うことも不自然な対応なのです。
多くの人は逃げるか?争うか?という不自然な選択をしているのです。
それでは、どちらの方法を選択しても、豊かさが導かれることはないのです。
自然の選択をしなければ、豊かさは導かれないのです。
自然の選択とは、逃げることでも、争うことでもありません。
受け入れて取り込むことなのです。
障壁を受け入れ、道に取り込めば、一つの景色が生まれるのです。
自然界では、そこに生じる草花が美しいのです。
そこにある岩が美しく、そこにある川が美しいのです。
しかしながら、己と真に頼っている人にとっては、不自然な美しさを求めて草木を植え、岩を並べ、川を引くのです。
それは、美しく見えますが、不自然な美しさに他なりません。
なぜなら、そこには循環が導かれないからです。
不自然の中では、それぞれが別々の目的のために働きます。
不自然な環境は、年を追う毎に乏しさを増していくのです。
自然というものは、己と真に従っている者には理解することができません。
障壁の孤独の中では謀(はかりごと)に頼らず、それを受け入れて取り入れるようにしましょう。
そうすれば、障壁も美しい道となるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿