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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2014年12月31日水曜日

美しい魂

何よりも、魂に価値があるということを理解しましょう。
あなたはどのような理由があろうとも、魂を売ってはなりません。
魂の価値を手放してはならないのです。
魂の価値とは、その美しさにあります。
魂を売るということは、魂を汚すということなのです。
汚れた魂には価値が無いのです。
それは、汚れた心から生じる結果であるのです。
心が汚れるのであれば、人は悪事を企(たくら)むようになります。
悪事を考えるのであれば、悪事を行うのです。
悪事を行うのであれば、人は魂の価値を失うのです。
魂の価値は善事(善行)によって高まります。
人生の目的は魂の成長です。
魂を成長させるためには、善事を積み重ね、良い心を育まなければならないのです。
良い心とは、思いやりのある心のことです。
愛に近いほど良いものであり、価値が高いと理解しましょう。
しかし、多くの人は愛に近いほど価値が高いということを知りません。
そのため、愛からは遠い悪事を企むのです。
愛に近いほど価値があるということ知っているのであれば、悪事を企むことはしません。
それは、誰であっても価値を求めているからです。
悪事を働くことによって得られるのは、表面的な偽の価値です。
悪事によって人を騙すことによっては、多くの財産が得られるでしょう。
他人から財産を騙し取ることによって、悪人は栄えることができるのです。
しかし、あなたは考えなければなりません。
有り余るほどの財産を手に入れたとして、それによって魂が満たされるのでしょうか?
財産によって、魂の情熱が満足するのでしょうか?
悪事を働くことで、本当に幸福が得られるのでしょうか?
多くの人は浅知恵によって選択します。
そして、目の前の利益を貪り、本物の価値を理解することも無いのです。
美しい魂にこそ価値があるということを知るのであれば、何があろうともそれを守ろうとするでしょう。
人は価値を全力で守るのです。
善人であれ、悪人であれ、価値を守ります。
あなたは本物の価値が何であるのかを考えましょう。
その見当が間違っているのであれば、人は苦しみを得ることになるのです。
豊かな人生を求めているのであれば、本物の価値を理解しておく必要があります。
それが毒であると理解するのであれば、飲み込むことは無いでしょう。
しかし、それが薬だと思っているのであれば、毒であろうとも積極的に飲み込むことになるのです。
何が本物の価値であるのかを見極めることが重要であるのです。
あなたは美しい魂にこそ価値があるということを理解しましょう。
人の本質は魂であるのです。
そのことを忘れてはならないのです。
人は生まれ変わるのです。
何度も人生を生きます。
その中で自らを成長させるのです。
その仕組みを受け入れない者は、唯物的な価値を追い求め、そのために魂を売るでしょう。
物を手に入れるために人を騙し、悪銭によって人生を飾るのです。
そのような人生に何の価値があるというのでしょう?
あなたが本当の価値、本当の人生の豊かさや幸福を求めているのであれば、人の本質が魂であるということを覚えておきましょう。
本当に大切なものは目には映らないものであるのです。
強欲に生きたところで、何の喜びがあるのでしょうか?
そこには、恐怖と怒りが溢れ、争いによる消耗が待っているのです。
それが本当に豊かであったり、幸福であるのでしょうか?
あなたは深く考えなければなりません。
どのような理由があろうとも、魂を売ってはなりません。
魂が美しいことが最大の価値です。
常識という名の偏見に捉われた人間には、この考えを理解することは難しいでしょう。
しかし、これを覚えておかなければなりません。
人生の随所(ずいしょ)にこの言葉の答えが隠されています。
大切なものは目には映りません。
注意深く見なければなりません。
魂を磨き、その美しさを高めましょう。

2014年12月30日火曜日

仲良し

仲良くあることは需要なことです。
人は、仲良くあることが大切であるということを知りましょう。
恐怖や怒りに従って、不調和や分裂を生み出してはなりません。
あなたはすべての存在との繋がりに調和を見出さなければならないのです。
「すべては一つ」です。
この世界に繋がりを持たないものは存在しません。
それがどのような性質のものであったとしても、あなたはそれと一つの繋がりの中に生きているのです。
あなたには信じることができないかも知れませんが「すべては一つ」に繋がっているのです。
光は物体を挟んで影と繋がります。
光のある場所には影が生じ、影のある場所には光が生じるのです。
光と影は対極の性質を持ちますが、それ等は一つの関連性(自然法則)によって一つであることは明らかです。
喜びが苦しみを導き、苦しみが喜びを導くように、この世界には「繋がり」というものが存在しているのです。
あなたはこの「繋がり」を理解しなければならないのです。
これは目には映りません。
これは触れることができません。
しかし、これは確実に存在し、ものの在り方を決めているのです。
この世界の目的は誕生です。
そして、滅亡です。
誕生と滅亡は互いに対極の性質を持ちますが、互いが互いを支えているのです。
誕生がなければ滅亡はなく、滅亡がなければ誕生はないのです。
誕生だけを取ることは叶わず、滅亡だけを取ることも叶わないということを理解しなければならないのです。
敵を作り争うこと、憎しみや苦しみの感情に捉われることは間違いです。
それは偏見であり、この「繋がり」を断つことに他ならないのです。
「繋がり」を断つということは、その流れを断つということであり、状況がそれ以上に展開していくことはないのです。
状況の展開は成長や発展を導きます。
それによって、人は幸福を得ることができるのです。
しかし、偏見によって「繋がり」を断ち、状況の展開を妨げるのであれば、成長や発展を実現することはできません。
成長や発展を得ることができなければ、人は幸福を得ることはできないのです。
人は幸福を得るために生きています。
生きる目的は、幸福に根差しているのです。
誰もが幸福を求めているのです。
その幸福とは、成長や発展などの「繋がり」の継続というところにあるのです。
あなたは「繋がり」を継続しなければなりません。
どのような存在とも仲良くあることを努めるのです。
恐怖や怒りによって「繋がり」を断ってはなりません。
愛を以て、思いやりを以て生きるべきなのです。
これは当たり前のことです。
すべての存在が愛と思いやりを以て生きることが自然であるのです。
しかし、多くの人間は、弱さ故にこの当たり前のことすらできていないのが現状であるのです。
仲良くするという当たり前のことを、多くの人は忘れているのです。
簡単に敵を作り、簡単に争ってはなりません。
敵や争いを作り出すことは、決して当たり前のことではないのです。
あなたは、それが不自然な行為であるということに気が付かなければならないのです。
自然界を見る時、個体レベルでは弱肉強食、強者(適者)生存という状態が存在します。
しかし、全体を見る時には、共存共栄という状態が存在していることに気が付くでしょう。
自然は決して争いません。
もしも、自然が争いを信仰しているのであれば、既に自然は滅びているのです。
互いに協力し、支え合っているからこそ、自然は育まれているのです。
自然界は実に仲が良いのです。
あなたは見習わなければなりません。
人が仲良くすることを笑ったり、妨げるような者がいるのであれば、あなたは注意しなければなりません。
あなたを乏しくさせているのは何であるのか?ということを考えなければなりません。
あなたは仲良く生きることを目指しましょう。
そして、それが当たり前だということを理解しましょう。

2014年12月29日月曜日

高尚な闘い

あなたは自分の力によって、人生を切り開かなければなりません。
人生は自力によって築かれるのです。
闘うことをしなければ、そこには苦しみが待つということを理解しましょう。
自分自身の目的を果たすために、人は闘わなければならないのです。
しかし、それは他人や何かと争うということではありません。
闘いとは、(精神的に)高尚なものでなければならないのです。
暴力などの低俗な方法ではないのです。
これは、自分自身を超えていく闘いであるということを覚えておきましょう。
人は弱いものです。
その心には卑屈(ひくつ)が根差しています。
恐怖と怒りにまつわられて、人生の幸福を自ら放棄しているのです。
そして、自分自身の人生の目的を果たすこともなく、不満と不安の中で争い、不調和の中に生きるのです。
あなたはそれが幸せだと思いますか?
自力によって闘うこと、弱い自分自身に打ち克(か)つことがないのであれば、本当の幸せを実現することなどできないのです。
あなたは自分の力によって、人生を切り開かなければなりません。
しかし、それによって傲慢になってはなりません。
あなたは覚えておかなければなりません。
あなたは常に未熟であり、無知であり、愚かな存在であるのです。
人生は一生涯を通じて勉強であり、成長を諦めてはならないのです。
生涯を通じて、人が完成することはありません。
飽くなき興味と向上心を以て進まなければならないのです。
成長に感謝することを忘れてはなりませんが、無力であることも忘れてはならないのです。
人は弱い自分自身に打ち克つために、毎日力を磨かなければならないのです。
怠慢に生きている場合ではありません。
あなたは毎日、己に磨きをかけなければならないのです。
毎日の実践が大切です。
何を育むにしても、それを続けなければなりません。
継続すること無く、何かが磨かれて輝きを放ち、育まれることはないのです。
毎日の積み重ねこそが大切であるということを理解しなければならないでしょう。
努力が必要なのです。
努力の功績なしに、成長は実現しません。
あなたは毎日努めていましょう。
それが生きるということなのです。
為体(ていたらく)ではならないのです。
人生の意味を考えましょう。
少しずつでも積み上げるのであれば、それは大きな力となります。
毎日磨くのであれば、錆(さび)も落ちるのです。
錆が落ちれば、本来の輝きが得られるでしょう。
あなたは自分自身の本来の力を知っていますか?
あなたは自分自身の能力を知っているでしょうか?
残念ながら、あなたは本来の力を使えていません。
人は生きる過程において、本来備わっている力を失っていくのです。
金属が錆に覆われて、その輝きを覆い隠してしまうことと同じなのです。
本来のあなたには、そのような問題など問題とはならないはずなのです。
元来、人生には苦しみというものは存在せず、それを作り出しているのはあなた自身であるのです。
己を磨くことも、力を育むこともなく、欲望や怠慢に根差して生きているために力を失ったのです。
あなたは闘わなければなりません。
志を以て、弱い自分に打ち克たなければならないのです。
あなたは負けてはなりません。
弱い自分は毎日あなたに闘いを挑んでいるのです。
あなたは無意識の内にその闘いに引き込まれています。
そのことを理解しておきましょう。
壊してしまうこと、後退すること、落ちることは簡単です。
しかし、生み出すことや輝きを持続することは難しいのです。
あなたは価値のあるものは難しいということを覚えておきましょう。
そのために、あなたは毎日弱い自分と闘って打ち克つのです。
これは簡単なことではありませんが、価値のあるものだと理解しましょう。
毎日、闘いましょう。
そして、いつの日か、勝利を収めましょう。

2014年12月28日日曜日

家畜の人生

あなたは「普通」に騙されてはなりません。
「普通」を良いものとして、何の疑いも持たずに受け入れてはならないのです。
その「普通」が誰によって、何の目的によって築かれたのか?という理由と、それを信じる根拠を示さなければならないのです。
この世界は悪意によって満たされています。
人の心には弱さがあり、それが恐怖と怒りを導きます。
恐怖と怒りは支配欲を生み出し、人は嘘を吐くようになるのです。
人は弱い心を持つために「普通」という名の偽りによって人を縛り、自らの有利を画策するのです。
あなたは騙されてはなりません。
どのようなことであっても、その本質がどこにあるのか?ということを精査しなければならないのです。
検証も無しに、それが良いものだと受けれてはなりません。
詐欺師は笑顔であなたに有利に思える話をするでしょう。
あなたは利己的な心を刺激され、それによって利益を得られるのだと考えます。
そして、苦しみから解放されると思い込むのです。
しかし、詐欺師の目的は搾取であり、自らの利益であるということを理解しておかなければならないのです。
詐欺師があなたに利益をもたらすことはありません。
詐欺師によっては、あなたは騙される以外の結果は導かれないのです。
そのことを理解しなければならないのです。
あなたの信じている「普通」とはどのようなものですか?
あなたの信仰している常識をこれから疑い、その真偽を確かめなければならないのです。
見た目に騙されてはなりません。
人は弱い存在です。
その心の中には恐怖と怒りを抱えているのです。
常識が人の作ったものであるのならば、その本質はどこにあるのでしょうか?
冷静に、偏見に捉われることなく見極めるのです。
大抵の人は周囲の目を気にします。
それが「普通」であり、周囲の人と違うということは「普通」から離れることになり、それは孤独と考えるのです。
常識を信仰している「普通」の人は、多数決で多い方が正しいと考えています。
多数決で多い方が正しいという、無責任な意見を支持しているのです。
それは、志の欠陥であるのです。
「普通」を正しいと信じる人には、信念がないのです。
それは、自分自身の意思で生きてはいないということなのです。
「普通」という名の規範に従って生かされているのです。
それは家畜であるということを覚えておきましょう。
家畜は、その主人の決めたように生きなければなりません。
家畜には自由が無いのです。
あなたは家畜が幸せだと思いますか?
家畜になりたいと思うでしょうか?
家畜は檻(おり)の中に集団を強制されます。
家畜にとってはそれが「普通」であり、安心さえ覚えるでしょう。
しかし、世界は檻の中だけではないのです。
世界には大空が広がっています。
山脈がそびえ立ち、地平が広がり、大河が走り、大海を形成するのです。
そこには様々な生命と、それ等が織り成すドラマが存在しているのです。
あなたは檻の中が幸せだと思いますか?
「普通」という名の檻は目には見えません。
そして、それを認識することは難しいでしょう。
しかし、確実に存在しているのです。
信念を持たず、志のために生きていないのであれば、残念ながら既に檻の中の家畜です。
しかし、家畜は自分が家畜であるということに気が付きません。
多くの人はこの世界の実相を理解することもなく、無知と恐怖と争いと搾取に支配されて死んでいくのです。
人生が何であるのか?
自分自身が何であるのか?
あなたは知っていますか?
それ等を考えたことがありますか?
それ等を追求したことがあるでしょうか?
大抵の人は「普通」の檻から抜け出すことができないために、この答えには辿り着けません。
あなたは人生において、自分自身にとって、大切に思う者たちにとって、何が本当に大切であるのかを考えなければなりません。

2014年12月27日土曜日

根源

人生の目的は魂の成長です。
魂の成長は、心の成長によって実現します。
心の成長は人格の成長によって実現します。
人格の成長は思考の成長によって実現します。
思考の成長は肉体の成長によって実現します。
人は肉体を育み、思考を育み、人格を育み、心を育み、魂を育まなければならないのです。
すべては魂の成長のためにありますが、それを実現するためには、最も小さなことから始めなければなりません。
大きな目的を始める時には、最も小さなことから始めるのが鉄則です。
この則(のっと)りを無視するのであれば、大きな目的を実現することはできないのです。
人が人生を考える時に、人間とは何であるのか?という最も根源的な疑問に対する答えを考える必要があります。
生物を考える時には遺伝子から、大河を考える時にはその源流を考えなければならないということなのです。
最も根源的であり、最も小さく、最も純粋なものの視点から考えなければなりません。
そうでなければ理解することはできないのです。
人間とは何ですか?
人は肉体を持ち、思考を持ち、人格を持ち、心を持っています。
この事実は誰にとっても明白であり、これを否定することのできる人はいません。
誰もが肉体を持ち、思考を持ち、人格を持ち、心を持っているのです。
そして、そのすべてが魂から生じているのです。
肉体よりも高度な所有物を、人は見ることができません。
即(すなわ)ち、思考も人格も心も魂も、目では捉えることができないのです。
しかし、思考も人格も心も認識することはできます。
人の本質である魂は何度も人生を経験します。
人は何度も生まれ変わるのです。
あなたは思考や人格や心を否定することができますか?
あなたは見たこともないものを信じているのです。
ならば、魂や生まれ変わりについても信じることができるはずなのです。
魂や生まれ変わりを信じることができないというのであれば、思考や人格や心の原因がどこにあるのか?ということを説明しなければなりません。
あなたには、思考や人格や心の原因が説明できますか?
多くの人は説明することができないにも関わらず、それを否定します。
しかし、批判的な人物には具体策がないことを知りましょう。
批判的な人物は、既に可能性を失っています。
無いと決め付けているために批判することになるのです。
批判とは思考の停止です。
批判した時点において、その先はないのです。
そのため、批判的な人物は知恵の向上というものがなく、無知で愚かな人物であるでしょう。
人生の目的は成長なのです。
批判的な人物がこの目的を実現することは決してありません。
自分自身のことですら理解することを否定する者には、人生のことなど分かりようがないのです。
あなたは魂というものが無いと思いますか?
無いというのであれば、その根拠は何ですか?
しかし、それがあるというのであれば、その根拠も示さなければなりません。
あなたが魂を説明するためには、肉体を育み、思考を育み、人格を育み、心を育まなければならないのです。
最も小さなことから始めない者には、最も大きなことを理解することはできないのです。
あなたは人生というものを考えたことがありますか?
あなたは人生という最大の謎を解明したいと思ったことはありませんか?
ただ同じような毎日を生きることは疲れませんか?
何の目的も、夢も志も無いような人生を生きてはなりません。
あなたには確実に死が訪れます。
死を免れる人はいません。
他人は騙せても、自分自身と人生を欺(あざむ)くことはできないのです。
あなたは人生の目的という概念を見失わないようにしておきましょう。
答えを急ぐ必要はありません。
人生の答えは、死ぬまでに見付ければ良いのです。
小さなことを大切にしなければなりません。
しかし、確実に行わなければなりません。

2014年12月26日金曜日

真実

あなたは真実を見極める目を育てなければなりません。
人は盲目ではなりません。
人は無知ではなりません。
人は愚(おろ)かではならないのです。
人には、知らなければならないことがたくさんあります。
何も知らずに生きて、何も知らずに死んではならないのです。
何も知らないのであるなら、そこにどのような意味があるというのでしょう?
何も知らないのであれば、それをやる意味などないのです。
人は理解する必要があるのです。
働いているのであれば、働いている意味を、人生を生きているのであれば、人生の意味を理解する必要があるのです。
すべての人は、なぜそれをしているのか?という疑問に向き合わなければなりません。
その疑問を無視して生きることはできますが、それを無視して進むことはできないのです。
疑問は苦悩として残るでしょう。
ただ生きていることには意味がありません。
盲目で、無知で、愚かに歳を取ったとしても、そこに何の喜びがあるというのでしょう?
意味を知って生きることに喜びがあり、価値があるのです。
その意味がどのようなものであるのか?それは問題ではありません。
生きる意味という目的意識を以て生きるということが重要であるのです。
何のために生きているのかを知らない者が、どうやって充実した人生を築くというのでしょう?
どこへ向かっているのかも分からない者には、どのような道のりを歩めば良いのかも分かりません。
どのように歩めば良いのかも分からず、どこへ辿り着くかも分からないのであれば、そこに喜びは生まれないのです。
途方もない旅路に疲れ果て、苦しむことになるでしょう。
人生は繰り返しではないのです。
生きることは疲れ果てることではありません。
人生とは目的意識に従って、目的地に辿り着く喜びの旅であるのです。
目的意識を持たない者は、どこへ向かっても喜びを得ることはできないでしょう。
目的意識を持つ者は、近くの目的地へ辿り着くだけで喜びを得るのです。
大切なのは距離ではありません。
あなたが大切にしなければならないのは、目的地があるのか?ということなのです。
自分が何をするべきなのか?ということは、自分がどこへ向かうべきなのか?ということによって変わります。
深海を目指すのであれば潜水艇に乗り込まなければならないし、宇宙を目指すのであればロケットに乗り込まなければならないのです。
目的地によって、方法は変わるのです。
潜水艇によって宇宙を旅することはできません。
ロケットによって深海を旅することはできないのです。
これは真実なのです。
しかし、この当たり前の真実ですら、知らずに生きている者がいるのです。
それが、盲目であり、無知であり、愚かな人であるのです。
深海に行きたいのであれば、潜水艇に乗り込む必要があるということを知りましょう。
宇宙に行きたいのであれば、ロケットに乗り込む必要があるということを知らなければならないのです。
人は、このように簡単なことを理解する必要があるでしょう。
あなたは、どこへ辿り着きたいのですか?
あなたの夢は何ですか?
あなたの目的は何ですか?
人生は何のためにあるのでしょうか?
これ等があなたの目的地となります。
しかし、これは容易なことではありません。
世の中には悪意が溢れ、あなたに偽の生き方を教えるからです。
人として、魂として、どのような生き方が正しいのかを見極めることができなければ、偽の生き方に騙されて、目的地を失うのです。
あなたは努力しなければなりません。
常識や既成概念を疑わなければなりません。
当たり前を当たり前としてはならないのです。
それは人(魂)にとっての真実であるのか?ということを見極めなければならないのです。
あなたは真実を見極める目を育てなければなりません。
幸福はそこにあるのです。

2014年12月25日木曜日

人生の目的は、魂の成長にあります。
人は自らの本質である魂を成長させるために人生を生きているのです。
すべての経験が魂の成長の糧(かて)となります。
人生に無駄な経験、無意味な出来事はありません。
すべてが必然であり、大切な学びであるということを理解しましょう。
簡単に言えば、喜びを得ることが成長です。
人はそれを喜ぶことができるほどに成長したと言うことができるのです。
喜びが多いほど、成長したのだと思っておきましょう。
喜びとは、感謝に等しいのです。
喜びに対して、同時に人は感謝することができます。
感謝の気持ちを以て生きることが、人生の目的に沿(そ)った生き方であるということを覚えておきましょう。
物事に対して感謝する人は、謙虚な人です。
そのような人は傲慢(ごうまん)ではありません。
しかし、感謝することができない人は傲慢です。
傲慢であるが故に自分勝手な思想によって利己的な生き方をするのです。
利己的な人は、既に欲望に溺れています。
欲望に溺れるのであれば、人は自己中心的な生き方をしてしまうのです。
自己中心的な生き方をする人は、利益だと思いながら多くの苦しみを拾い集めるでしょう。
欲望に従うことでも、人は感謝の気持ちを以て生きることができます。
しかし、その感謝は利己的なものであるために、破滅的な性質を持っているのです。
互いが愛によって感謝することが求められるのです。
思いやりによって喜ぶことをしなければならないのです。
欲望に溺れる者は、愛によって感謝することも、思いやりによって喜ぶこともありません。
それは、魂の成長とは反対の効果であり、成長を妨げるものであることを理解しましょう。
欲望は罠です。
あなたが人生の目的である、魂の成長を実現し、本当の豊かさと幸福を求めているのであれば、欲望に従ってはなりません。
欲望の罠にかかると、人は利己的な思想に操られます。
利己的な方法によって、誰でも初めは利益を上げることができます。
しかし、利己的な方法によって得られる利益とは、初めだけなのです。
初め、人は利己的な者に騙されるでしょう。
しかし、次からは騙されません。
そして、騙されたことを知った人々は、各々利己的な者に復習を企(くわだ)てます。
他人に迷惑をかけておきながら、他人から迷惑が及ばないということなど有り得ないのです。
この世界は因果の仕組みによって成り立ちます。
自らの行いが、次の状況を決めるのです。
利己的に生きた者には、それ相応の報いがあるのです。
他人を傷付けた者は、同じように他人から傷付けられるでしょう。
真理を軽んじてはなりません。
それは確実にあなたに報いを導くのです。
利己的な思想から人は嘘を吐きます。
利己的な思想から人は盗みを働きます。
利己的な思想から人は争います。
利己的な思想から人は裏切ります。
利己的な思想から人は苦しむのです。
欲望の罠にかかる者は、利己的な思想によって縛られ、結果的には苦しみを受け取ることになるのです。
欲望に根差して生きたところで、良いことなど何一つとしてないのです。
あなたはそのことを覚えておかなければならないのです。
世の中では、欲望の強い者が有利であるという風潮があるでしょう。
欲深い者が得をすると見えるかも知れません。
しかし、それが本当に得なのかを、魂の視点から考えなければならないのです。
他人から騙し取った物で屋敷は飾れても、魂は飾れないのです。
人生の目的は何でしたか?
あなたは魂を美しく飾らなければなりません。
欲望という名の罠にかかってはなりません。
欲望に溺れることなく、歩んで行きましょう。

2014年12月24日水曜日

責任感

責任感を以て生きなければ、人は苦しみの場所に辿り着いてしまうということを知っておきましょう。
人生は選択です。
人は自らの意思によって選択します。
選択することによって原因が導かれ、結果として状況が築かれます。
人は選ばなければなりません。
選ばないという選択も選択であるのです。
どちらにせよ、人は必ず選ばなければならないのです。
自らの選択によって、後に得る状況が変わります。
人は自らの選択によって自らの得る状況を決定していますが、多くの人はそのことを知りません。
人生について深く考察することがないために、その真理に気が付きもしないのです。
多くの人は、何気無く生きているに他ならないのです。
何気無く生きている者には、責任感を理解することができません。
人生について思慮深くない者が責任感を覚えるはずがないのです。
責任感を持たなければ、人は破滅的な選択肢を選ぶようになります。
責任感を持たないために、視点が低くなり、視野が狭まり、利己的な考え方に収まります。
そして、想像力もなく、相手の気持ちやこれからの展開に考えが及ばず、やがては孤立し、苦しみを得ることになるのです。
「わたし」が述べていることは、空想ではありません。
責任感というものを理解することもなく生きている者が多過ぎるのです。
あなたは自分の人生や仕事に責任感を持っていますか?
あなたは自分に任された人生や仕事を全力でこなしていますか?
期待以上の成果を残すために考え、行動しているでしょうか?
自分の力の範囲の及ばないことを避け、力の範囲のことを精一杯に行っているでしょうか?
力の及ばないことに意欲を持ち、他人に迷惑をかけて我欲を通してはいないでしょうか?
あなたは誰かの役に立ち、感謝される人であるでしょうか?
人の責任とは、貢献することです。
貢献することが当たり前のことだと理解しましょう。
当たり前のことをすることが責任を果たすということなのです。
自らの力によって貢献し、他人に感謝されるということが当たり前のことなのです。
あなたは誰に感謝されましたか?
低い視点と狭い視野の中に生きてはなりません。
志もなく、我欲ばかり強くてはならないのです。
自分のことしか考えられないような愚かな人間に成り下がってはなりません。
人は高尚に生きなければならないのです。
責任感を以て生きることが、人を高尚な存在とします。
責任感もなく、甘えて怠(おこた)っているのであれば、その人は低俗な存在となるのです。
レベルを下げることは簡単ですが、それを上げることは大変難しいのです。
そのために、人は絶えず自らを鍛え、高尚を目指していなければならないのです。
細かい所にも気を抜いてはなりません。
小さな綻(ほころ)びから、全体は崩れるのです。
あなたは責任感を以て生きているでしょうか?
自分自身の生き方を省みなければなりません。
人生の目的は何ですか?
あなたは何のために生きているのでしょう?
自分とは何者なのでしょうか?
責任感を以て精一杯に生きている人には、或(あるい)はこの答えに辿り着くことができるでしょう。
しかし、責任感を大切にしない者には、何十年と生きたところで、決して辿り着くことはないのです。
人生の豊かさとは何ですか?
人生の幸福とは何なのでしょう?
これ等の答えも、責任感の中にこそ存在しているのです。
無気力に生きてはなりません。
一つ一つのことの中にも大切な意味があり、学びがあります。
それを一つ一つ丁寧に探しましょう。
怠慢に生きてはなりません。
今日が人生の最後だと思って生きてみましょう。
そうすれば、あなたが責任感を蔑(ないがし)ろにすることはないでしょう。

2014年12月23日火曜日

欲望の網

人生とは、欲望との闘いです。
人は欲望と闘わなければなりません。
そして、その欲望に打ち勝ち、志を果たさなければならないのです。
多くの人は欲望に溺れます。
教育や宗教、政治や情報によって、多くの人は欲望に飲み込まれてしまうのです。
そして、欲望に溺れることが普通であり、常識的な考えだと思わされます。
志を以て生きることや、夢を追いかけて生きること、人が優しさの中で生きること、このような人としての大切な生き方を嘲笑(あざわら)うような風潮までもが確立されようとしているのです。
あなたは志を以て生きていますか?
あなたには夢がありますか?
それ等を実現するために何をしていますか?
あなたは優しく生きているでしょうか?
多くの人が志を掲げることもなく、実現したい夢もなく、恐怖と怒りの中で生きているのが現状なのです。
それは、欲望という心の穴を簡単に埋めてくれる(と思わせる)力があるからなのです。
欲望に突き動かされることによって、人は何かを得ます。
それは、お金であったり、物であったり、地位あったりするでしょう。
しかし、欲望は破滅的な感情が導き出す欲求なのです。
欲望に従って得るものには、苦しみの原因が隠されているのです。
欲望に従えば、利己的な判断となります。
利己的に行うのであれば、そこには犠牲が生まれ、争いが導かれるのです。
争いによって得られるものは苦しみ以外の何ものでもないのです。
争いは苦しみ以外の何も生み出さないのです。
そのために、人は争ってはならないのです。
互いに支え合って、幸福を生み出す必要があるのです。
欲望に従う者が互いに支え合うことはありません。
欲望は利己的な利益を満たそうとする考えでしかないからです。
そのため、欲望に従いながら、幸福を得ようとすることは不可能なのです。
人生の豊かさや幸福を得たいと考えているのであれば、人は欲望を拒絶し、志を以て生きなければならないということなのです。
志を抱き、夢を描き、優しさを大切に生きている人が、争いを生み出すでしょうか?
志を抱くこともなく、夢を描く力もなく、恐怖と怒りに縛られて生きる人こそが、争いを生み出すのです。
あなたはこの事実に気が付かなければなりません。
人は志を抱き、夢を追いかけ、優しく生きなければならないのです。
志を抱いているだけでも不足しています。
夢を描いているだけでも不足しています。
優しいだけでも不足しているのです。
欲望に負けることのない強い心の持ち主でなければならないのです。
人生とは欲望との闘いなのです。
弱い心に従って欲望に飲み込まれるのであれば、人は争いに巻き込まれて苦しみの中に生きるようになるでしょう。
志や夢や優しさの求めるものは、欲望によっては満たされません。
欲望は利己的な考えであり、犠牲が付き物であるからです。
志や夢や優しさの求める欲求とは、協力(利他)的な考えであり、主体的には他人のためのものであり、客体(きゃくたい)的に自分のためになるのです。
志や夢や優しさは、自分のためのものではありません。
人が志や夢や優しさを掲げる時には、自分勝手には考えないのです。
誰かや何かのための使命感として、志や夢や優しさが導き出されるのです。
本当に誰かや何かのために生きることのない者には、志や夢や優しさは導かれません。
もう一度聞きます。
あなたは志を以て生きていますか?
あなたには夢がありますか?
それ等を実現するために何をしていますか?
あなたは優しく生きているでしょうか?
この問いに対してポジティブに答えることができるのであれば、あなたは欲望に飲み込まれずに生きているでしょう。
しかし、この問いに対してポジティブに答えることができないのであれば、欲望に飲み込まれ、争いの中に苦しんでいるでしょう。
人は欲望に打ち勝たなければなりません。
あなたは常に自分の内に存在する利己的な欲望と闘い、それに飲み込まれないように気を付けておきましょう。
志と夢と優しさを以て生きましょう。
人生は素晴らしい世界です。
欲望が複雑に絡み合っていますが、その網に捕われてはなりません。

2014年12月22日月曜日

弱さを中心とした世界

この世の中には悪意が渦巻いています。
それは、人の心に灯された弱さです。
人は弱さに従って、利己的な考えを信仰するようになります。
そして、利己的な考えが煮詰まって悪意となるのです。
この世の中には、弱い人が多いのです。
弱い人の数だけ悪意が存在します。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
この世の中が強く美しいものだけで成り立っていることはありません。
光が存在すれば、闇が伴うように、善意の側には悪意が存在しているのです。
人は無知であり、未熟です。
そのため、人は誰もが弱いのです。
弱い人は利己的に考えます。
そして、更に弱い人が悪意を持つようになるのです。
悪意によって、人は他人を食い物にするようになります。
自己の利益のためには、他人を犠牲にするのです。
かつて、この世の中には奴隷制度が存在しました。
しかし、それは現在も同じなのです。
形を変えているだけであり、より巧妙になったのです。
奴隷とは、人が人を家畜とすることです。
悪意によって、人は人を家畜に貶(おとし)めるのです。
あなたは、人の弱さを理解しなければなりません。
自分自身の弱さ、そして、他人の弱さに気が付く必要があります。
弱い心は、必ず利己的な考えに結び付き、悪意を生み出すようになるのです。
多くの人が悪意によって自己の利益を追求しています。
弱さによって心が汚れ、歪むことによって強欲になった人間がこの世の中には溢れているのです。
弱い人間や強欲な人間が発することは、自己の利益に対する誘導です。
他人を食い物にするために働き掛けるのです。
あなたは食い物にされてはなりません。
悪意に騙され、奴隷となってはならないのです。
あなたは人から出たものを簡単に信用してはなりません。
それが誰であろうとも、その言葉や行いにはどのような意図があるのかを考えなければなりません。
与えられるもの、人から示されるものを、何も考えずに喜んではならないのです。
詐欺師は笑顔で近付き、嘘を楽しそうに話すのです。
詐欺師の話す嘘を、何も考えずに喜んでいてはなりません。
人生を豊かに生きるためには、それがどのような結果に繋がるのか?を考えなければなりません。
何も考えず、ただ与えられるものに喜んでいてはならないのです。
自分自身の意思によってしっかりと見極めなければ、悪意の渦に飲まれ、奴隷として搾取されてしまうのです。
家畜や奴隷としての生き方に満足するのであれば、世の中のついて関心を持つ必要はありません。
自由を手にし、豊かに生きたいと考えるのであれば、世の中について多くの関心を持ち、真実を見極めていきましょう。
悪意の渦に飲まれないことが大切なのです。
悪意の渦に飲まれるということは、悪意の奴隷となることなのです。
あなたは世の中に疑問を持たなければなりません。
人の作る世は、弱さを中心とした世界です。
それは欲望に満ち、悪意が渦巻いているのです。
その事実を覚えておきましょう。
原因は人の弱さにあります。
弱さを克服する必要があるのです。
しかし、これは簡単なことではありません。
弱さとは、最大の敵であるからです。
これに打ち勝つためには、強い心が必要です。
強い心とは、愛と光による信仰です。
あなたは愛と光を信仰しなければなりません。
弱さに屈し、悪意を信仰してはならないのです。
思いやりという強さを忘れずに生きましょう。

2014年12月21日日曜日

潔い人

人は潔(いさぎよ)く生きなければなりません。
潔さを忘れてしまうのであれば、本来の目的をも見失ってしまうでしょう。
人生の目的を理解するためには、潔さが必要であるということを理解しなければならないのです。
多くの人が潔さを忘れています。
すべてが因果の仕組みによって導かれているという事実を知らず、状況を受け入れることができないのです。
苦しみにあっては、それを否定し、そこから逃亡します。
不利なことにあっては、自らを正当化し、言い訳を連ねて認めません。
それ等の行為はすべて、状況という名の結果への冒涜(ぼうとく)であり、真実を歪める行為であるのです。
結果は正しく導かれます。
結果が歪むことは有り得ません。
苦しみや不利な状況が導かれたのであれば、その原因は自分自身にあるということなのです。
その事実を受け入れることなく、自らを正当化することによって否定し続けるのであれば、自分自身の状態を正しく認識することなどできるはずがないのです。
自分自身の状態を正しく理解することなく、状況を正しく理解することはできません。
状況を正しく理解することができないのであれば、人生の目的を理解することなど、できるはずがないのです。
潔さは、状況を受け入れる覚悟です。
覚悟の無い者には、潔さはありません。
潔くなければ、理解は歪むのです。
歪んだ理解は、歪んだ認識を生み出し、それが歪んだ思想をもたらします。
歪んだ思想は、歪んだ選択肢を決定し、因果の仕組みによて、更に歪んだ結果を生み出すのです。
人生が苦しいのは、自分自身の事柄であるのです。
あなたが人生を苦しいと感じているのであれば、潔さを失っているということに気が付きましょう。
因果の仕組みは正しく働きます。
それは絶対です。
あなたがどのように理不尽に感じようとも、それは正しいということを覚えておきましょう。
潔く認めましょう。
潔く受け入れ、潔く諦めるのです。
結果を真摯(しんし)に受け入れることがなければ、必ず問題が生じ、苦しみを得るのです。
それは、因果の仕組みによって明らかであるのです。
特別な方法など存在しません。
因果の仕組みを避ける術など存在しないのです。
自らを正当化し、言い訳によって偽りを積み上げることをやめましょう。
人は清く正しく生きなければなりません。
清く正しい心以外に、価値のあるものなど存在しないのです。
人は未熟な存在です。
人は誰もが無知であり、誰もが愚かなものです。
そのために、多くの失敗を犯し、多くの迷惑をかけるのです。
それが悪いことではないのです。
常識としては、それを悪いことであると考え、あなたに教え込みます。
しかし、人は失敗することが当たり前であるのです。
失敗を認め、次には同じことを繰り返さないということが重要であるのです。
潔く認めることができなければ、同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。
それが幸福だと思いますか?
何とか難を逃れたとしても、再び同じ苦しみが訪れるのです。
それが幸せなのですか?
潔く受け入れなければなりません。
潔く認め、潔く反省し、潔く再出発するのです。
この一連の流れが重要であるということを覚えておかなければならないのです。
多くの人は実の保身を考えているために、潔さを失っています。
それによって、人生の意味や目的が分からない状態に陥っているのです。
失敗を受け入れることがなければ、その失敗を学ぶことができません。
学ぶことができなければ、成長も前進もないということを覚えておかなければならないのです。
人は潔く生きなければなりません。
そして、潔く死ななければならないということを覚えておきましょう。
何かに執着し、依存するような生き方ではなりません。
何を得ても、何を失っても良いのです。
潔く生きるのです。

2014年12月20日土曜日

不可視の存在

人生の目的の一つとしては、心を汚さない生き方というものがあります。
人は魂を成長させるために人生を生きています。
何よりも、魂が成長することが優先され、それ以外のことは重要ではありません。
魂が成長することが最大の目的であるのです。
苦しみや問題というもの自体は重要ではありません。
何を得ようとも、何を失おうとも構わないのです。
そこで魂を成長する必要があるだけです。
魂の成長のためであるなら、苦しみも問題も重要であるのです。
あなたはこの考え方を覚えておかなければなりません。
何よりも、魂を成長させることが重要なのです。
魂は心に繋がっています。
人が魂に触れるためには、心の道を進まなければなりません。
心に触れることによって、間接的に魂に触れることになるのです。
心は魂に通じています。
そのために、人は心を大切に生きていかなければならないのです。
心を意識することなく、大切にしない生き方によっては、魂の成長を実現することはできません。
我が心を意識し、それを大切にする生き方によって、心は美しく育まれ、魂は成長することができるのです。
多くの人は心を蔑(ないがし)ろにした生き方をしています。
心配や不安、恐怖や怒りによって破滅的な感情を生み出し、心を黒く染めているのです。
心は魂に通じています。
心が汚れ、歪むのであれば、魂は成長を妨げられてしまうのです。
これでは、人生の目的を果たすことができません。
人生の目的を果たすことなく、人は満足を得ることはできません。
本当の幸福を感じることはないのです。
あなたは心を大切にする生き方をしなければなりません。
自分自身の心、そして、他人の心、そして、すべての生命の心を大切にしなければならないのです。
言葉が通じなくても、同じ心を持ち、同じ魂を持っているのです。
すべての存在が光によって生み出されたのです。
「すべては一つ」です。
何一つとしても、繋がりを持たないものは存在しないのです。
敵や仲間に別れていますが、そのような表面的なもののために、本当の目的を見失ってはならないのです。
言葉や信念が違うことなど重要ではないのです。
大切なのは、どのような立場を得ようとも、互いに心を汚すことなく生きるということなのです。
恐怖に負けて争ってはなりません。
心を汚すのであれば、人生の目的は果たされないのです。
それでは意味がないのです。
何が大切であるのかを考えましょう。
人の本質は魂です。
あなたは魂であるのです。
魂とは不可視の存在です。
しかし、それは見えないだけで存在するのです。
重要なことは目には映りません。
人の思考や感情、それを司る心、そして、魂というものは、すべて不可視の存在であるのです。
可視世界に捉われてはなりません。
目に映るものだけを信用してはなりません。
認識することのできないものが大半を占めるのがこの世界なのです。
心を汚さないことの重要性に気付く人は少数です。
大抵の人が恐怖に負けて、破滅的な感情によって心を汚し、歪めているのです。
人生の目的の一つである、心を汚さない生き方というものを忘れてはなりません。
心を汚さないというのは、心を美しく育むということです。
心を美しく育むためには、思いやりや優しさなどの建設的な感情を選択するということなのです。
表面的なところに捉われてはなりません。
どのような状況を得ようとも、心を汚してはなりません。
魂を中心として考えましょう。
信じられないかも知れませんが、あなたは魂という不可視の存在なのです。

2014年12月19日金曜日

作られた印象

情報には何等かの意図が存在しています。
大抵の場合、それは深くに隠されています。
本意を表立って見せることは少なく、大抵の場合が深くに潜んでいます。
人は本心を言葉に現しません。
それは、相手を思いやるためや相手を恐れるため、そして、相手を軽蔑するためや相手を陥(おとしい)れるためです。
何等かの意図を持って情報は作られます。
そして、その意図を装うようにして見せ掛けの印象が決まるのです。
詐欺師はあなたを騙そうと考えています。
あなたを騙すためには、笑顔であなたに有利な話をすれば良いでしょう。
あなたは利益を得られると考え、詐欺師の意図にも気付かず、その話を鵜呑みにして、その罠にかかるのです。
あなたは情報の本質を見極め、それに騙されないようにしなければならないのです。
幸福で豊かな人生を手に入れるために、これを実現しなければならないのです。
詐欺師に騙されるのであれば、幸福で豊かな人生を手に入れることはできません。
詐欺師に騙されるのであれば、家畜のように何も知らず、搾取されて捨てられるのです。
人が家畜にならないためには、自らのおかれている状況に気が付かなければならないのです。
何も知らず、待っていれば餌(えさ)を運んでくる相手に尻尾を振り、それを幸福であると信じているのであれば、食べ頃を迎えた時には殺されるのです。
これは、人が動物にしていることと同じです。
無知な動物は、柵の外のことを知りません。
柵の内側の小さな世界がすべてだと思い込(まされる)むのです。
そして、それが幸せなのだと考えるようになります。
しかし、殺される時になって驚愕(きょうがく)しますが、その時には遅いのです。
あなたはどのような人生を求めますか?
あなたは人生の意味を知っていますか?
人生とは何であると考えますか?
あなたの信じているものは、本当に信用することのできるものなのでしょうか?
家畜である動物からすれば、人間の作る仕組みは余りにも大きくて複雑であるために、その目的を理解することすらできません。
人間が家畜を飼育するのは、食べるためです。
売って儲けるためです。
それは事実なのです。
何も知らない無知な人間は、情報によって巧みに騙されて搾取されます。
しかし、そのことには気が付きません。
従順で愚かな家畜は、それでも餌を求めて懇願(こんがん)するのです。
あなたには気が付かなければならないことが多くあります。
真実(真理)に気が付かなければなりません。
無知であっては、救い様がないのです。
人生には自力が必要です。
知恵を育み、力を身に付けなければならないのです。
情報を鵜呑みにし、作られた印象を信じていてはなりません。
その情報が誰によって発信され、誰が作り上げた印象であるのか?ということを知らなければなりません。
詐欺師からの情報であり、印象であるのならば、あなたはそれを信じることができますか?
相手が詐欺師であるのに、従うのでしょうか?
あなたは深く考えなければなりません。
あなたが考えているほど、この世界は浅いものではありません。
あなたは既に情報によって騙され、印象によって捕えられています。
すべての状況が当然の結果です。
すべてが因果の仕組みによって動いているのです。
幸運も不運もないのです。
奇跡も偶然もないのです。
すべてが因果の仕組みによる必然であるということを覚えておきましょう。
人生は自分次第です。
あなたの意思選択によって、それを決めることができます。
情報に疑いを持ち、それを審査しなければなりません。
情報という柵の中から抜け出し、厳しくも素晴らしい自由を手に入れましょう。

2014年12月18日木曜日

人生の審査

すべての問題は無知によって引き起こされます。
問題の原因は無知です。
無知によって間違った方法を選択し、それによって問題という結果が導かれるのです。
問題を解決するためには、無知を克服しなければなりません。
無知を克服することなく、問題が解決することがないということを理解しましょう。
あなたは人生を深く考えなければなりません。
表面的なことが片付いたからといって、問題が解決したということではないのです。
傷口を縫合(ほうごう)したからといって、体内の病を放置しているのであれば、身体は滅びるのです。
見た目に捉われてはなりません。
大切なのは、根本的解決であるのです。
人生は、自らの魂の結果です。
すべての原因は自分自身にあります。
そして、人の本質は魂なのです。
魂は記憶装置です。
魂は幾重もの人生での経験のすべてを記憶しています。
そして、その経験値によって魂を構成しているのです。
魂は成長するために人生を経験しています。
経験によって成長の仕組みを理解しているのです。
人生を生きる魂は未熟です。
未熟であるが故に経験を必要としているのです。
人が無知であることは必至です。
この世に無知でない人はいません。
どのような人物であろうとも、無知を所有しているのです。
あなたはその事実を理解しなければなりません。
決して、自分が完成された人間などと考えてはなりません。
自分には学ぶ必要がないなどと愚かに思ってはならないのです。
人は常に未熟であるために、問題を抱えて苦しんでいるのです。
無知であり、未熟でないのならば、問題を抱えて苦しむ必要などないのです。
あなたが苦しんでいるのは、自分自身の無知が原因であるのです。
自分自身が問題なのであって、誰かや何かが問題なのではないのです。
人は魂の成長のために生きています。
そして、魂はあなたの内に存在しているのです。
そのために、あなたは自分自身を学んでいると言っても過言ではないのです。
表面的なことに惑わされてはなりません。
自分自身の無知が元凶であるということを理解しましょう。
そして、無知を克服することができるように努めましょう。
時間を無駄にしてはなりません。
欲望と快楽に屈し、知恵を磨くことを忘れてはなりません。
方法を知ることがなければ、問題を解決に導くことなどできるはずがないのです。
人生は自らの魂の成長を目的の主としています。
問題は自らの状態(原因)によって解決する必要があるのです。
他人に助けてもらうことによって目の前の問題を解決することができたとしても、自分自身の魂に原因があるために、再び同じ問題が導かれるのです。
問題から逃れることはできません。
どこへ逃げても、原因はあなたの内にあるのです。
どのような方法を用いても、無知を克服することがなければ、問題が解決することなどないのです。
人生の目的を考えましょう。
誰かや何かに問題を解決してもらったとしても、それに安心していてはなりません。
人生があなたに求めているのは自力であるのです。
人生はあなたの成長を求めているのです。
あなたは常に審査されるのです。
人生に問題や苦しみが絶えないのは、あなたを審査した結果としての状況なのです。
問題や苦しみが導かれるのであれば、その審査に合格しなかったということなのです。
あなたはそのことを理解し、覚えておかなければなりません。
すべての問題は自身の無知によって生じます。
誰かや何かのせいにしてはなりません。
本質を見失ってはなりません。
時間を無駄にすることなく、知恵を育みましょう。

2014年12月17日水曜日

現実

あなたは現実に向き合わなければなりません。
現実から目を逸(そ)らせようとする力に従ってはなりません。
現実とは、実相のことです。
真実こそが現実なのです。
真実は隠され、見えているものは偽物です。
本質である真実は、いつも隠されているということを覚えておきましょう。
現実に向き合うということは、真実に向き合うということです。
真実に向き合うということは簡単ではありません。
それは、この世界が真実を隠しているために、それに向き合うためには絶え間ない勇気と努力が必要になるからです。
勇気と努力の無い者には、現実と向き合う機会さえ与えられません。
そのような者は、真実を知ることもなく生きて、何も知らないままに死んでいくのです。
無知が幸福であるはずがないのです。
無知とは不幸です。
あなたは騙され続けて幸せなのですか?
思い込みによって、本当の幸福が得られると思っているのですか?
「おめでたい」人物になってはなりません。
偽物に騙(だま)され、惑わされて現実逃避してはならないのです。
真実を手にすることがなければ、現実に向き合うことはできません。
現実に向き合うことができなければ、世界を変えることはできないのです。
世界とは、即ち人生のことです。
人生を変える必要があります。
あなたは今の人生で満足なのですか?
これから先、今の自分の力で豊かな人生を生きることができると思いますか?
満足しているのであれば、それは本心からのものですか?
十年後も同じことが言えるでしょうか?
人は未熟であり、無知です。
愚かな存在である人は、常に成長を必要としてます。
そのために、人生という場所には学びが絶えないのです。
人は常に学ばなければならないのです。
一つでも多くの真実に辿り着き、それによって現実をより良いものとしなければならないのです。
偽りによって良い世界を築くことなどできません。
それは、偽りからは苦しみしか得られず、幸福は真実の中に隠されているからです。
現実と向き合うことのできない者が、人生の幸福を理解することなど有り得ません。
あなたは人生の意味を知っていますか?
何のために生きているのでしょうか?
自分とは何ものなのですか?
人生の意味を知らない者が、どうして人生の幸福を理解することができるのでしょうか?
人生の意味を知らない者には、人生の幸福は分からないのです。
あなたが人生の意味を知らないのであれば、その幸福は本当の幸福ではないかも知れないのです。
現実に向き合わない者には理解することができないのです。
現実から目を逸らしてはなりません。
人生という名の未来を築くのはあなたの力なのです。
誰かや何かの奴隷(どれい)となってはならないのです。
自分自身で考え、思い、行動し、実現する力を身に付けましょう。
自ら行動しなければ、何も変わりません。
何も変わらなければ幸福は得られません。
あなたは騙されてはなりません。
現実に向き合いましょう。
自らの危機的状況に気付きましょう。
人生とは何であるのか?
このことについて考え続けなければなりません。
考え続けることがなければ理解することもできません。
考え続けなければ視野は狭くなり、視点は低くなるのです。
志を持たない者には、現実を変えることはできません。
現実がより良くならなければ、本当の幸福は得られないということを覚えておきましょう。

2014年12月16日火曜日

情け

あなたは情けの無い人間になってはなりません。
情けとは心です。
人は、心ある存在でなければならないのです。
心とは、魂の結果です。
魂によって心が生まれたのです。
魂とは、愛と光です。
それは人の本質であるのです。
よって、心というのは、愛と光である魂の結果であり、それ自体が愛と光であるのです。
しかし、多くの人はこのことを知らずにいます。
心が愛と光によって生み出されたことを知らないがために、愛と光を軽んじているのです。
愛と光を求め、愛と光のために生きることを見失い、志も無く、夢も目標も無いような情けない生き方をしているのです。
娯楽や快楽に興(きょう)じ、人生の意味や自分自身の本当の姿を知らず、苦しみに対して弱く、敵を作り出して争い、情けない言葉を吐いているのです。
それで良い訳がないのです。
しかし、それがすべてだと思い込んでいるのです。
それは、そう教えられるからです。
常識という名の偏見と悪意によって、人は巧(たく)みに騙されます。
純粋で従順な人は疑うことを知りません。
そのために、与えられることをすべてだと思い込むのです。
そのような人は常識を正義だと考えます。
そして、自らが偏見と悪意の中で暗中模索の状態であることに気が付かないのです。
そして、常識からはみ出さない自分を安心することによって、無知が進行するのです。
無知によって無力が導かれます。
常識に従っている大多数の人が無知であり、無力であるということを覚えておきましょう。
常識に従う人は情けないことを言います。
自分自身でどうにかしようとする気がないのです。
誰かや何かが助けてくれるなどと甘いことを考えているために、無知や無力が進行するのです。
そこから生まれる手段が「暴力」であるということを理解しなければなりません。
心ある人は情けないことを言いません。
心ある人は、愛と光を信念として、強く生きるからです。
心ある人は夢を持つでしょう。
心ある人は勇気を持って立ち上がるでしょう。
心ある人は優しいでしょう。
心ある人は知恵に溢れるでしょう。
心ある人は興味が尽きないでしょう。
心ある人は柔軟に変化するでしょう。
心ある人は向上心を忘れないでしょう。
心ある人は極みに達するでしょう。
心ある人は「人」を残すでしょう。
あなたは心を以て生きなければならないのです。
どのように貧しく、苦しいとしても、心を手放してはならないのです。
また、平和にぼけてはなりません。
油断していると、足をすくわれるのです。
平和だからといって、自らを鍛えることを忘れてはなりません。
精神と肉体と知恵を育まなければならないのです。
知恵の乏しい、情けない生き方をしてはなりません。
真実を求め続けましょう。
生きている意味は何であるのか?
自分自身の正体とは何であるのか?
志と夢を掲げて生きましょう。
人生には苦しみが付き物です。
それは、常識こそが偏見と悪意であるからです。
それを信じている人は苦しみます。
そして、その苦しみによって情けない人となるのです。
情けを忘れてはなりません。
愛と光である、心を失ってはなりません。
苦しみに嘆(なげ)くような情けない人間になってはなりません。

2014年12月15日月曜日

期待を裏切る

あなたは期待を裏切らなければなりません。
あなたは他人の想像を超える存在でなければならないのです。
他人の期待に応えているようではなりません。
他人の想像の範囲内に存在してはならないのです。
あなたは常に他人の期待と想像を超えていましょう。
人生とは、魂の成長のための場所です。
人の本質は光り輝く魂です。
人は常に、そして、死を迎えるまで絶えることなく成長を続けなければならないのです。
成長を止めてはなりません。
成長が止まってしまうと、人は苦しみを受けるようになるのです。
それは、人生の目的に反しているためです。
目的を果たすことがなければ、どのような道においても苦しいということを覚えておきましょう。
人生を生きているのであれば、魂の成長が求められるのです。
あなたがそれを望んでいなくても、魂の成長が求められます。
あなたが親であれば、子どもに勉強を強要するのと同じです。
あなたが親であれば、子どものためを思い、躾(しつけ)や知識の向上を強要するはずです。
しかし、子どもにはその意味や意図が理解できないために、それを嫌がることもあるのです。
成長を求めない人は多くいます。
多くの人が現状維持を大切に思い、成長するために新たなことを始めようとはしません。
新たな道を開拓しなければ、それ以上の刺激と経験は得られないのです。
新たな道を開拓しないのであれば、成長は止まるのです。
あなたが親であるならば、子どもが勉強を放棄しているのであれば、それを許さないはずです。
どうにかして、子どもに知恵を付けてもらいたいと願うのです。
それは、知恵を付けることがなければ幸福を得ることができないということを知っているからです。
人生はあなたの親のような存在です。
人生はあなたの成長を求めているのです。
それはあなたが幸福を手に入れるためなのです。
人が成長するためには知恵を付けなければなりません。
知識であろうが、要領であろうが、力を付ける必要があるのです。
言われたことをどれだけ上手くこなしても、それによって知恵が付くことはありません。
それによって要領を得ることはないのです。
大切なのは自分自身で考えることです。
そして、言われたことよりも良いものを生み出すことなのです。
期待を裏切るというのは、それ以上の結果を以て裏切るということです。
期待よりも劣悪なものであってはならないのです。
より良いものによって裏切ることが重要であるのです。
求められるものよりも、良いものを提供することが大切であるということを覚えておきましょう。
より良いものをもらって喜ばない者はいません。
すべての人が、より良いものを受けることを喜びとしているのです。
そのため、期待よりも良い結果を導くのであれば、必要以上に喜ばれるということを覚えておきましょう。
期待通りや、期待を下回ってはならないのです。
期待通りが差し引きゼロであり、期待を下回ればマイナスなのです。
あなたは常により良いものを生み出すように努めましょう。
実際にできるかどうか?ということは問題ではありません。
常により良いものに挑戦することが重要なのです。
期待に応えてはなりません。
期待通りではなりません。
他人の期待よりも更に良いものを導きましょう。
期待以上の結果を導く者を、人は必ず大切に扱います。
自分の期待を上回る者を蔑(ないがし)ろにする人はいないのです。
あなたはいつも相手のことを思っていましょう。
期待以上の仕事ができないか?と考えましょう。
努力によって、人は成長するのです。
気力もなく、怠慢に生きてはなりません。
より良いものを生み出すのです。
それが大切であるということを覚えておきましょう。

2014年12月14日日曜日

大切な友

あなたは間違えてはなりません。
あなたは騙されてはなりません。
人として、何が正しい道であるのかを考えましょう。
人は、人として正しく生きていかなければなりません。
どのような事情があろうとも、心を、魂を汚してはならないのです。
心を汚してはなりません。
心を歪ませてはなりません。
人は純粋なまま生まれ、純粋なまま生きて、純粋なまま死んでいくのです。
それを正しさとしましょう。
ただし、何も知らずに純粋であるということではありません。
すべてのことを理解した上で、純粋であるのが正しいのです。
そのことを誤解してはなりません。
人は人生に苦しみます。
しかし、間違えてはなりません。
苦しみは大切な友であるのです。
苦しみを嫌う考え方がありますが、それを信じてはなりません。
なぜなら、苦しみはあなたに感謝を教えるからです。
苦しいからこそ、人は希望を見出し、当たり前のことに対しても感謝することができるのです。
苦しみがなければ、人は傲慢(ごうまん)であり、成長する機会がないのです。
苦しみを敵として、それと争う人がいますが、争いから成長が導かれることはないのです。
争いによって、人は後退するということを理解しましょう。
争いを友と考えてはなりません。
多くの人は平然と争います。
それは、争いが友であると考えているからです。
争いによって人は苦しまなければならないということを覚えておきましょう。
しかし、多くの人がこの事実を知りません。
常識という偏見によって、争いによって敵に勝ることによって幸福が得られるなどと、偽の幸福論を教えられているのです。
敵を作る時点において間違っているのです。
苦しみを敵としてはならないのです。
あなたは間違えてはなりません。
あなたは騙されてはなりません。
人間の最大の過ちは、苦しみを敵としているところなのです。
苦しみを敵として争うことによって、苦しみが導かれるのです。
苦しみを友として交友するのであれば、そこには感謝と成長が導かれるのです。
どちらの方法が幸福であるのか?それを考えましょう。
素直に考えれば、どちらが目指すべき道であるのか分かるはずです。
しかし、多くの人は騙されています。
多くの人が偽の方法を信じ込んでいるのです。
苦しみが友であるという真理を知らないのです。
そのような人は何を得ようとも、争いによって苦しみを得るのです。
苦しみが友であるという事実は、偏見を身に付けたあなたには受け入れ難いものであるかも知れません。
「わたし」がいくら真理を説いても、あなたはそれを信じることができないでしょう。
しかし、思い返してみなさい。
過去の苦しみこそが、あなたに真理を教え、感謝の気持ちを芽生えさせたのです。
あなたを成長させたのは苦しみであるのです。
苦しいからこそ多くを学び、苦しいからこそ成長することができたのです。
苦しくなければ怠慢(たいまん)に過ごすでしょう。
人は苦しみによって行動を起こし、多くの経験を得ることができるのです。
あなたに幸福を導く存在が、どうして敵なのでしょうか?
あなたは間違えてはなりません。
あなたは騙されてはなりません。
苦しみこそが愛すべき友です。
苦しみを敵として争ってはなりません。
苦しみに感謝して生きましょう。
苦しみを大切な友として丁寧に扱いましょう。

2014年12月13日土曜日

幸福への旅

迷える人は聞きなさい。
人生には、何が大切であるのかを考えましょう。
最も大切なものが何であるのか?これを考えなければなりません。
人生には選択肢が無数にあります。
余りにも選択肢が多いために、人は迷うのです。
人生というものは選択の連続です。
人はどの瞬間にも選択しなければなりません。
人生に迷っている暇はありません。
時間は十分に与えられていますが、時間は足りないのです。
迷うことは許されていますが、迷い続けることは許されません。
すべての人が選択を強いられます。
人は選択しなければなりません。
すべての人が決断しなければならないのです。
何を選択するのかによって、人生に受け取る結果は変わります。
選択によって結果が変わるために、人は迷うのです。
選択という名の原因によって結果が変わるのです。
裏を返せば、それは選択によって結果を決めることができるということでもあるのです。
目的地へ向かうバスに乗れば、目的地に辿り着くのです。
あなたは人生を自分自身の意思によって決めることができます。
原因が結果に結び付くという因果の仕組みがあるのです。
あなたの選択が人生を決めているのです。
何を選択するのか?ということが重要なのです。
あなたは、人生に欲する結果を導く選択をしなければなりません。
選択が間違っているのであれば、欲する結果を得ることはできません。
欲する結果が得られないというのであれば、人は苦しむことになるのです。
大切なのは、何が幸せであるのか?を知っておくことです。
何が幸せなのか?を知っているのであれば、何が大切であり、何を選択するべきなのかを迷うことなく決めることができるのです。
人生の幸福が何であるのか?人生において何が大切なのか?このことを知っている人が迷うことなどないのです。
人生の選択に迷っている人は、人生の幸福や大切なものを知らないという問題を抱えているのです。
大切なのは、人生は何のためにあるのか?ということです。
人生というものを深く考え、その本質を理解することがなければ、表面的な選択肢によって惑わされ、迷ってしまうのです。
最も大切なものに向かって進めば良いのです。
どうしても、諦めることのできないものが何であるのか?ということを考えましょう。
選択肢を篩(ふるい)にかけ、最期まで残るものが大切なものなのです。
選択に迷った時には、「自分の中で」最も価値のあるものを残せば良いのです。
世間や他人の中で価値のあるものではありません。
「あなたの中で」最も価値のあるものなのです。
それが大切なのです。
人生はあなたのものです。
誰が何と言おうとも、あなたが決めるべきなのです。
あなたは自分自身が思う価値を追いかけて進むのです。
それ以外のことを考慮する必要はありません。
あなたがいなくても大丈夫です。
あなたがいてもいなくても、物事は上手く進んで行きます。
あなたは自分自身の幸福のために人生を選択するのです。
自分自身の幸福を実現することができない人が、他人を幸福にすることができるでしょうか?
自分自身のことも満足にできない人には、他人を助けることなどできるはずがないのです。
あなたは先ず、自分の幸せを考える必要があるのです。
迷いを抱える人は幸福ではありません。
それは、幸福に向かって進んではいないからです。
迷いに捕われることなく進んでいる人は幸福であるのです。
目的地に辿り着くことが幸福なのではありません。
そこに向かう過程も幸福であるのです。
旅行の道中も楽しいはずです。
幸福へ向かう旅は、その道を選択した時点において幸福であるということを覚えておきましょう。
迷うことなく生きましょう。
最も大切なのは何であるのか?ということを見失ってはなりません。



2014年12月12日金曜日

迷路

あなたは理解を深めなければなりません。
理解を深めることが重要です。
何事においても、それをできる限り深く理解するように努めましょう。
理解が浅いのであれば、そこには破滅的な作用が働くことになるのです。
理解が浅いために、誤解が生じます。
理解が浅いために間違い、理解が浅いために、争いが導かれるのです。
理解が浅いことによって、物事は破滅を迎えるようになるのです。
あなたはどのようなことに関しても、その理解を深くするように努めなければなりません。
深く理解することがなければ、決して真実には辿り着くことができません。
真実に辿り着くことができないのであれば、苦しみの迷路を彷徨(さまよ)うようになるのです。
理解を深めることができれば、苦しみの迷路から抜け出すことができるのです。
苦しみから抜け出すためには、目の前のそれが何であるのか?ということを知る必要があるのです。
これが迷路であるということを理解するのであれば、現状を把握することによって落ち着くことができます。
これが迷路であり、出口が存在することを理解しないのであれば、そこには不安と恐怖と怒りを覚えるでしょう。
これが迷路であるということを理解するのであれば、出口に向かうのは簡単です。
壁伝いに歩いていれば良いのです。
迷路の壁は必ず出口へと繋がっています。
遠回りはしても、必ず出口に辿り着くのです。
迷路に迷う者は、迷路の本質を知らないのです。
迷路に対する理解が浅いのです。
壁が出口に繋がっているということを理解しているのであれば、必ず出口に辿り着くために、迷路が問題や苦しみになることはないのです。
これは人生にも同じことが言えるのです。
本来、問題にもならず、苦しみにもならないものに対して、人は苦悩しています。
それは理解が浅いという原因があるからです。
本当は大切なものであるにも関わらず、浅い理解がそれを歪ませて見せているのです。
人生における問題や苦しみは、本当に苦悩に値するものなのでしょうか?
理解が浅いだけであって、理解が深まれば解決するものなのです。
人生における問題や苦しみは、本当は感謝することのできるものであるのです。
過去の問題や苦しみが、現在のあなたの問題や苦しみとなるでしょうか?
現在のあなたであれば、過去の問題や苦しみなどというものは、簡単とはいかなくても、解決に導くことができるはずなのです。
迷路に入り込んだしまった時には、人は冷静さを失っています。
冷静さを失っているために、道が入り組んだ迷路となるのです。
あなたは惑わされてはなりません。
道は常に真っ直ぐ続いています。
それをあなたが複雑に歪ませているのです。
無知が難しく見せるのです。
理解の深まりにより、道は単純に見えてくるようになるのです。
人生は難しいものではありません。
それはとてもシンプルであり、迷い込んで苦しむ必要などないものなのです。
人生は真理によって築かれます。
真理とは、因果の仕組みです。
それは単純であり、正直なものなのです。
真理があなたを騙(だま)すことなどありません。
あなたを迷路に引き摺り込むことなどありはしないのです。
浅い理解による無知こそが、人を苦しめているのだということを理解しなければならないのです。
真理と共に生きる人は苦しみません。
真理に逆い、道を歪める者が苦しむのです。
受け取る状況を受け入れることができない者が、真理と状況を歪めるのです。
苦しい状況を受け取るのであれば、苦しめば良いのです。
それを拒絶するために、真っ直ぐな道は歪んで迷路となるのです。
あなたは受け入れなければなりません。
人生に対する理解が深まるのであれば、問題や苦しみであったとしても受け入れることができるでしょう。
人生が何のためにあるのか?ということに理解が浅い者は、受け入れることができないのです。
子どもは駄駄をこねます。
それは理解が浅いためです。
何が大切であるのかを理解している者がわがままを言う訳がないのです。
あなたは理解を深めなければなりません。
どのようなことでも構いません。
些細なことにでも、それをより深く理解するように努めましょう。
道を進みましょう。

2014年12月11日木曜日

卑怯者

あなたは正しく生きなければなりません。
卑怯(ひきょう)な生き方をしてはなりません。
どのような選択も正正堂堂と、常に清らかでなければならないのです。
嘘を吐いたり、人を騙してはなりません。
あなたはいつの時にも、潔白(けっぱく)でなければならないのです。
この世界には因果の仕組みが存在します。
すべての存在はこれに支配されています。
因果の仕組みに逆らうことのできる者はいません。
すべての存在が因果の仕組みによって、その報いを受けるのです。
因果とは、原因と結果です。
すべての結果には原因が存在します。
原因は相応しい結果を導くのです。
原因が結果に導かれないことなど有り得ないのです。
どのような些細な原因も、それに相応しい結果として実現し、あなたはそれを確実に受け取ることになるのです。
これを拒否することはできません。
あなたがどのように受け取ることを拒み、逃げ続けたとしても、逃げ切れるものではありません。
因果の仕組みは、この世界のすべての場所に存在しているために、それを回避する術はないのです。
抵抗は無駄です。
人は、自らの原因に相応しい結果を受け取るのです。
原因とは自分自身の選択です。
それは意思であり、思考であり、感情であり、言葉であり、行いであり、生き方であるのです。
あなたのすべてがあなたの原因であるのです。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
正しく生きることによって、人は正しい結果を受け取ることができます。
正しく生きることがなければ、正しい結果を受け取ることはできないのです。
嘘を吐き、人を騙(だま)している者には、それに相応しい結果を得ることになります。
それはあらゆる方法によってもたらされるということを覚えておきましょう。
あなたが如何に気を付けていようとも、その報いは必ず訪れるのです。
そして、それから逃れる方法はありません。
卑怯な生き方の代償は、破滅という名の苦しみです。
卑怯な生き方は、因果の仕組みによって破滅を導くのです。
誰かを苦しめるのであれば、自らが苦しむということを覚えておきましょう。
他人を虐(しいた)げることによって、自分が得をすることができると考えているのであれば、その浅はかな考えを恨(うら)みましょう。
他人を虐げることによって何等かの利益を得たとしても、それよりも大きな報いが訪れるのです。
誰かから騙し取るのであれば、それだけマイナスになったということなのです。
どのような方法であれ、受け取ったということはマイナスなのです。
受けたなら、返さなければなりません。
そのため、プラスを求めるのであれば、先立って与える必要があるのです。
卑怯に生きる者には与えることができません。
それは、自己の利益の追求しか考えていないからです。
利己的な欲望によって歪んでしまっているのです。
欲望によって自己の利益を追求する者は、卑怯な生き方をするようになります。
その結果、人を騙すようになるのです。
詐欺師は法によって裁かれます。
そして、罪を背負うのです。
その罪は、苦しみによって返済していかなければならないのです。
あなたは卑怯に生きてはなりません。
小さな利益のために、大きな宝を捨ててはなりません。
目の前の小さな世界に捉われてはなりません。
因果の仕組みを軽んじてはなりません。
誰も逃れることができません。
因果の仕組みは、最も有効な手段によって報いを導きます。
どのような者も、必ず苦しむのです。
卑怯な者は、苦しみによってその生き方を正されるのです。
正正堂堂と生きなければなりません。
尊敬する人に顔向けできる生き方をしましょう。


2014年12月10日水曜日

真実の光

あなたは偽りの世界から抜け出しましょう。
この悪意に満ちた世界から抜け出すのです。
ここには偏見が満ちています。
ここには怒りが溢れています。
ここには無知が蔓延(はびこ)っています。
ここには争いが信じられています。
ここには苦しみがあるのです。
偽りの世界には光が届きません。
光によって照らされることがなければ、何も見えないのです。
見えないのに、見ているつもりになっていてはならないのです。
見えていないのに、正しいと思い込んでいてはならないのです。
偽りの世界から抜け出すことがなければ、人が光を浴びることはないのです。
偽りの世界には光が届きません。
そのため、真実は歪められ、間違ったものが正しいとされ、愚かな者たちはそれを真実だと思い込むのです。
間違ったものを信じて進めば、間違った場所に辿り着くのです。
それは人に苦しみを教えるでしょう。
人は成長するために生まれてきました。
成長するということは、偽りの世界から抜け出し、真実の世界に到達することによって光を得るということなのです。
光は天から降り注ぎます。
天空に太陽が輝いているように、天より光が降り注ぐのです。
偽りの世界は光を隠します。
空に厚い雲がかかっているように太陽を隠すのです。
厚い雲によって光が届かなければ、人は何も見ることができなのです。
光が届かなければ、すべての生命は滅びてしまうのです。
大切なのは光を得ることです。
この世界には悪意が満ちています。
そして、多くの人がその思想によって騙されているのです。
悪気は無くとも、間違った方法によって得られる結果というものは、苦しみであるのです。
どのような意識によって選択しているかなど、何の意味もないのです。
因果の仕組みは、人の感情など考慮しないのです。
正しいことは正しく、間違っていることは間違っているのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
球根は地中に埋もれています。
しかし、そのままでは死を待つのみです。
球根は芽を伸ばして光を受け、花を咲かせて実を付けるのです。
そうやって、生命は続いていくのです。
この世界は偽りが支配しています。
欲望によって突き動かされる愚かな存在によって、世界は偽りとして築かれているのです。
あなたには想像することもできないかもしれません。
世界があまりにも大きいために、認識が及ばないのです。
あなたは騙されてはなりません。
この偽りの世界から抜け出すのです。
そして、真実の世界に辿り着き、そこで天から降る光を得るのです。
それこそが、人が実現しなければならない目的であるのです。
何も知らずに生きてはなりません。
何も知らずに死んではなりません。
努力する必要があるのです。
真実を常に追い求め、偽りを暴かなければならないのです。
悪意を善意と信じてはなりません。
何が正しくて、何が間違っているのかを知っていますか?
あなたは大切な人に対して、どのように伝え残すことができるでしょう?
偽りの世界に生きる者には、大切な人を守る力などないのです。
偏見や怒りや無知や争いや苦しみの中に生きている者に、どうやって大切な人を守ることができるのでしょうか?
人を守るには光が必要です。
真実の光でなければ、大切な人を守ることができないのです。
あなたは信じなければなりません。
しかし、疑わなければなりません。
矛盾していると思うでしょうが、これが重要なのです。
真実を追求しましょう。
この偽りの世界から抜け出さなければなりません。

2014年12月9日火曜日

ぼやけた世界

決め付けは、偏見を生み出します。
偏見とは、隔(へだ)たりです。
ものとものを隔てることによって、そこには違いが生まれます。
ものとものとを違って見ることこそが、偏見なのです。
偏見は対立を導きます。
ものとものとを対極に置き、争わせるのです。
争いから生じるものは破滅です。
争いによってものとものとは衝突を繰り返します。
衝突によって消耗し、消滅するのです。
ものとものとが繁栄するためには、互いが助け合う必要があるのです。
ものとものとが協力し、互いに高め合うことが求められるのです。
偏見によって、ものとものとは争うのです。
偏見を所有することがなければ、ものとものとは互いに助け合うことができるのです。
あなたが繁栄を期待するのであれば、偏見に捉われてはなりません。
豊かで幸福な人生を求めるのであれば、争ってはならないのです。
世間においては、争うことを良いことだという傾向があります。
敵を殺せと教えるのです。
そのおかげで、人は苦しみに縛られるのです。
人が苦しんでいるのは、その根本に偏見があるからです。
偏見によって互いに助け合うことを隠されているのです。
敵を殺せと教えているのは誰ですか?
苦しみを苦しいと教えているのは誰なのでしょう?
あなたは騙されてはなりません。
争いによって利益を得る者がいるのです。
踊らされてはならないのです。
間違った方法は、間違った結果を導きます。
間違った道を進むのであれば、人は間違った場所に辿り着くのです。
人は幸福を得なければなりません。
互いに助け合うことによって、成長しなければなりません。
それが人生の目的であるのです。
成長を果たし、幸福を得ることが正しいのです。
成長することなく、不幸に苦しんでいるのであれば、それは間違っているのです。
間違った方法によって、間違った道を進むのであれば、苦しみを受け取る結果となります。
苦しみによって幸福を覚える人はいないのです。
喜びによって、人は幸福を覚えるのです。
人の本質は魂というものです。
本質である魂が喜ぶことがなければ、人は喜ぶことができないのです。
この世界においての魂とは意識です。
それは目には映らず、触れることができません。
喜びも意識です。
何かに対して喜んでいるのであって、何かが喜びを所有している訳ではないのです。
初めは喜んでいても、次第に喜びは薄れ、消えるのです。
何かが喜びを所有しているのではありません。
喜びとは意識なのです。
偏見によって、喜びは苦しみに変えられています。
あなたは自ら、喜びを手放しているのです。
焦点をずらせば、輪郭が崩れます。
輪郭が崩れるのであれば、ものとものとは一つに交わるのです。
焦点が一点に集中しているために、輪郭ははっきりとしているのです。
偏見とは、どちらか一方に対して、焦点が合っている状態です。
輪郭がはっきりしているために、交わることができないのです。
あなたは決め付けてはなりません。
「ぼやけた」世界に生きましょう。

2014年12月8日月曜日

真価

人生において、最も価値のあるものは何でしょうか?
今のあなたにとって、最も価値のあるものは何ですか?
人生とは、最も価値のあるものが何であるのかを追求していくものでもあります。
人は、価値を追い求め、生きていかなければならないのです。
すべての人は価値観を持っています。
どのような人にも、求める価値があるのです。
どのような人にも、人生における大切なものがあります。
誰にとっても、価値のあるものは大切なのです。
人はいつも、より価値のあるものを求めています。
そして、それを見付けると、手に入れようと努めます。
それが生きているということでしょう。
人は価値観を高めているのです。
人は誰しも、より良いものを求めているということを理解しましょう。
現在のあなたにとって、最も価値のあるものは何ですか?
お金ですか?
物ですか?
家族ですか?
それとも、自分の命ですか?
人によって、価値の設定は様々です。
しかし、すべての人に最も価値のあるものが決められています。
人はそれを失わないように守り、それを得るように努めるのです。
すべての人が自分自身を大切に考えています。
すべての人にとって、自らの命は愛おしいものなのです。
人が偽善を振りかざすことがなければ、自然と自分自身の命が最も価値のあるものだと考えるでしょう。
しかし、本当にそうでしょうか?
命は確かに大切です。
しかし、命を掛けてまで実現したい目的を所有することはできないのでしょうか?
命は大切なものではありますが、それが最も価値のあるものとは限りません。
一部の母は子のために自らが犠牲になることを惜しまないでしょう。
一部の父は家族を守るために死を選ぶのです。
人は大切な目的を達成するために、自分自身の命を省みないということがあるのです。
多くの人は自分自身の命を守ることに努めます。
しかし、それが本当に価値のある生き方なのでしょうか?
命を投げ出してまで達成したい目的を見出すということ以上の価値など存在するのでしょうか?
自らの命よりも重いものは、何よりも重いのではないでしょうか?
あなたは人生の価値について深く考えなければなりません。
あなたの考えている価値は、本当に最も価値のあるものなのでしょうか?
自己を犠牲にしてまで守りたいものは無いのですか?
人が本物の価値に出会う時、自分自身の命のことなど考えることはないのです。
自分自身の命の価値が霞(かす)むほどに、それは価値のあるものなのです。
あなたはそれを探しましょう。
自分自身の命の価値が霞むほどの価値こそが、最も価値のあるものだと言えるでしょう。
その目的のためなら死をも厭(いと)わない。
このように思えるものに出会うことは幸いです。
多くの人は死を恐れます。
それは、死よりも価値のあるものを見出すことができないからです。
死に価値を置く人は、自らの命に価値を置いているのです。
自らの命に価値を置くことのない人は死を恐れません。
死を恐れない人は強いのです。
死を恐れない人は、目的を果たすのです。
死に怯(おび)え、人生の目的を見失ってはなりません。
あなたの人生は何のためにあるのでしょう?
人生において、最も価値のあるものは何でしょうか?
あなたはそれを探し続けなければなりません。


2014年12月7日日曜日

人生の夢

あなたは想像しなければなりません。
自らの欲する喜ばしい未来を想像するのです。
それは人生の目標となり、目的となります。
人は自らの目的に従って生きていくべきなのです。
多くの人は自らの欲する喜ばしい未来を想像する時間を蔑(ないがし)ろにします。
現実的な現状に必死になる余り、喜ばしい未来に対する想像を紡ぐ時間と力を失うのです。
多くの人は夢を持たずに生きているのです。
あなたには夢がありますか?
実現したい目標や目的はありますか?
あなたが夢を持っているというのであれば、それが実現する喜ばしい未来を想像し続けていましょう。
あなたが夢を持たずに生きているというのであれば、それを所有する必要があるということを理解しましょう。
人生は夢に向かって生きていく必要があるのです。
なぜなら、夢を実現していく過程にこそ喜びが溢れ、それによって豊かさや幸福が実現するからです。
夢の無い人生に対しては、残念ながら豊かさや幸福を実現することができません。
これは、夢を持たない人には理解することができません。
そのため、夢を持たなくても豊かで幸福な人生を生きることができるという人がいるでしょうが、残念ながらそんなことはないのです。
夢を実現すること以上の豊かさや幸福など、存在しないということを覚えておきましょう。
それは何ものにも替え難い喜びであるのです。
どれだけの金銭や物品に満たされようとも、夢を実現することによって得られる喜びに勝るものなど存在しないのです。
夢を持たない者、夢を諦めた者は、それ等を手に入れることができないために、金銭や物品に対して価値を見出し、それが如何に素晴らしいかを語るのです。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
あなたは想像しなければなりません。
金銭や物品を余るほど所有して、それが何になるというのでしょう?
人は魂の成長のために生まれ、生きているのです。
金銭や物品も、魂の成長のために使われて初めて価値を成すのです。
それ等を所有しているだけでは、何の価値も無いということに気が付くべきなのです。
金銭や物品が悪いと言っているのではありません。
存在するものはすべてが大切なものです。
しかし、それ等に対する考えが浅はかであったり、歪んでいるのであれば、人生の意義を得ることはできないのです。
魂の成長のために金銭や物品を活用するのであれば構いません。
しかし、それ等を目的としてはならないのです。
あなたは、自らが死を迎えた後に、何を所有しているのかを想像しましょう。
人は死後には魂(霊、心、意識)となります。
魂が所有することができるものにこそ価値があるということです。
経験から得られる喜びや成長こそが、真の価値であるのです。
あなたはそれを求めなければならないのです。
人生は夢を持って生きるべきです。
それは、あなたに目的意識を導きます。
目的意識も無く、ふらふらと生きてはなりません。
信念を持って生きることが重要でしょう。
何のために生きているのか?ということを大切にしなければならないのです。
あなたは目の前の現状に必死になり、金銭や物品を追い求めるだけの人生で良いのですか?
夢を追い求める人生にこそ、ロマンがあるのです。
小さな世界観に止まっていてはなりません。
この世界には、あなたの知らないことが無限に広がっているのです。
この広大な世界の中で、あなたが追い求める夢が無いなどということは有り得ないのです。
騙されてはなりません。
あなたは想像しなければなりません。
自分が楽しく、生き生きと過ごしている日常を。
夢を追い求めるロマンチックな毎日を。
あなたの心が世界を反映します。
あなたの想像以上の人生は決して手に入らないのです。
どのような人生を生きたいのですか?
それが夢なのですよ。
あなたは想像しなければなりません。
ロマンチックな人生を想像しましょう。

2014年12月6日土曜日

それでも上手くいっている

物事は、あなたの認識に関係なく、常に進行を続けています。
すべてはあなたの意思によって導かれた原因を元に、相応しい結果を導くのです。
因果の仕組みはあなたの都合を考慮しません。
なぜなら、あなたにとって最善を理解しているのは真理であって、あなたではないからです。
あなたの都合を基準に考えているのであれば、あなたにとっての最善は満たされることがないのです。
人は未熟です。
未熟な者が考える都合が、成長を得るための最善を満たすのでしょうか?
真理こそが最善を理解し、そのように計らうのです。
真理が導く状況こそが正しいのです。
すべては正しく進んでいます。
すべてが上手くいっているのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
すべての状況があなたに相応しいのです。
何一つとして無駄や無意味はないのです。
一つ一つに深い理由があり、それはあなたの考える都合よりも最善なものであるのです。
真理は常にあなたが成長するために計らいます。
あなたの成長に不利なように動くことはありません。
あなたは常に人生に祝福されているのです。
このことを覚えておかなければなりません。
あなたの知らないところにおいて、人生は確実に動いています。
あなたの思いを叶えるために、人生は最善を尽くしているのです。
上手くいかないと思う状況があります。
しかし、それは本当に上手く進んではいないのでしょうか?
大切なのは、どのような結果を得るのか?ということです。
終末を見る前に判断することができるものなどないのです。
あなたが上手くいかないなどと考えている状況は、終末の途中であるということを理解しなければならないのです。
あなたには理解することができないかも知れません。
しかし、物事は常に最善を導きます。
そして、すべては上手く進んでいるのです。
理由は後から分かることの方が多いために、人は人生に不安を抱き、絶望を覚えます。
しかし、それが結果であるとは限らないのです。
人生は自分次第で何とでもなるのです。
あなたの意思が原因となるのだから、あなたの意思によって良い結果を導くことができるのです。
人生に希望を失ってはなりません。
ため息を吐いて、嫌な気分を生み出してはならないのです。
未来のことなら、今から築くのです。
あなたの現在の意思が未来を築くのです。
どのようなことが起ころうとも、あなたは決して希望を失ってはなりません。
考え込まなくても良いのです。
力んで生きなくても良いのです。
それでも、人生は楽しい場所なのです。
人生の目的は魂の成長です。
このことを覚えておけば良いのです。
魂という意識を成長させるために生きてるのです。
金銭や生活を自慢するために生きてはいないのです。
何を得て、何を失おうとも構わないのです。
魂の成長という人生の目的が果たせるのであれば、それで良いのです。
小さな思考によって苦しんではなりません。
現状がどうあろうとも、そんなことを気にする必要はないのです。
そのような状況から学べることはないかと探すのです。
そのようにしていると、心に余裕が生まれるでしょう。
心に余裕がある人が苦しむことなどないのです。
苦しみとは物ではありません。
苦しみとは意識なのです。
同じ物によって喜ぶ人がいるのです。
あなたは間違えてはなりません。
人生は常に上手く進んでいます。
どのようなことがあろうとも構わないのです。
人生はいつも素晴らしいということを覚えておきましょう。

2014年12月5日金曜日

積み重ね

すべては積み重なります。
何一つとして無駄にはなりません。
何一つとして、忘れられているものはないのです。
すべてが意味を持ち、すべてが影響力を所有しているのです。
すべてに力があります。
どのような小さなことであっても、そこには大きな力があるのです。
あなたはこのことを覚えていなければなりません。
小さなことだと考えるのであれば、あなたは苦しむことになるでしょう。
人間の肉体を形成しているのは小さな細胞の群れです。
無数の群れの中の一つの細胞が悪性の腫瘍(しゅよう)となれば、肉体自体を滅ぼしてしまう可能性もあるのです。
小さなことを蔑(ないがし)ろにはできないのです。
あなたはすべてに意味があるということを理解しなければならないのです。
取るに足らないことであっても、何気ない日常であっても、それが苦しい問題であったとしても、すべてには意味があり、すべてが積み重なっていくのです。
物事が積み重なることによって、一つの形を成します。
それが多くなるほどに力を増し、あなたに与える影響力も大きなものになるのです。
それがあなたにとって脅威となるものであるのならば、あなたはその積み重ねによって苦しむことになるのです。
あなたは未来を見なければなりません。
あなたの現在の積み重ねが、確実に未来にやって来るのです。
現在のあなたが行っていることが、あなたの未来を決定します。
あなたが積み重ねていないことは、どのような理由があろうとも未来には起こりません。
あなたには信じ難いかも知れませんが、あなたが受け取るすべての状況は、あなたが自分自身の行為によって積み重ねた結果であるのです。
人生には当然の結果以外には受け取ることができません。
すべては因果の仕組みによって動いているのです。
原因が存在しなければ、決して結果は導かれないのです。
そのため、幸運や不運などというものは存在しないのです。
すべてが原因の時点によって決定付けられるものであるのです。
すべては積み重なります。
そして、その一つ一つが確実な原因となり、確実な影響力を持っているのです。
それを理解しておかなければなりません。
人は未熟な存在です。
どのような人物であろうとも、未熟なのです。
そのため、愚かに間違えます。
その結果として、何等かの問題と苦しみを受けることになるのです。
しかし、その苦しみによって真理を学び、積み重ねる原因を良いものにしていくのです。
人は経験によって成長します。
成長することによって、苦しみを喜びに変えることができるのです。
あなたは苦しみを受け取るでしょう。
しかし、それで良いのです。
原因が既に決まっている以上、結果を操作することはできません。
ならば、その結果を潔(いさぎよ)く受け入れ、次から積み上げていくものを良いものにしていかなければならないのです。
小さなことの積み重ねによって、あなたは苦しんでいるのです。
小さなことにはそれほどの力があるということを理解しなければならないのです。
あなたを苦しめる力が生み出せるのだから、あなたを幸せにする力も生み出せるのです。
積み重ねるものを良いものにしていくのであれば、あなたは確実に幸福を得ることができるのです。
人生を幸福なものにしたいと考えているのであれば、あなたは思いやりのある行為を積み重ねましょう。
どのような理由があろうとも、愛から離れてはなりません。
思いやりによる行為は、そのすべてが良いものとしての影響力を持つでしょう。
それが積み重なれば、大きな幸せを導く力を持つようになるのです。
良いものを積み重ねなければなりません。
少し行っただけで、それよりも多くを求める愚かな者がいます。
因果は正確な天秤によって守られているのです。
原因の質に対して、それ以上の結果を導くことなどないのです。
奇跡など起こらないのです。
すべては一つ一つの積み重ねです。
何を積み重ねるべきなのかを、深く考えましょう。

2014年12月4日木曜日

主と従

自分に都合の良い世界など、この世には存在しません。
あなたの都合を考えて、世界は動いてはいないのです。
あなたの都合に合わせて、世界が動くことは有り得ません。
この世界は、あなたを一つの役割として考えています。
あなたはこの世の一つの魂であり、無数の魂の中の一つであるのです。
個は全体を支えるために存在しています。
個のために全体が存在しているのではないのです。
しかし、多くの人は自分の都合を考え、その視点によって世界を見るのです。
そのため、思い上がりが生じ、その結果として怒りと恐怖に支配されるようになるのです。
あなたのために世界が存在しているのではありません。
世界のためにあなたが存在しているのです。
世界が存在しなければ、あなたは存在を許されないのです。
どうするのかを決めるのは世界です。
あなたが自らの爪を切り落とす様に、髪の毛を切り揃えるように、主が従を決めるのです。
全体である世界があなたの主となります。
全体である世界の従であるあなたは、この事実を忘れてはならないのです。
多くの人は自分にとって都合の良い世界を求めますが、そこには残念ながら喜びはありません。
なぜなら、そのような身勝手を主である世界が許さないからです。
思い上がる者は打ち砕かれます。
全体に仇(あだ)と成す個は、切り捨てられるのです。
あなたは病気を肉体ごと切り捨てるでしょう。
それと同じです。
自分勝手な振る舞いを振りかざす者には、苦しみが待つのです。
あなたはこのことを覚えておかなければなりません。
人間だけの神様など存在しません。
しかし、宗教ではそうではありません。
この世界には無数の生命が存在しています。
この広大な宇宙を創造した神が、人間だけを大切に扱うでしょうか?
その考えが自分勝手なものであるということを理解しなければならないのです。
人間とその他の存在には、どのような差があると言うのでしょう?
敵であっても、問題であっても、苦しみであっても、それ等は大切なものであるのです。
歪んだ思想によって、自分に都合の良い世界を信じてはなりません。
そのような偽りの世界など、この世には存在しないのです。
自分の都合を中心として考えてはなりません。
そのような狭い了見であっては、正しく見ることなどできはしないのです。
自分に都合の良い世界を信じている者には、人生というものの意味が分からないでしょう。
自分が全体の一つの役割で(しかない)あるということに気が付くことができなければ、謙虚さが失われるのです。
謙虚に生きることができなければ、人は躓(つまず)きと苦しみを得ることになるのです。
全体に対する役割を果たすことがなければ、不要の爪や髪の毛のように切り捨てられてしまうのです。
肉体を離れた爪や髪は生命を失います。
そして、成長することができずに、滅びるのです。
全体と繋がっていない個体は、成長することができずに滅びます。
全体とはこの世界のことであり、真理を現します。
それを人は「神」と呼ぶのです。
思い上がってはなりません。
自分の都合によって怒りや恐怖を選択してはならないのです。
どのような状況に対しても感謝して受け入れることを目指しましょう。
そのようにしなければ、決して幸福は得られないのです。
人生の幸福とは、人生の意味です。
自分勝手に生きる者には、人生の意味を理解することができません。
それは、人生の本当の幸福を得ることができないということなのです。
自分に都合の良い世界などを求めてはなりません。
全体が決めるあなたの役割に対して忠実でありましょう。
世界の決定である目の前の状況を否定してはなりません。
それがどのようなものであろうとも、感謝して受け入れましょう。
主と従の関係を間違えてはなりません。

2014年12月3日水曜日

光源に対する影の形

他人に理解を求める必要はありません。
他人に理解を求めるのは無駄です。
他人が理解することは稀(まれ)でしょう。
人は自分自身の認識の中に生きているのです。
他人には、他人を完全に理解することはできません。
他人は他人であり、自分は自分です。
しかし、すべては繋がっています。
この世界には、独立した一つの存在が、一つの和を形成して存在しているのです。
二つのものが一つに成ったり、一つのものが二つに成るということではありません。
一つ一つのものが全体として和を生み出すのです。
そのため、他人はあなたを理解することができません。
他人に理解を求めるのは、筋が違っているのです。
必ずしも、他人が理解する必要はありません。
理解していなくても良いのです。
理解することがなくても、和を形成することはできるのです。
あなたはそのことを知らなければならないのです。
本当の意味で理解の上で動いているものはありません。
すべてには誤解があるのです。
それぞれに違うものを持ち合わせているからこそ、すべては和を形成して動いているのです。
すべてが同じであるのならば、一つの和を形成することはないのです。
あなたはこのことを理解しなくても構いません。
必ずしも、理解することが重要なのではないのです。
大多数の人が理解することができるものが優れているのでしょうか?
人類の英知が辿り着く場所は、常に大多数の人が理解の及ばないものです。
理解が及ばないものによって、発展するのです。
物体が広がりを見せる時には、未知に対して進み出さなければなりません。
未知に理解は及びません。
そのために、理解とはそれほど重要なものではないのです。
人は、弱さに従って自分を理解する人を求めています。
そして、理解してくれそうな人を見付けると依存します。
果たして、それが正しい方法なのでしょうか?
依存によって、同化するということは、違いが失われるということです。
違いが失われるのであれば、広がりを得ることができないでしょう。
未知に対して追求する者がいなければ、成長発展は有り得ないのです。
理解されることを求める余り、不理解を恐れます。
その結果、理解されることばかりを選択するようになり、成長発展が失われるのです。
光源に対して、立ち位置が違えば、その影は違う方向に違う形を成すのです。
立ち位置が違うにも関わらず、影を同じ方向の同じ形を望むのはおかしなことなのです。
人はそれぞれに独立した存在です。
それぞれの魂のレベルや学びに相応しい立ち位置を得ます。
人が真理(状況)を見る時には、立ち位置が違うのです。
光源に対する影の形が違うように、真理に対する理解(認識)も違うものになるのです。
それが、自然であるのです。
それを同じにしようというのは不自然であるということを覚えておかなければならないのです。
他人の人生ではないのです。
これはあなたの人生なのです。
他人に理解されることがなくても、そんな小さなことを気にしてはなりません。
他人に嫌われることよりも、自分の心が汚れることを気にしなければなりません。
この世界には、あなたが出会うこともない人間が無数に生きています。
あなたが理解を求めているのは、全人類の何人のことを言っているのですか?
あなたが求めている理解とは、小さなものではありませんか?
判断は、全体のことを見てからでなければなりません。
この世界のことを知らないのに、勝手な判断で落ち込んでいてはなりません。
他人に理解を求める必要などないのです。
このことを知らずに生きている人が多いのです。
このような人は、他人の目を気にして、結局は自分の人生を生きることができないのです。
そうならないためにも、理解を気にしてはならないのです。
正しいと思うことであるのならば、独りでも行いましょう。

2014年12月2日火曜日

同じ見た目

見た目というものには残念ながら、その本質ほどの価値はありません。
見た目によって判断するのであれば、その本質と価値を理解することはできないでしょう。
人が正しく理解を得るためには、本質を得なければなりません。
本質に辿り着くことなく、正しい理解を得ることはできないのです。
正しく理解することがなければ、間違えます。
間違えることによっては、つまずきと苦しみが生じるでしょう。
人生を豊かに生きるためには、正しい理解が必要なのです。
あなたは正しく理解しなければなりません。
正しく理解するためには、本質を見極めることです。
本質を見極めるためには、見た目に捉われていてはならないのです。
残念ながら、見た目と本質には違いがあります。
それを見極めなければ、思うところには辿り着けないのです。
見た目は同じものであっても、その本質が異なるということがあるのです。
発音は同じ言葉であっても、その本質となる心(感情)には違いがあるのです。
同じ発音の言葉であったとしても、怒りの感情から放たれたものと、感謝の気持ちから放たれたものでは全く違うものであるのです。
純金と金鍍金(きんめっき)を見た目だけで見極めることのできる人は稀(まれ)でしょう。
写真と写実的な絵画を見極めることも難しいのです。
本質を理解することがなければ、求めているものは手に入らないのです。
間違えることを、騙されると考えてはなりません。
この世には偽りが許されているのです。
あなたは自ら間違えるのです。
誰かに騙されるというのも見た目です。
誰かに騙されるという状況の本質は、自ら間違えるということであるのです。
あなたが間違えなければ、騙されないのです。
このことを忘れてはならないのです。
自ら間違っているにもかかわらず、誰かに騙されたと騒いでいる人がいます。
それは滑稽(こっけい)な姿であるのです。
自らの未熟さを露呈(ろてい)しているだけだと理解する必要があるのです。
被害者意識を捨てなければなりません。
どのようなことがあろうとも、あなたは被害者ではありません。
しかし、簡単にはこの事実を受け入れることはできないでしょう。
それは、人は見た目に捉われるからです。
何度となく伝えたとしても理解できないことは知っていますが、言わなければならないのです。
あなたが物事の本質に気が付いた時には、この言葉を思い出すでしょう。
それで良いと考えています。
詐欺師は笑顔で近付いて来ます。
そして、あたかもあなたの利益をほのめかすのです。
見た目には区別が付きません。
詐欺師を信用して、その言葉に従うのであれば、あなたはつまずいて苦しむことになるのです。
そのために、あなたは本質を見極める力を養わなければならないのです。
詐欺師が悪いのではないのです。
あなたが自らそのように選択したのです。
自らが間違った結果を他人のせいにしてはならないというのです。
騙されたと怒り狂う者は、更に心を汚し、つまずきと苦しみを得ることになるのです。
あなたは見た目に騙されてはなりません。
見た目によって判断してはならないのです。
清らかな労働によって得る金銭と、強盗によって得る金銭が同じものであると思いますか?
その金額が同じであったとしても、その価値は大きく違うものであるのです。
何もかもを同じとして扱ってはなりません。
この世界には悪意が存在しています。
悪意は世界にその存在が許されているのです。
そして、悪意は愚かな者を引き連れて進むのです。
行き先はつまずきと苦しみという結果であるのです。
あなたは深く考えなければなりません。
様々な角度から検証し、より本質に近付きましょう。
似て非なるものがあるということを覚えておきましょう。
見た目によって間違えてはなりません。

2014年12月1日月曜日

感動の連続

人生はドラマチックな場所です。
人生にはドラマが溢れているのです。
すべての存在が複雑且つ単純に結び付き、一つの形態を成しています。
「すべては一つ」に繋がり、そこから離れるものはありません。
一つ一つの存在が繋がっているのです。
そして、そこには摩擦が生じ、ドラマが生まれるのです。
別々の存在が繋がりを持つことによって生じた摩擦は、熱を以て輝きを放ちます。
繋がりによって摩擦が生じることがなければ、そこには何も生まれることはないのです。
喜びであろうが、苦しみであろうが、それは繋がりによる摩擦であるということを覚えておかなければならないのです。
何かの現象が生じなければ、何も感じることができないのです。
それが苦しみであったとしても、苦しむということを感じることができるのは、そこに摩擦が生じ、ドラマが生まれたからに他ならないのです。
摩擦が生まれることがなく、ドラマも生まれないのであれば、あなたは何も感じることができないのです。
何も感じることができないということは、そこで学ぶことはできないのです。
学ぶことができなければ、成長することもできないのです。
成長は人生の目的です。
すべての存在は成長を目指します。
人生のドラマによって現象を認識することがなければ、成長に必要な心への抗力を得ることができないのです。
人はドラマによって成長することができるのです。
どのようなことであったとしても、そこには様々なものの繋がりが存在しています。
その繋がりを認識することはできないのが普通です。
それは、そこに繋がりが存在していることなど気にしてはいないからです。
気が付こうとしていないのだから、気が付くことはないのです。
退屈な時間を過ごす人がいます。
そのような人は、そこに存在しているドラマを認識することができていないのです。
本来なら、人生に退屈な時間というものは存在してはいないのです。
すべてが大切な学びであり、そこには繋がりによって生み出される摩擦があり、それはいつもドラマチックであるからです。
退屈を覚えている人は、この繋がりを正しく認識するように努めましょう。
何気ない出来事であったとしても、それはただそのように生じているのではないのです。
目には映らないレベルの働きによって、築かれた出来事なのです。
そこには多くの過程と労力があるのです。
何の意味も無く生み出されるものなど、この世界には存在しません。
すべての事象に意味があるのです。
あなたは深く見つめなければなりません。
深く考え、深く理解する必要があるのです。
苦しみを嫌う人がいます。
しかし、苦しみであっても大切な繋がりによって導かれるドラマであり、学びであるのです。
苦しみを嫌うのであれば、そこに存在している大切な学びを放棄することになります。
学びを得ないのであれば、再び同じ学びを得なければなりません。
苦しみを学ばないのであれば、同じ苦しみが続くことになるのです。
成長することがなければ、人生が進むことはありません。
人生の目的は成長であり、人生は自らに相応しいからです。
人生を思慮深く観察するのであれば、それがとてもドラマチックであることに気が付くでしょう。
苦しみが存在しないのであれば、面白いのでしょうか?
あなたは苦しみを排除することができます。
苦しみを否定し、そこから徹底的に逃れば良いのです。
しかし、あなたは深い場所で苦しみが必要であることを知っています。
苦しみを完全に排除することができるにも関わらず、それを守ろうとするのです。
そのために、人生には苦しみが尽きないのです。
苦しみが存在しているのは、自ら苦しみを欲しているということを理解しましょう。
苦しみがあり、喜びがあるからこそ、成長が実現するのです。
苦しみもなく、喜びもないのであれば、成長は実現することがないのです。
あなたは、人生がドラマチックであることを知りましょう。
苦しみであっても、そこにはドラマチックな過程が存在していることを理解するのです。
そうすれば、あなたは苦しみに対して拒否を行うことをやめ、それに感動することさえできるようになるでしょう。
人生がドラマチックであることを忘れてはなりません。
人生は感動の連続です。
このことに気が付きましょう。

2014年11月30日日曜日

大きな世界

小さな世界に満足していてはなりません。
この世界はあなたが考えているようなものではありません。
常識で計ることのできるようなものでもないのです。
人は未熟です。
人は決して、この世界の実相に至ってはいないのです。
そのため、知らないことが非常に多く、無知の状態であるということを覚えておきましょう。
目の前の状況、所有しているものを大切にする気持ちは重要です。
人は、与えられるものすべてを大切にしなければなりません。
しかし、多くの人は小さなものによって満足してしまい、それを失わないように必死になって努めているのです。
大切なのは世界の実相を知ることです。
世界の実相を知るためには、その視野を大きくしていかなければなりません。
できる限り高く昇り、できる限り広く見るのです。
小さな世界に満足し、それ以上の探究をしないのであれば、世界の実相を理解することなどできるはずがないのです。
与えられるものに感謝する気持ちは大切です。
しかし、それを守ろうと必死になってはなりません。
どのようなものを得ようとも、それは小さなものなのです。
あなたはそれを宝物のように思い、壊れないように、失わないように努めていますが、その考えに捉われているのであれば、それ以上の進歩発展は得られないのです。
小さな世界を満足する者には、それ以上の世界を見る機会は与えられないのです。
大きな世界に進むことは、より良い方法を得るということです。
より高い場所から眺めるのであれば、より良く理解することができるでしょう。
しかし、低い場所から眺めるのであれば、最も近いものを多少認識することができるだけであり、その先にあるもの、全体を理解することはできないのです。
その場所から見えるものによって全体を判断するのであれば、必ず間違います。
空想によって世界は動いてはいないのです。
正しく理解し、正しく動き、正しく動かすことがなければ、豊かさを得ることはできないのです。
小さな世界に満足し、それを必死に守ることによって、幸福が得られるなどと思い込んではなりません。
間違っている方法は、破滅という結果を導くのです。
あなたが小さな世界に満足し、それ以上の世界を求めないのであれば、その小さな世界によって苦しむことになるでしょう。
あなたが必死に守ろうとしているものによって、あなたは破滅するのです。
この事実を理解しなくてもかまいません。
あなたには理解することができないかも知れません。
しかし、いつか、あなたが必死に守ろうとしているものによって破滅します。
その時には、この話を思い出しましょう。
そして、そこから、より高く昇り、より広く見るように努めれば良いでしょう。
人は未熟であり、無知な存在です。
そのために「わたし」の話を簡単には理解することができないでしょう。
「わたし」は、人がこれを理解するためには、苦しまなければならないことを知っているのです。
小さな世界を必死に守ろうとしているあなたは、必ず苦しみます。
しかし、それで良いのです。
あなたはより大きな世界を求めるために苦しむのです。
苦しむのであれば、その苦しみから逃れようとして学ぶようになるでしょう。
学ぶことによって視野は高まり、広い世界を見ることができるようになるのです。
あなたは感謝することを忘れてはなりません。
しかし、満足して、それを守ろうと考えてはなりません。
人生とは、常にそれよりも大きな世界を探究するための時間です。
知性の高まりと共に、人はより大きな世界を得ることができます。
より大きな世界を求めて生きる者でなければ、知性は高まらないのです。
あなたは常に学んでいるということを理解しておきましょう。
世界はあなたに相応しいのです。
小さな世界に満足し、怠慢に生きてはならないのです。
人生が何のためにあるのかを考えましょう。
体たらくに生きてはなりません。
あなたは自分の生き方が、高い知性、大きな世界を求めているものであるのか?を考えましょう。
肉の欲に溺れ、何の感動もないような人生を生きてはなりません。
大きな世界を見る時、人の心は感動に震えます。
感動することのないような状況は、良いものとは言えないでしょう。
毎日を繰り返してはなりません。
日々、大きな世界を得るように努めましょう。