決め付けは、偏見を生み出します。
偏見とは、隔(へだ)たりです。
ものとものを隔てることによって、そこには違いが生まれます。
ものとものとを違って見ることこそが、偏見なのです。
偏見は対立を導きます。
ものとものとを対極に置き、争わせるのです。
争いから生じるものは破滅です。
争いによってものとものとは衝突を繰り返します。
衝突によって消耗し、消滅するのです。
ものとものとが繁栄するためには、互いが助け合う必要があるのです。
ものとものとが協力し、互いに高め合うことが求められるのです。
偏見によって、ものとものとは争うのです。
偏見を所有することがなければ、ものとものとは互いに助け合うことができるのです。
あなたが繁栄を期待するのであれば、偏見に捉われてはなりません。
豊かで幸福な人生を求めるのであれば、争ってはならないのです。
世間においては、争うことを良いことだという傾向があります。
敵を殺せと教えるのです。
そのおかげで、人は苦しみに縛られるのです。
人が苦しんでいるのは、その根本に偏見があるからです。
偏見によって互いに助け合うことを隠されているのです。
敵を殺せと教えているのは誰ですか?
苦しみを苦しいと教えているのは誰なのでしょう?
あなたは騙されてはなりません。
争いによって利益を得る者がいるのです。
踊らされてはならないのです。
間違った方法は、間違った結果を導きます。
間違った道を進むのであれば、人は間違った場所に辿り着くのです。
人は幸福を得なければなりません。
互いに助け合うことによって、成長しなければなりません。
それが人生の目的であるのです。
成長を果たし、幸福を得ることが正しいのです。
成長することなく、不幸に苦しんでいるのであれば、それは間違っているのです。
間違った方法によって、間違った道を進むのであれば、苦しみを受け取る結果となります。
苦しみによって幸福を覚える人はいないのです。
喜びによって、人は幸福を覚えるのです。
人の本質は魂というものです。
本質である魂が喜ぶことがなければ、人は喜ぶことができないのです。
この世界においての魂とは意識です。
それは目には映らず、触れることができません。
喜びも意識です。
何かに対して喜んでいるのであって、何かが喜びを所有している訳ではないのです。
初めは喜んでいても、次第に喜びは薄れ、消えるのです。
何かが喜びを所有しているのではありません。
喜びとは意識なのです。
偏見によって、喜びは苦しみに変えられています。
あなたは自ら、喜びを手放しているのです。
焦点をずらせば、輪郭が崩れます。
輪郭が崩れるのであれば、ものとものとは一つに交わるのです。
焦点が一点に集中しているために、輪郭ははっきりとしているのです。
偏見とは、どちらか一方に対して、焦点が合っている状態です。
輪郭がはっきりしているために、交わることができないのです。
あなたは決め付けてはなりません。
「ぼやけた」世界に生きましょう。
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