このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2014年12月9日火曜日

ぼやけた世界

決め付けは、偏見を生み出します。
偏見とは、隔(へだ)たりです。
ものとものを隔てることによって、そこには違いが生まれます。
ものとものとを違って見ることこそが、偏見なのです。
偏見は対立を導きます。
ものとものとを対極に置き、争わせるのです。
争いから生じるものは破滅です。
争いによってものとものとは衝突を繰り返します。
衝突によって消耗し、消滅するのです。
ものとものとが繁栄するためには、互いが助け合う必要があるのです。
ものとものとが協力し、互いに高め合うことが求められるのです。
偏見によって、ものとものとは争うのです。
偏見を所有することがなければ、ものとものとは互いに助け合うことができるのです。
あなたが繁栄を期待するのであれば、偏見に捉われてはなりません。
豊かで幸福な人生を求めるのであれば、争ってはならないのです。
世間においては、争うことを良いことだという傾向があります。
敵を殺せと教えるのです。
そのおかげで、人は苦しみに縛られるのです。
人が苦しんでいるのは、その根本に偏見があるからです。
偏見によって互いに助け合うことを隠されているのです。
敵を殺せと教えているのは誰ですか?
苦しみを苦しいと教えているのは誰なのでしょう?
あなたは騙されてはなりません。
争いによって利益を得る者がいるのです。
踊らされてはならないのです。
間違った方法は、間違った結果を導きます。
間違った道を進むのであれば、人は間違った場所に辿り着くのです。
人は幸福を得なければなりません。
互いに助け合うことによって、成長しなければなりません。
それが人生の目的であるのです。
成長を果たし、幸福を得ることが正しいのです。
成長することなく、不幸に苦しんでいるのであれば、それは間違っているのです。
間違った方法によって、間違った道を進むのであれば、苦しみを受け取る結果となります。
苦しみによって幸福を覚える人はいないのです。
喜びによって、人は幸福を覚えるのです。
人の本質は魂というものです。
本質である魂が喜ぶことがなければ、人は喜ぶことができないのです。
この世界においての魂とは意識です。
それは目には映らず、触れることができません。
喜びも意識です。
何かに対して喜んでいるのであって、何かが喜びを所有している訳ではないのです。
初めは喜んでいても、次第に喜びは薄れ、消えるのです。
何かが喜びを所有しているのではありません。
喜びとは意識なのです。
偏見によって、喜びは苦しみに変えられています。
あなたは自ら、喜びを手放しているのです。
焦点をずらせば、輪郭が崩れます。
輪郭が崩れるのであれば、ものとものとは一つに交わるのです。
焦点が一点に集中しているために、輪郭ははっきりとしているのです。
偏見とは、どちらか一方に対して、焦点が合っている状態です。
輪郭がはっきりしているために、交わることができないのです。
あなたは決め付けてはなりません。
「ぼやけた」世界に生きましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿