あなたは間違えてはなりません。
	
	あなたは騙されてはなりません。
	人として、何が正しい道であるのかを考えましょう。
	人は、人として正しく生きていかなければなりません。
	どのような事情があろうとも、心を、魂を汚してはならないのです。
	心を汚してはなりません。
	心を歪ませてはなりません。
	人は純粋なまま生まれ、純粋なまま生きて、純粋なまま死んでいくのです。
	それを正しさとしましょう。
	ただし、何も知らずに純粋であるということではありません。
	すべてのことを理解した上で、純粋であるのが正しいのです。
	そのことを誤解してはなりません。
	人は人生に苦しみます。
	しかし、間違えてはなりません。
	苦しみは大切な友であるのです。
	苦しみを嫌う考え方がありますが、それを信じてはなりません。
	なぜなら、苦しみはあなたに感謝を教えるからです。
	苦しいからこそ、人は希望を見出し、当たり前のことに対しても感謝することができるのです。
	苦しみがなければ、人は傲慢(ごうまん)であり、成長する機会がないのです。
	苦しみを敵として、それと争う人がいますが、争いから成長が導かれることはないのです。
	争いによって、人は後退するということを理解しましょう。
	争いを友と考えてはなりません。
	多くの人は平然と争います。
	それは、争いが友であると考えているからです。
	争いによって人は苦しまなければならないということを覚えておきましょう。
	しかし、多くの人がこの事実を知りません。
	常識という偏見によって、争いによって敵に勝ることによって幸福が得られるなどと、偽の幸福論を教えられているのです。
	敵を作る時点において間違っているのです。
	苦しみを敵としてはならないのです。
	あなたは間違えてはなりません。
	あなたは騙されてはなりません。
	人間の最大の過ちは、苦しみを敵としているところなのです。
	苦しみを敵として争うことによって、苦しみが導かれるのです。
	苦しみを友として交友するのであれば、そこには感謝と成長が導かれるのです。
	どちらの方法が幸福であるのか?それを考えましょう。
	素直に考えれば、どちらが目指すべき道であるのか分かるはずです。
	しかし、多くの人は騙されています。
	多くの人が偽の方法を信じ込んでいるのです。
	苦しみが友であるという真理を知らないのです。
	そのような人は何を得ようとも、争いによって苦しみを得るのです。
	苦しみが友であるという事実は、偏見を身に付けたあなたには受け入れ難いものであるかも知れません。
	「わたし」がいくら真理を説いても、あなたはそれを信じることができないでしょう。
	しかし、思い返してみなさい。
	過去の苦しみこそが、あなたに真理を教え、感謝の気持ちを芽生えさせたのです。
	あなたを成長させたのは苦しみであるのです。
	苦しいからこそ多くを学び、苦しいからこそ成長することができたのです。
	苦しくなければ怠慢(たいまん)に過ごすでしょう。
	人は苦しみによって行動を起こし、多くの経験を得ることができるのです。
	あなたに幸福を導く存在が、どうして敵なのでしょうか?
	あなたは間違えてはなりません。
	あなたは騙されてはなりません。
	苦しみこそが愛すべき友です。
	苦しみを敵として争ってはなりません。
	苦しみに感謝して生きましょう。
	苦しみを大切な友として丁寧に扱いましょう。
	
今日もありがとう。
返信削除逃げることだけ考えてました。
見透かされてます^^;
Sesame Goma さんへ
削除人は錯覚と偏見の中で生きているものです。
人生の目的が何であるのか?ということを深く考え、錯覚と偏見から抜け出しましょうね笑
近道探したら余計迷うかもですね。
返信削除壁づたいに歩きます笑
ありがとう