人生はドラマチックな場所です。
	
	人生にはドラマが溢れているのです。
	すべての存在が複雑且つ単純に結び付き、一つの形態を成しています。
	「すべては一つ」に繋がり、そこから離れるものはありません。
	一つ一つの存在が繋がっているのです。
	そして、そこには摩擦が生じ、ドラマが生まれるのです。
	別々の存在が繋がりを持つことによって生じた摩擦は、熱を以て輝きを放ちます。
	繋がりによって摩擦が生じることがなければ、そこには何も生まれることはないのです。
	喜びであろうが、苦しみであろうが、それは繋がりによる摩擦であるということを覚えておかなければならないのです。
	何かの現象が生じなければ、何も感じることができないのです。
	それが苦しみであったとしても、苦しむということを感じることができるのは、そこに摩擦が生じ、ドラマが生まれたからに他ならないのです。
	摩擦が生まれることがなく、ドラマも生まれないのであれば、あなたは何も感じることができないのです。
	何も感じることができないということは、そこで学ぶことはできないのです。
	学ぶことができなければ、成長することもできないのです。
	成長は人生の目的です。
	すべての存在は成長を目指します。
	人生のドラマによって現象を認識することがなければ、成長に必要な心への抗力を得ることができないのです。
	人はドラマによって成長することができるのです。
	どのようなことであったとしても、そこには様々なものの繋がりが存在しています。
	その繋がりを認識することはできないのが普通です。
	それは、そこに繋がりが存在していることなど気にしてはいないからです。
	気が付こうとしていないのだから、気が付くことはないのです。
	退屈な時間を過ごす人がいます。
	そのような人は、そこに存在しているドラマを認識することができていないのです。
	本来なら、人生に退屈な時間というものは存在してはいないのです。
	すべてが大切な学びであり、そこには繋がりによって生み出される摩擦があり、それはいつもドラマチックであるからです。
	退屈を覚えている人は、この繋がりを正しく認識するように努めましょう。
	何気ない出来事であったとしても、それはただそのように生じているのではないのです。
	目には映らないレベルの働きによって、築かれた出来事なのです。
	そこには多くの過程と労力があるのです。
	何の意味も無く生み出されるものなど、この世界には存在しません。
	すべての事象に意味があるのです。
	あなたは深く見つめなければなりません。
	深く考え、深く理解する必要があるのです。
	苦しみを嫌う人がいます。
	しかし、苦しみであっても大切な繋がりによって導かれるドラマであり、学びであるのです。
	苦しみを嫌うのであれば、そこに存在している大切な学びを放棄することになります。
	学びを得ないのであれば、再び同じ学びを得なければなりません。
	苦しみを学ばないのであれば、同じ苦しみが続くことになるのです。
	成長することがなければ、人生が進むことはありません。
	人生の目的は成長であり、人生は自らに相応しいからです。
	人生を思慮深く観察するのであれば、それがとてもドラマチックであることに気が付くでしょう。
	苦しみが存在しないのであれば、面白いのでしょうか?
	あなたは苦しみを排除することができます。
	苦しみを否定し、そこから徹底的に逃れば良いのです。
	しかし、あなたは深い場所で苦しみが必要であることを知っています。
	苦しみを完全に排除することができるにも関わらず、それを守ろうとするのです。
	そのために、人生には苦しみが尽きないのです。
	苦しみが存在しているのは、自ら苦しみを欲しているということを理解しましょう。
	苦しみがあり、喜びがあるからこそ、成長が実現するのです。
	苦しみもなく、喜びもないのであれば、成長は実現することがないのです。
	あなたは、人生がドラマチックであることを知りましょう。
	苦しみであっても、そこにはドラマチックな過程が存在していることを理解するのです。
	そうすれば、あなたは苦しみに対して拒否を行うことをやめ、それに感動することさえできるようになるでしょう。
	人生がドラマチックであることを忘れてはなりません。
	人生は感動の連続です。
	このことに気が付きましょう。
	
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