人の本質は”魂”です。
それ以上の本質もありますが、あなたに対する説明はここまでで十分です。
(あなたを軽んじている訳ではありません。人の形を得ている者にはそれ以上は必要ないのです)
人は、本質である魂が、肉体を所有した姿です。
肉体には、魂をそのまま表現する力はありません。
それは、魂に比べて、肉体の力が不足しているからです。
肉体に対して魂は広大であり、そのすべてを表現することはできないのです。
そして、魂が肉体を得るのには理由があります。
その理由に反する必要がないために、魂のすべてを表現する必要がないのです。
魂が肉体を得る理由は、”汚れ”を取り除くことです。
魂は存在しているだけで汚れを得ます。
それは、鉄が錆(さび)を生じるようなものです。
そこで、魂を磨く必要があります。
魂を磨くためには、それを磨くための環境と道具が必要です。
鉄を磨くには、それに必要な環境と道具が必要なのと同じです。
あなたが素手によって鉄を擦(す)っても、錆を落とすことはできません。
鉄を磨くためには、それに相応しい環境と道具が必要なのです。
魂を磨くための環境と道具とは、人生のことなのです。
人生は、魂の汚れを落とすための場所であるのです。
人生の目的は成長にありますが、成長とは、魂の汚れを取り除く作業であるのです。
人は人生において魂を成長させることはできません。
それは、魂が成長する必要はないからです。
人は人生において、人格を成長させる必要があるのです。
人格とは、魂の問題の寄せ集めです。
それは、汚れた部分の寄せ集めなのです。
魂は、それを磨きたいのです。
そのため、人格というものはそのすべてが歪んでいます。
すべての人の人格には問題があり、汚れているのです。
人が成長するということは、人格の歪みを取り、汚れを落とすということなのです。
人格の高まりと共に、歪みと汚れは取り除かれます。
それは、悟りを得ることであり、傲慢(ごうまん)や怠慢(たいまん)、怒りや不安などを引き起こす自我の弱まりを意味しているのです。
人格が磨かれると、人は素直で優しく、寛大で愛情深い存在となります。
それは、魂の汚れが取り除かれ、本来の姿に近付くためです。
魂とは光です。
それは、愛情そのものなのです。
(しかし、前述したように、それがあなたの本質ではありません。魂とは、陰陽の陽であるからです)
人格という汚れが取り除かれると、人は魂の光を放つようになります。
そこには慈悲が溢れるのです。
すべての人が人格を磨くために人生に生まれます。
成長以外の目的を以て生まれた者はいません。
人生とは、魂の湯治場のようなものだからです。
魂は人生に漬(つ)かり、垢(あか)を落としているのです。
世の中は、人格の作り出す世界です。
魂の問題である人格が作り出す世界とは、問題そのものなのです。
世の中には問題が溢れています。
愚かな者が生み出す仕組みとは、愚かなものなのです。
そのため、世の中には愚かさが溢れています。
世の中は歪んでいます。
それは当然のことです。
世の中の一切は、魂にとっては虚(むな)しいのです。
しかし、人格にとっては喜びであるでしょう。
あなたは世の中を楽しみますか?
汚れの現れを楽しむのでしょうか?
あなたが真の幸福を求めているのならば、汚れの消滅を喜ばなければなりません。
人生が人格という汚れを取り除く場所であるということを覚えておきましょう。
それを知らずに汚れを増すのであれば、あなたの苦悩を増すでしょう。
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