人は、それぞれに目的を持っています。
	人はそれぞれ、それぞれの目的のために動くのです。
	自らの目的のために、感情と思考が与えられました。
	人は、それぞれの目的のために感情と思考を用います。
	感情と思考は、それぞれの経験によって構築されました。
	人は、自らの経験に従って行為するのです。
	それは、目的達成のための道筋を明らかにします。
	それぞれの人は、それぞれの経験によって培(つちか)われた感情と思考によって、目的達成のための手順を決めているのです。
	人は、それぞれに異なった状態で経験を得ています。
	経験自体には変わりはありませんが、人の状態が違うのです。
	それは、何かしらの経験に対して、異なった感情と思考を導くでしょう。
	そのため、次にどう行動するか?は、人それぞれに違いが生じるのです。
	人が互いに協力する時には、目的は同じものです。
	しかし、共通の目的に対しても、それぞれの状態が反映されるのです。
	共通の目的に対しても、人はそれを自らの目的として扱います。
	自らの目的として扱うのであるから、自らの手順を踏むことになるのです。
	目的地は同じであっても、その道順は違うのです。
	どの道を選ぼうとも、目的地に到着すれば良いのですが、多くの人はそのことを理解しません。
	多くの人は過程を大切にしているからです。
	多くの人は”小さな世界観”の中に生きています。
	小さな世界に生きる人は、自分の常識を重視します。
	それは、小さな世界に生きているために、それ以外の常識を知らないからです。
	常識とは、体系化した知識によって導き出される判断力です。
	人は、様々なレベルの常識に従って生きています。
	全体的なものから、個人的なものに至るまで、常識には多くの形があるのです。
	常識は、人それぞれに違うものであるということを理解しましょう。
	それぞれの家庭には、それぞれの常識があります。
	それは、その家庭において蓄積され、体系化された知識によって導き出される判断と、別の家庭のそれが違うことにより、そこに生きる人の判断力に違いが生じるためです。
	常識とは判断力であるため、それは人それぞれに違うものとなるのです。
	別の常識に触れた時、人はその違いに驚きます。
	別の常識における判断には、理解が及ばないことが多いのです。
	そのため、あなたは他人の行動に対して理解ができない時があるはずです。
	なぜ、他人がそれを喜び、それに苦しんでいるのか?ということが理解できない時があるでしょう。
	判断の違いによって、感情と思考が形を変えます。
	それを苦しみと判断するのであれば、感情と思考は簡単にネガティブな状態を得るのです。
	それを喜びと判断するのであれば、感情と思考は簡単にポジティブな状態を得るのです。
	人の心は、とても簡単な構造をしています。
	その判断によって、本質的には同じものを別のものとしているのです。
	あなたには、他人を従えることはできません。
	他人は他人の常識に従うことをやめないからです。
	しかし、多くの人はそのことを理解することができません。
	そのため、他人に対して自らの常識に従うように求めます。
	しかし、他人はそれを受け入れません。
	その結果として、憤(いきどお)りが導かれ、苦しむことになるのです。
	あなたは他人を従える必要がないということを覚えておきましょう。
	人は、目的だけを堅固に保っていれば良いのです。
	その手順を限定する必要などないはずです。
	本質としては、目的が達成されれば良いだけなのです。
	過程に相違があることなど、些細(ささい)なことに過ぎないのです。
	別の常識を理解することができない無力こそが、人を苦しめていると知らなければならないでしょう。
	目的は何ですか?
	あなたはそれを堅固に守りましょう。
	多くの人は無意識の内に目的を見失っているのです。
	そして、常識の違いを否定します。
	親子であろうとも、兄弟であろうとも、常識は別のものです。
	手順の違いに苦悩してはなりません。
	あなたは他人と目的を共にしましょう。
	
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