人は、体系的な存在です。
	それは、体系を保持します。
	人は同じことを繰り返すのです。
	それは、人には繰り返しの作業が必要であるからです。
	繰り返すことによって、人は理解を深めることができます。
	繰り返すことがなければ、理解を深めることはできません。
	それは、どのような本質も奥深いものであるからです。
	その奥深さを理解するには、何度も繰り返して学ぶ必要があるのです。
	どのような人も一度や二度では本質を得ることはできません。
	そのため、人は繰り返すのが”普通”なのです。
	この繰り返す作業が、人を体系的な存在にしているのです。
	それは、大切な性質です。
	繰り返すことがなければ、理解を得ることができず、理解を得ることができなければ、成長することができないからです。
	人生の目的は成長にあります。
	すべての人が成長を実現する必要があるのです。
	そのため、繰り返して学ぶことは重要です。
	しかし、既(すで)に学んだことを繰り返す必要はありません。
	学びを得た(理解した)のであれば、それを繰り返す必要はないのです。
	しかし、人は体系的な存在です。
	そのため、既に学び終えている事柄に対しても、習慣として保持してしまうのです。
	しかし、そこには新たな学びはありません。
	学び終えた事柄を繰り返しているのであれば、苦悩が導かれてしまうのです。
	それは、鍋を煮込むようなものなのです。
	鍋は煮込み過ぎれば味を損ないます。
	美味しく食べるためには、美味しいところで火から降ろさなければならないのです。
	学び終えるということは、料理の完成のようなものです。
	それ以上煮込めば、口に苦(にが)くなるのです。
	学び終えた事柄を習慣として継続してはならないのです。
	美味しくない料理を食べるのは苦しいものなのです。
	学ぶ必要の無い学びを得ることは、あなたの心に苦いのです。
	多くの人は惰性的(だせいてき)に生きています。
	プログラミングされた価値観に従って思考し、行為するのです。
	人が苦しんでいるのは、煮詰まっているからです。
	それは、味の無い食材を噛み続けるようなものなのです。
	人は不要な繰り返しを断ち切らなければなりません。
	不要な繰り返しとは、あなたに苦悩をもたらす習慣のことです。
	それが苦しいからといって不要であるとは限りません。
	苦しいながらも発見(学び)があれば、それは必要な繰り返しなのです。
	しかし、何の発見も無いのに続けているのであれば、それは不要な繰り返しの可能性が高いのです。
	あなたは自分が体系的な存在であるということを理解しましょう。
	人は原因に従って行為します。
	原因とは価値観のことです。
	あなたは、あなたが価値のあると思うものに従って選択するのです。
	あなたの成長段階によって、何に価値を見出すのかは異なります。
	成長すると共に、価値観も変わるのです。
	価値観とは、システムのことです。
	人は価値観というシステムに制御されているのです。
	これに逆らうことは簡単ではありません。
	人の興味関心は、価値観を出ることはありません。
	それは、子どもに哲学の話をしても興味を示さず、大人に絵本を勧(すす)めても喜ばないようにです。
	子どもは絵本を好み、大人は哲学を好むのです。
	それは、そのような価値観というシステムを所有しているからなのです。
	あなたは、努力によってシステムを書き換えることができます。
	そのためには、目の前のことを懸命に学ばなければなりません。
	懸命に学べば、学び終えるのが早くなるのです。
	そうすれば、システムは書き換えられ、あなたは最早(もはや)それに興味を抱かなくなるでしょう。
	そして、不毛に繰り返す必要もなくなるのです。
	繰り返す必要のない事柄を繰り返してはなりません。
	新たな学びに挑むのです。
	そこには、多くの発見と、大きな喜びがあるでしょう。
	
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