人生とは、儚(はかな)いものです。
それは、人の夢のようなものです。
実態があるようでいて実態がなく、実態がないようで実態があるものなのです。
夢とはそういうものです。
人は、人生という夢を生きているのです。
人は夢の中に楽しみ、夢の中に苦しみます。
すべては一瞬の気の迷いでしかありません。
状況は絶えず変化を求め、一時も止まることはないのです。
すべてが変化の中にあり、生じては滅びるのです。
すべては有であり、無です。
すべてが無であり、有なのです。
人生とは、儚いものです。
あなたはそこに多くを集めます。
多くを奪い取り、多くを積み上げるでしょう。
あなたはそれを宝として、大切に守ります。
しかし、その宝も、いつかは必ず失うのです。
いつまでも何かを所有しておくことはできません。
なぜなら、すべてが夢であるからです。
夢の中にいる時には、それはあなたの所有となります。
しかし、夢から覚めれば、それはあなたの所有から離れるのです。
人生において蓄(たくわ)えたものは、そのすべてを失うのです。
あなたの手元には、何一つ残りはしないのです。
すべてを失い、あなたは何も所有しません。
人生とはそのようなものなのです。
懸命に集めても、それは散らされます。
必死に守っても、打ち破られるのです。
あなたには、何も守ることができません。
何も所有することはできないのです。
人生における一切が、あなたのものではありません。
それは、”神”の所有であるということを覚えておきましょう。
人はいつの間にか、すべてが”神”の所有であるということを忘れてしまいます。
そして、高ぶってそれを自分の所有とするのです。
しかし、すべての所有がいずれ失われます。
その時に、多くの人は嘆(なげ)き悲しむのです。
どのようなものも、初めからあなたの所有ではありません。
それは、預かり物であるのです。
あなたが何かを失うということは、それを預けた”神”に返却したに過ぎません。
それは、預かり物を返却しただけであり、あなたが何かを失った訳ではないのです。
多くの人は誤解しているのです。
それが、自分の所有であると思い込んでいるのです。
しかし、それがあなたの所有であったことなどないのです。
誤解を解かなければなりません。
人生において、あなたの所有となるものはありません。
すべては”神”からの預かり物であるのです。
あなたは預かり物を返却したからといって、それを気に病む必要はないのです。
あなたは何も失ってはいないのです。
それを集め、積み上げることには今までに多くの苦労があったでしょう?
その苦労が水の泡となるような気分になるでしょうが、それを苦しんではならないのです。
人生には、必要のみが存在を許されています。
あなたに不要なものなど、何一つとして存在しないのです。
預かり物を返却することによって、あなたは理(ことわり)に気が付くことができるのです。
所有していた心の支えがなくなれば、あなたの意識は大きく変わるのです。
それは、学びを運びます。
意識の変革がなければ、成長は実現しないのです。
心の支えがなくならなければ、あなたは決して今まで通りの方法を変えないのです。
同じことを繰り返すのであれば、停滞するのです。
それは苦悩を導きます。
預かり物を返却することによって、人は意識の形を変えることができるということを覚えておきましょう。
あなたが成長するためには、意識の形を変えなければなりません。
そのためには、預かり物を返却しなければなりません。
人生が儚いものであるということを受け入れましょう。
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