人は、理解し合えないのが普通です。
	人は、他人を理解することができません。
	もちろん、他人に理解されることもできないのです。
	人は、人を理解することができないのです。
	それが自然であり、それでも構わないということを理解しましょう。
	人は、人を理解したいと努めます。
	それは、良いことです。
	人は理解し合う方が良いのです。
	しかし、それは簡単ではありません。
	なぜなら、理解し合うには、魂の段階という問題があるからです。
	人の本質は魂です。
	それは、肉体を通じて特定の意識を発しています。
	それは、人格と呼ばれる問題点です。
	人とは、人格という魂の問題点を集めた存在なのです。
	人格の状態は、人の成長と深く関わっています。
	人格の解消が進むほどに、人は成長することができるのです。
	人格が取り除かれるほどに、人は魂に近付くのです。
	それは、本来の姿に近付くということであり、人はそれに喜びを感じるのです。
	魂に近付く程に、真理に近付くことができます。
	真理とは、この世界の理(ことわり)です。
	それは、人生の意味と目的を知らせるのです。
	真理に近付いた人は、人生の意味と目的を悟ることができるのです。
	それを知る人と知らない人では、考え方、心境、行動、生き方に明確な違いが生じるのです。
	それは、人生の違いとなって現れるのです。
	知る人と知らない人では、選択は違うものとなります。
	知る人は知らない人の選択を理解することができません。
	同じように、知らない人は知る人の選択を理解することができないのです。
	意識の状態(段階)、人格の状態が人を分け隔(へだ)てるのです。
	そこには距離があり、容易に近付くことはできないのです。
	遠くにいる人にどれだけ叫んでも、あなたの声は届きません。
	遠く離れている相手は、あなたの言葉を理解することができないのです。
	どれだけ叫んでも、理解されることはありません。
	この世界には、そのような状態が存在しているということを知らなければなりません。
	意識の段階が違っている者は、理解し合うことはありません。
	遠く離れる程に、理解からは遠ざかるのです。
	人が理解し合うためには、意識の段階が近くなければなりません。
	互いの距離が近ければ、言葉を理解することもできるからです。
	この世界においては、それぞれが違った意識の段階を所有しています。
	意識の段階が近ければ理解し合い、意識の段階が遠ければ理解することはないのです。
	あなたが相手を理解したいと考えるのであれば、意識の段階を合わせる必要があるのです。
	若者と老人の間には、理解が生じません。
	お互いを理解することができないのです。
	それが普通です。
	あなたは、意識の段階(年齢)を大切にしなければなりません。
	それを無視して理解を深めようと考えても、それは不可能なのです。
	意識の距離が近くなければならないのです。
	あなたは意識の向上に努めましょう。
	意識の向上は、他人との距離を縮めます。
	距離が開いている状態を放置してはならないのです。
	意識を向上させるには学ぶことです。
	学ぶというのは、目の前の状況に意味を見出すということです。
	それは、感謝に至ることによって実現するでしょう。
	目の前の状況の意味を理解し、感謝することによって、人は人格を解消し、意識を高めることができるのです。
	あなたは、人は理解し合えないということを理解しましょう。
	理解し合えないにもかかわらず、理解を深めようとしてはなりません。
	それは、あなたを疲れさせてしまうからです。
	意識の距離が近い人との理解を深めましょう。
	理解し合えない人とは、理解し合う必要はないのです。
	ただし、理解し合えない人を蔑(ないがし)ろにしても良いということではありません。
	理解し合えなくても、仲良くしなければなりません。
	理解し合えるように、学びに努めるのです。
	
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