人は、人生において不足しなければなりません。
	人生には不足が付き物です。
	不足を得ない人はいません。
	どのような人物であろうとも、何かを不足しているのが”普通”なのです。
	あなたは、不足を特別なものとしてはなりません。
	多くの人は不足を特別なものと考えています。
	そして、そこに苦悩という”特別”な感情を用いるのです。
	不足していることが”普通”であるのに、どうしてそれに苦悩という”特別”な感情を用いるのでしょうか?
	不足に対しても、”普通”の感情である喜びを用いれば良いのです。
	人は、喜びを覚えるのが”普通”です。
	”普通”人は喜んでいるのです。
	気分が落ち着き、思いやりに溢れているのが”普通”なのです。
	多くの人はそのことを知りません。
	怒りや悲しみなどのネガティブな感情に支配され、苦悩を抱えているのが”普通”だと思い込んでいるのです。
	そのため、何かしらの不足に会えば、すぐに苦悩を抱えてしまうのです。
	それは、それが”普通”だと考えているためです。
	多くの人とは間違った認識により、間違った常識を抱えています。
	そのため、多くの人が不満を覚えているのです。
	人生とは、成長の場所です。
	そこでは、自らの汚れと歪みを取り除くことができます。
	それを喜びと言わずになんとするのでしょうか?
	成長することは、何よりも幸福なことなのです。
	成長するには不足を味わう必要があります。
	不足は苦悩を導きますが、成長するためにはそれが必要なのです。
	不足を得ることによって、人は多くを学ぶことができます。
	不足によって満ち足りるということを学ぶことができます。
	不足を得なければ、何が満ち足りるという状態かを理解することができないのです。
	そのため、人は不足に対して喜ぶのが”普通”なのです。
	しかし、多くの人は無知を生きているために、この至極”普通”のことに気が付きません。
	不足に対して苦悩することが”普通”だと考えているのです。
	それは、そのように教わるからです。
	人の世は、真理を誤解しています。
	大抵のことが反対の解釈として理解されるのです。
	喜楽は善であり、苦労は悪というようにです。
	人生を生きていれば分かることですが、喜楽を選べば可能性は途絶え、苦労を選べば可能性は広がるのです。
	多くの人は不足に対して嘆(なげ)いています。
	しかし、良く観察してみましょう。
	嘆いている者が不足しているのです。
	無知な者の過ちは、不足を苦しむということなのです。
	例えば、お金に困っている者は、お金が不足していることを嘆いています。
	しかし、お金に困っていない者は、お金に不足しているとは嘆かないのです。
	これを”普通”のことだと思ったのであれば、あなたは無知な者でしょう。
	お金に不足していない者が嘆かないのではありません。
	嘆かないから不足しないのです。
	この考え方の違いを理解しなければなりません。
	この世界には因果の仕組みが存在しているのです。
	原因はあなた自身にあり、結果は状況に反映されます。
	あなたの思考や感情こそが原因です。
	結果があって、原因があるのではありません。
	例えば、お金という結果があって、心境という原因があるのではないのです。
	お金を所有するという状況は、心境の副産物に過ぎないということを覚えておきましょう。
	(お金を多く持てば優れているという意味ではありません。寧ろ反対です。愚か者は金銭に戯(たわむ)れるでしょう)
	すべては、意識によって始まるのです。
	あなたが不足に対して嘆く程、苦悩が続くということを覚えておきましょう。
	苦悩を得たくなければ、嘆くことをやめましょう。
	ただそれだけのことです。
	
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