誰にとっても、人生は苦悩です。
	すべての人が悩みを抱えて苦しんでいるのです。
	それは、人の目的が人格の解消にあるからです。
	人格とは、魂の問題の集合体です。
	人格は魂の歪みを集めたものなのです。
	人はそれを取り除き、純粋を得なければならないのです。
	成長するということは、純粋に近付くということです。
	それは決して、”複雑”になることではありません。
	難しくなることでもないのです。
	純粋とは、単純であり簡単です。
	人が成長を実現すれば、その人生は単純なものとなり、簡単なものとなるのです。
	成長した者の人生は単純で簡単であるために、苦悩が少なくなるのです。
	苦悩が多いということは、人格が強いということです。
	それは、自我を示しており、愚(おろ)かさを現すのです。
	自我が甚(はなは)だしい者ほど、自分勝手に振舞います。
	それは、物事の破滅を意味しています。
	自分勝手に振舞うほど、状況は悪化するのです。
	そのため、人は自分以外のために振舞う必要がありますが、自我(人格)を多く所有する者にはそれができないのです。
	人が幸福を得るためには、自我を離れる必要があるのです。
	自我を離れることによって、自分勝手な振舞いから離れることができます。
	自分勝手な振舞いから離れることによって、状況の破滅から離れることができるのです。
	状況の破滅から離れることによって、苦悩から離れるでしょう。
	あなたが改めなければならないのは、自分自身であるのです。
	多くの人は苦悩を抱えています。
	それは、自我に比例しています。
	自我を離れれば、苦悩は離れるのです。
	しかし、多くの者は無知を所有しています。
	そして、その無知を知恵であると思い込み、信仰しているのです。
	その結果、愚行を喜びます。
	愚行によって導かれるのは、苦悩なのです。
	しかし、多くの人はそれを誰かや何かの責任であると思い込むのです。
	自分勝手な思い込みによって、真実を歪めてはなりません。
	あなたが苦悩しているのは、あなたが無知であり、歪んでいるからなのです。
	あなたの魂の問題である人格によって、苦しんでいるのです。
	そのことを理解して、自らを改めなければならないのです。
	夜道を歩くのは危険です。
	それは、足元が見えないからです。
	自我を抱えて生きる者は、夜道を照らさずに歩む人のようです。
	その人は、自分が暗闇に落ち込むことを知りません。
	明かりを持たないのは自分なのです。
	夜道を歩くのに、誰があなたの足元を照らすのでしょうか?
	あなたが照らさなければならないのです。
	人は自分の明かりを所有しています。
	しかし、それを他人に譲(ゆず)ることはできません。
	それは、人が自分の明かりしか持たないためです。
	他人の明かりでは、あなたの道を照らすことはできないのです。
	自分の足元を照らさない者は、明かりを持たずに歩まなければならないのです。
	自我は、明かりを覆います。
	道を照らす明かりは、自我によって覆い隠されているのです。
	あなたが道を照らす明かりを欲するのであれば、自我を手放す必要があるのです。
	自我とは自分勝手な考えのことです。
	それは、傲慢(ごうまん)を築きます。
	自分勝手な者は感謝することがありません。
	感謝することがなく、文句ばかりを並べ立てる者が道を照らすことなどできないのです。
	それは、成長ではないからです。
	感謝することができない者は、苦悩を増すでしょう。
	周囲を観察しましょう。
	誰が苦悩し、誰が幸福を喜んでいるのかを知りましょう。
	そうなれば、あなたは自分が何をするべきなのかを知るでしょう。
	
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