人は、魂の段階によって必要な学びを受けます。
	人生とは、魂の段階に相応しい学びを受ける場所です。
	人は、それぞれに必要な学びを受けるのです。
	必要以外を受けることはありません。
	すべては、それぞれに必要な事柄なのです。
	それがどのような現実であろうとも。
	それは、成長のために導かれる問題です。
	その問題によって、人は苦しみます。
	人が成長するためには、苦しみを受ける必要があるのです。
	しかし、誤解してはなりません。
	この言葉を表面的に捉えてはなりません。
	この言葉の真意を理解するように努めましょう。
	深く考察し、その本質を受け取りましょう。
	そうでなければ、あなたはこの言葉から反対の結果を受けることになるからです。
	人は苦しみます。
	人生には苦しみが導かれます。
	あなたは苦しみから逃れることはできません。
	どこで何をしても、その苦しみは必ず追ってくるのです。
	あなたは、苦しまなければなりません。
	苦しみとは、問題との対峙です。
	人が問題と対峙した時、そこには苦しみという感情が導かれるのです。
	人が苦しんでいる時は、問題と対峙している時であるということを知りましょう。
	人生の目的は成長にあります。
	そのため、人が真の意味で幸福を得ようと考えるのであれば、苦しまなければならないのです。
	苦しまずに成長することはできません。
	楽なことばかりを求めて、どうして成長することができるのでしょうか?
	楽を求めては退行するばかりなのです。
	問題を解決しなければ、人は前に進むことができません。
	問題を放置すれば、人はその場に止まらなければならないのです。
	問題と対峙しなければ、それは決して解決することはありません。
	人が成長するためには、苦しまなければならないのです。
	多くの人が苦しみを”悪”と考えます。
	それを遠ざけること、それから逃れることを”善”と考えているのです。
	しかし、人生がそのように甘いものでしょうか?
	幸福は、苦しみを遠ざけ、それから逃れることで実現するようなものなのでしょうか?
	それならば、誰もが幸福であるはずです。
	しかし、現実はどうでしょうか?
	苦しみを遠ざけ、問題から逃れるような人物が、本当に幸福を得ているのでしょうか?
	そのような人物は、総じて不幸を得ているのです。
	ここで言う不幸とは、乏しさ、悩み、争い、怒り、悲しみ、迷い、絶望、無気力、虐(しいた)げ、無知・・・
	このような状態を得ることです。
	自らの問題(目の前の苦しみ)を拒絶するような人物は、これ等の中のどれかを得ているのです。
	同じ場所に生まれても、別の苦しみを抱えます。
	兄弟であろうとも、魂の段階には違いがあるのです。
	それぞれに必要な学びを受けなければなりません。
	文句は、人を盲目(もうもく)にします。
	受け入れることができない者には、真意は導かれないのです。
	真意を得るまで苦しみは続きます。
	拒絶する程に苦しみは増すでしょう。
	それでも良いのであれば、苦しみを拒絶し、逃げ回っていれば良いでしょう。
	どうするかはあなた次第です。
	あなたが好きに決めることができます。
	すべてが最善ではありますが、それを理解することができるとは限りません。
	冷静に考えなければなりません。
	この言葉を、深く受けなければなりません。
	
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