人は、力の及ぶ範囲を知らなければなりません。
	人には、それぞれに実力というものがあります。
	実力に応じて行わなければなりません。
	多くの人は自らの実力を知りません。
	自分が何者であるのかも知らないのだから、それも仕方のないことではあります。
	多くの人は、実力を知らないためにそれ以上を求めます。
	実力が及ばないにも関わらず、それを実現しようとします。
	実力以上の状況を実現しようとすることは、あなたに苦しみを導く行為ではありません。
	しかし、多くの人が実力を見誤り、実力以上の力を扱っているということに気が付きません。
	誰かや何かに頼ることのすべてが、あなたに苦しみを導くということではありませんが、実力以上の力を扱っているのであれば、その反動を受けなければならないということを覚えておかなければならないのです。
	この世界には、因果の仕組みが存在しています。
	すべては原因と結果によって構成されているのです。
	すべての結果には原因があります。
	実力以上の力を扱うという原因には、それに伴う反動を受けなければならないという結果が導かれるのです。
	実力の範囲ならば、反動を受けずに済みます。
	それは、実力によって結果を支配することができるからです。
	実力の範囲内であれば、あなたはどのような反動も受けることはないでしょう。
	それは、小さく動くけれども、安定した状態にあるのです。
	実力以上の結果を求め、実力以上の力を扱うのであれば、実力によって結果を支配することができないのです。
	それは、大きく動くけれども、不安定な状態にあるのです。
	微風(そよかぜ)ならば、樹木は耐えることができます。
	しかし、嵐に会えば、樹木は文字通り根刮(ねこそ)ぎ倒されてしまうでしょう。
	微風には耐えることのできる樹木でも、実力以上の暴風には耐えることができないのです。
	実力以上の力は、その人を飲み込みます。
	人は、実力以上の力に翻弄(ほんろう)されるのです。
	あなたが豊かに栄えることを望んでいるのであれば、何事も実力の範囲に収めましょう。
	それは、小さく動き、変化に乏しく見えるかもしれません。
	樹木の成長は決して変化に豊かなものではありません。
	何十年もの歳月を重ねて、巨大にそびえるようになるのです。
	一朝一夕によって、樹木がその巨体(豊かさ)を手にしたのではないのです。
	樹木は、小さな変化を積み重ねたのです。
	小さく得るものはあなたの蓄えとなるでしょう。
	大きく得るものはあなたを揺るがすのです。
	直ぐに伸びる草花は、微風に当たっても倒れることがあります。
	それは、大きく(早く)伸びるけれども、半年で滅びてしまうのです。
	あなたが豊かさを求めているのであれば、大きく求めてはなりません。
	小さく求めましょう。
	少しずつ溜めるのです。
	勢い良く注がれる水は、器からこぼれ落ちます。
	少しずつ注げば、水は器にとどまるのです。
	あなたは、自らの実力を知らなければなりません。
	できる限り、自らの実力の範囲内に収める努力をしましょう。
	物事を表面的に考えてはなりません。
	その場凌(ばしの)ぎの損得勘定によって、選択してはならないのです。
	その時に得をするからといって、実力に見合わない洗濯をしてはならないのです。
	実力以上の力を扱えば、問題が生じた時に、それは実力以上の問題となるからです。
	実力以上の問題が生じた時に、それを制することはできないのです。
	重要なのは管理なのです。
	”作って終わり”ではないのです。
	物事を無責任に行ってはならないのです。
	見栄を張るのは止めましょう。
	実力以上の力を扱うのは滑稽(こっけい)です。
	無責任に行い、”後のことは知らない”では済まされないのです。
	原因は、そのすべてがそれに相応しい結果を実現します。
	人は、力の及ぶ範囲を知らなければなりません。
	力の及ばない範囲のことに手を出してはなりません。
	そこでは、あなたは責任を果たすことができないのです。
	実力に応じて行わなければなりません。
	見栄を張るものではありません。
	それは、愚(ぐ)の骨頂(こっちょう)です。
	
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