あなたは、対象の本質を見極めなければなりません。
経験の意味とは、本質を見極めることにあります。
それが何であるのか?ということが本質です。
それを見極めることがなければ、経験に価値はないのです。
経験は、本質の見極めを以て価値となるのです。
ただ、だらだらと経験して良いものではありません。
それは、栄養の乏しい食物を食べ漁るようなものです。
どれだけ腹に詰めても、それが肉を満たすことはないのです。
栄養価の高い食物を少量、腹に詰めることの方が価値があるのです。
あなたは、物事の本質を見極めるように努めなければなりません。
そうでなければ、あなたの経験は価値の乏しいものになってしまうのです。
百年生きたところで、その人生には価値が乏しいでしょう。
人生が何であるのかも知らない人生に、何の価値があるというのでしょう?
あなたには答えることができますか?
栄養価の乏しい食物を腹に詰めるのであれば、欲求が増すばかりです。
本質を見極めることができなければ、人は経験の虜(とりこ)となってしまうのです。
本質を見極めることができない者は、多くの経験を必要としています。
それは、多くの”汚れ”を増すということなのです。
多く食するということは、多く貪(むさぼ)るということなのです。
多くの経験を必要とするのであれば、それだけ貧しいということなのです。
成長し、本質を見極められる人程、経験を必要とはしません。
それを経験する前から本質を得ているために、それ以上の経験を必要とはしないのです。
肉体は栄養が満ちれば、それ以上を欲しません。
しかし、栄養が足りなければ、再び求めなければならないのです。
人生において経験を必要としているのは幼い子どもです。
子どもは本質を見極めることに乏しいのです。
それは、経験が少ないからです。
本質を見極めるために経験の量が絶対的ではありませんが、経験が乏しければ本質を見極める可能性は少ないのです。
人は経験を得ることによって、本質を見極める必要があります。
そこには多くの経験が必要なのです。
ある程度の経験を得れば、次にあなたはそれを選り分ける必要があるのです。
栄養価の高い食物を選別し、少ない食物で肉を満たさなければならないのです。
より本質を得ることのできる経験を選り分け、それを自分のものとしなければならないのです。
あなたは経験を求めましょう。
初めは嫌で仕方の無いことであっても、それを長く続けていれば楽しく思えるでしょう。
それは、経験を選別することができるからです。
何事も、その本質を見極めるためには、経験を長く続けなければならないのです。
すぐに諦めてしまうのであれば、その本質を見極めることはできません。
それが何であるのかを知ることは、人の喜びとなるのです。
喜びが得られないからといって、簡単に諦めてはなりません。
簡単に喜びが得られる程、本質を見極めることは簡単ではないのです。
多くの人は百年経っても、人生の本質を知ることができないのです。
自分が誰で、何のために生きているのかを知らずにいるのです。
百年も生きるのにです。
あなたは、本質を見極める努力をしているでしょうか?
だらだらと経験を積み重ねてはなりません。
何度も同じことを繰り返してはならないのです。
素早く本質を見極め、少ない経験によって本質を見極めましょう。
経験が少ない方が優れています。
すべては、単純な程高度なのです。
少ない経験によって本質を見極められる方が優れているのです。
本質を見極めるためには、経験する以外に方法はありません。
あなたは多くの経験を必要としていますが、そこには本質を見極める努力が必要であるということを理解しましょう。
栄養価の乏しいものを大量に食するよりも、栄養価の高いものを少量に食するようにしましょう。
経験の質を高めましょう。
それは、あなたの心掛けによって実現します。
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