すべての人は価値観に従います。
	すべての行為は価値観に従って導かれ、人生はその通りに実現します。
	人生は価値観そのものであると考えましょう。
	価値観は、人の行為を左右します。
	人は、価値観にそぐわないものに興味を示しません。
	人が興味を抱き、楽しむものは、所有する価値観の中にあるものにだけなのです。
	それは、因果の仕組みです。
	価値観とは、人の行為の原因です。
	人の行為とは、価値観の結果であるということを理解しましょう。
	価値観に逆らうことはできますが、それは苦悩を意味します。
	価値観とは、人の支配者ではなく、喜びへの案内人なのです。
	人は、価値観に従って生きれば喜びを得ることが許されているのです。
	人によって価値観は違います。
	人が幸福を求めているのであれば、”できる限り”その価値観に従って生きることが求められるのです。
	しかしながら、多くの人は価値観に従うことをしません。
	それは、恐怖を抱えているためです。
	”やりたいこと”よりも、”安心すること”を選択するのです。
	それは、仕事に対して、遣(や)り甲斐(がい)よりも、収入を選択するようなものなのです。
	どのような選択も最善であり、間違いなどはありません。
	そのため、どのような道を進んでも構いません。
	すべてが正解です。
	しかし、選択によって受け取る結果は違うものとなります。
	人は苦悩を嫌うため、それを求めないというのであれば、”安心すること”よりは”やりたいこと”を選択する方が良いでしょう。
	恐怖を克服し、価値観に従うのであれば、より大きな喜びに会うでしょう。
	しかし、価値観に従うのは簡単なことではありません。
	恐怖(既成概念や常識)を克服し、価値観に従ったとしても、その価値観にも寿命があるのです。
	その価値観はやがて樹木の枝のように枯れ落ちてしまいます。
	あなたが成長すると共に、価値観は使い物にならなくなるのです。
	今はその価値観を喜んでいるでしょうが、後にはそれによって苦しむことになります。
	過去を思い出して恥ずかしく思うのはそのためです。
	価値観は形を変えます。
	それは、より本質的な変化を遂げるのです。
	子どもの頃に興味を抱いていたものに対して、大人になれば興味を失います。
	それは、より本質に近付いたためです。
	例えば、若い時に抱いていた愛に対して、歳を重ねた人はそれを軽薄であったと思い至るでしょう。
	若い時に思い描いた愛は幻想であり、全く本質を得ていないと知るのです。
	若い時には喜んでいた他人との関係性が、歳を重ねた人には喜べなくなるのです。
	あなたはそれを不幸だと思うでしょうか?
	多くの人はそれを幸福であると思うでしょう。
	若い時の愛と老齢の愛は違うものなのです。
	しかし、それを苦しむ人はいません。
	若人(わこうど)はその愛を喜び、老人もその愛を喜ぶのです。
	しかし、若人は老人の愛を喜びません。
	老人も若人の愛を喜ばないのです。
	それは、価値観に従ってはいないからです。
	若人は若人の価値観に従い、老人は老人の価値観に従う必要があるのです。
	それが幸福の定(さだ)めなのです。
	あなたが幸福を求めているのであれば、所有する価値観に従わなければなりません。
	価値観を否定し、”やりたくもないこと”によって”安心すること”を選択しているのであれば、老人が若人の愛を求めるようなものなのです。
	老人が若人の愛を求めれば、直(ただ)ちに苦悩が導かれるでしょう。
	あなたは、あなたの価値観を大切にしなければなりません。
	それは、寿命を終えますが、その時にも心配する必要はありません。
	価値観は成長と共に失われるのは自然のことなのです。
	その時に、習慣があなたを不安にさせるでしょうが、それを恐れてはなりません。
	一つの枝が枯れ落ちるのであれば、一つの新芽が育つのです。
	それは新たな枝となり、より豊かに育まれるのです。
	古い価値観に執着してはなりません。
	新たな価値観を育みましょう。
	
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