人は、謙虚でなければなりません。
どのような人も、謙虚さを忘れてはならないのです。
人生は学びの場所です。
すべての時間が学びなのです。
人生が学びを忘れることはありません。
その証として、無駄なことは何一つ存在しないのです。
人生において無駄なことがあるとするのならば、それを無駄と考える思考があるだけなのです。
振り返ってみれば誰にでも確認することができることではありますが、人生には無駄な時間など存在しないのです。
どのような時間も学びのためであり、あなたを成長させるためなのです。
すべてが大切な時間であり、大切な経験であるということを理解するのであれば、この世界が輝きを増すことに気が付くでしょう。
多くの人は人生の意味を履き違えています。
思い通りにいかないことの前では、人生が大切な時間であるということを忘れてしまうのです。
そのため、人生に対して簡単に文句を吐くことになります。
人生が穏やかな時には感謝することもできます。
しかし、少し荒れただけで感謝することは難しくなるのです。
雨は、大地を潤します。
雨が降らなければすべての生き物が生きることを難しくするでしょう。
しかし、少し降らないだけで人は文句を吐くでしょう。
そして、少し多く降るだけでも同じなのです。
思い通りに進むことが良いことだと思い込んでいる人間は、思い通りに進まない状況に対する免疫(めんえき)を失っているのです。
人に、天候を左右する力があるでしょうか?
雨は、自然界からの恩恵(おんけい)なのです。
雨は命そのものです。
すべての生命が雨を必要としているのです。
その雨は天から降り注ぎます。
最も高い場所から落ちた雨は、最も低い場所に注がれるのです。
すべての生命が必要としている雨は、最も低いところを好みます。
雨は、あなたの足の下を流れるのです。
あなたは、雨よりも必要とされているでしょうか?
あなたが傲慢(ごうまん)である理由はどこにあるのでしょうか?
思い上がって自惚(うぬぼ)れることに、何の益があるのでしょうか?
あなたは自分自身を省みなければなりません。
自惚れを所有する愚かな者は、他人と向き合うことによって自分自身を見失っています。
あなたは他人と向き合っている場合ではないのです。
あなたが向き合わなければならないのは自分自身なのです。
自分自身と向き合うことによって、身の程を知るのです。
そうすれば、人は謙虚さを忘れずにいられるのです。
他人の世話を焼くことは大切です。
しかし、自分を知らないのであれば、役に立つことはできません。
自分自身の身の程を知らない者が、どうして他人の役に立つことができるのでしょうか?
雨は自分自身の身の程を知っています。
そのため、高くから降りても、低くあるのです。
身の程を知らない者は、低くあるにもかかわらず、自分を高くします。
すべての人は低く生まれました。
しかし、傲慢が人を高くしたのです。
人が生まれた時、地を這(は)っていたのです。
それは、人が低くあることの示唆(しさ)です。
立って歩くことで、人は自分が大きなことをしていると勘違いしたのです。
あなたには何ができるというのですか?
あなたには、何もできないのです。
雨が降らないだけで命を失うのです。
何もできない者が思い上がってはなりません。
人は謙虚さを忘れてはなりません。
この世界に最も貢献している雨は最も低くあるのです。
あなたが世界に貢献したいと考えているのであれば、低くあるべきなのです。
低くあることによって、他人とは違う景色を見ることができます。
他人は高くあるために、高い景色を見ているのです。
それは、不足を理解するのに必要なことなのです。
不足を満たす人が貢献し、豊かさを得るでしょう。
人生に豊かさを求めているのであれば、低くあることを覚えておきましょう。
松岡様
返信削除数年前より拝見させていただいております!!
いつも学びをありがとうございます!!!
感謝です☆☆
Mr.T
Mr.Tさんへ
削除お役に立てているようで良かったです。
人の成長には上限が無いように思えます。
わたしたちはいつまで経っても未熟であるように感じます。
このもどかしさを原動力として学び続けなければならないように思えるのです。
人生に学びがあることは幸せです。
どのようなことからも学びを得られれば良いですね。
お互いに成長を目指して頑張りましょう。
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