この世界に無駄があるでしょうか?
あなたは無益なものを知っていますか?
これまでに、何の役にも立たないものがあったでしょうか?
深く考えなければなりません。
あなたが深く考えた時には、この世界に無駄がないということに気が付くはずです。
なぜなら、この世界には無駄は存在しないからです。
しかし、多くの人は無駄を知っています。
なぜでしょうか?
それは、立場を所有しているからです。
人は、立場を所有することによって視点(価値観)を固定し、偏見を所有します。
偏見は、物事の側面を見ることには優れていますが、本質を見極める力はありません。
偏見によって、人は物事の一面を見るために、無駄が存在するという錯覚を得ることになるのです。
偏見を所有しなければ、側面に拘(こだわ)る必要はなくなります。
あなたが立場を所有していないのであれば、本質を見極めることもできるでしょう。
立場を重視する人には、本質を見極めることはできません。
偏見をどれだけ探求しても、それは側面でしかないからです。
一面をどれだけ研究しても、全体という本質を理解することはできないのです。
主観から離れ、客観的に眺めなければ知ることができないことは多いのです。
多くの人は主観によって狭い範囲を見つめています。
狭い範囲をどれだけ見つめても理解には及びません。
大切なのは、無駄などないとする考え方です。
無駄を考えている人は、自らの所有する主観や方法が正しいと思い込んでいます。
その結果、”無駄”を生み出してしまうのです。
この世界に無駄は存在しませんが、保留は存在します。
無駄だと思い込んで諦めたものは、そのままの状態で保留されます。
それは、種を所有しているものの、それを蒔(ま)かずに保存しているようなものです。
種は水を得れば実りをもたらしますが、保留しているためにそうはなりません。
これが”無駄”であるのです。
あなたには努めたいと感じることがあるでしょう。
理由が分からなかったり、豊かさに繋がらずに悩んだり、苦しいけれど続けてしまう・・・
それ等は利益に直結しないために、無駄であるように思えます。
周囲の人達は、あなたの努力を嘲(あざけ)るかも知れません。
しかし、あなたは努めたいと感じることを続けなければなりません。
現状に役に立たないことであっても、将来には役立つものです。
船は山では役に立ちませんが、海では重宝するのです。
時代や環境、状況の変化によって、努力が報われるのです。
あなたが努めたいと感じることは、いつかどこかで必ず役に立つのです。
船を作っているのならば、海に行く時が来れば必ず役立つのです。
この世界には無駄は存在しないのです。
偏見を離れなければなりません。
あなたは努めたいと思うことを諦めてはなりません。
目先の利益を追い求めてはなりません。
なぜなら、本当に大切なものを見失うからです。
現代に通用することも、次代に通用するとは限りません。
現代には通用することがなくても、次代に通用すれば良いのです。
長い目で見る時、この世界には何の無駄も存在しません。
塵(ちり)の一つでさえ、”神”の子どもなのです。
人間には役に立たない塵も、微生物には重宝するものなのです。
偏見は本質を失わせます。
この世界に無駄が存在すると考えてはなりません。
それは、あなたから光を奪い、暗闇で道に迷わせます。
暗闇を行くために足を踏み外し、転落するのです。
無駄を認めなければ、あなたは光に照らされるでしょう。
その道に暗闇は存在せず、有意義なものとなるでしょう。
この世界に無駄があるでしょうか?
それは、”神(真理)”が無能であると主張することです。
本当にそうでしょうか?
”神”とは、この世界そのものです。
この世界は無能なのでしょうか?
深く考えなければならないでしょう。
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