すべては因果の仕組みによります。
	因果を生み出すのは魂です。
	魂は意思を発します。
	意思は行為に結び付きます。
	行為は原因となるのです。
	すべての人は、因果の仕組みと共にあるのです。
	これを逃れる人はいません。
	どのような人物であろうとも、必ず従います。
	人は自らの所有しているものによるのです。
	所有しているもの以外を選ぶことも、受けることもできません。
	原因に関わりのない結果を導くことは不可能なのです。
	あなたは、自らの所有していない原因による結果を導き出すことはできません。
	どれだけ求めても、それを得ることなどできないのです。
	”奇跡”などは起きません。
	すべては因果の仕組みの中に存在しているのです。
	そのため、”奇跡”とは説明の付く事象であり、当然の結果なのです。
	しかし、その経緯を理解することができないために、説明することができません。
	説明することができないという無知が”奇跡”であるはずがないのです。
	無知を救うことはできません。
	それは”奇跡”でも起きない限りは不可能です。
	しかし、”奇跡”などは起きません。
	無知である以上は救いようがないのです。
	どのような賢者も、無知な者を救うことはできません。
	なぜなら、無知な者が苦しむのは、因果の仕組みによるからです。
	すべての人は、自らの原因によって結果を受けるのです。
	苦しみという結果を受ける者は、苦しみの原因を所有しているに過ぎないのです。
	それは、自分自身の問題であり、他者には関係のないことなのです。
	そのため、どのような賢者も、無知な者を救うことはできないのです。
	しかし、多くの無知な者は、無知であるが故(ゆえ)にそのことを知りません。
	そのため、救われないのです。
	あなたには無知な者を救うことはできません。
	真理を述べても、相手は無知によって愚行を繰り返すのです。
	無知な者が救われるためには、自分自身の意思(意識)を変える必要があるのです。
	それは、原因を変えることになります。
	それは、本質的な変化なのです。
	何かに対して苦しんでいる者は、自分が無知であるということを理解する必要があります。
	そして、自分自身を救うことができるのは自分だけであると悟るのです。
	賢者から学び、自力によって結果を導くのです。
	それ以外の方法によって救われることなどないのです。
	無知な者を諭(さと)しても、それを聞き入れることはありません。
	無知な者はそれに激情し、賢者(知恵)を拒絶します。
	そのため、無知な者を諭す必要はありません。
	無知な者は苦しむ必要があるのです。
	そうでなければ、人の意見を受け入れることができないからです。
	無知な者も、いつかは悟ります。
	苦しみの果てに悟るのです。
	無知な者を救うためには、辛抱強く待つことです。
	無知な者が自ら求めるまでは、何も受け入れることはありません。
	そのため、自らが求めるまで待つのです。
	自らが求めるのであれば、その原因によって初めて救われるのです。
	他者が救うなどと誤解してはなりません。
	”奇跡”を信じて待ってはなりません。
	それ等は無知の成せる業(わざ)なのです。
	あなたは気が付かなければなりません。
	受け入れることによって悟りを得ましょう。
	すべては因果の仕組みによります。
	聡(さと)い人でありましょう。
	
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