人は、その腹に満たすものによって影響を受けます。
人を決めるのは、腹に入るものです。
人は、腹に入るものによって簡単に変化します。
それに抗(あらが)う術はないでしょう。
腹に入ったものによって、左右されるということを覚えておかなければなりません。
水を飲めば潤います。
野菜を食べれば力が湧きます。
果実を食べれば喜びを得るでしょう。
しかし、毒を飲めば苦しみます。
毒を飲めば、誰もが必ず苦しむのです。
それは、毒によって破壊がもたらされるからです。
そのため、人が苦しみを求めないのであれば、毒を飲み込まないように努めなければならないのです。
それが食物であるのならば、人体の報告によってそれを判断することができます。
それが食べることのできない毒であるのならば、味や痛みなどの明確な違和感によって知らせるのです。
しかし、あなたは人体ではありません。
人体はあなたの一つの側面に過ぎません。
あなたは人体でもあり、精神でもあるのです。
人体が食物を得るように、精神は知識を得るのです。
様々な情報は、精神にとっての食物です。
様々な情報を、あなたは精神の腹に満たすのです。
厄介(やっかい)なのは、知識というものは区別が付き難(にく)いということです。
情報にも、食物と同じように”合う合わない”があります。
今のあなたの精神にとって”合う”情報は力となります。
しかし、今のあなたの精神にとって”合わない”情報は毒となるのです。
人体に比べ、精神は反応を明確には示しません。
毒を腹に満たそうが、それに気が付かないという状態もあるのです。
多くの人が苦悩を抱えています。
しかし、その原因を知ることは稀(まれ)です。
苦悩の原因が毒の情報にあるにもかかわらず、そのことに気が付きません。
自分が苦しんでいるのは、誰かや何かが悪いと考え、不安や争いを繰り返すのです。
無知であっては、苦悩は決して解決しません。
それは、今のあなたの精神にとって力となる情報によって腹を満たさなければ、毒の情報によって満ちた精神の改善は見込めないからです。
繰り返しからの脱却がなければ、苦悩は決して解決しません。
同じことを繰り返すということは、無知な状態を繰り返すということです。
力となる情報を得ることによって、人は無知を克服することができます。
何が今のあなたの精神にとって力となる情報であるのか?を知るためには、とにかく情報を集める以外に方法はありません。
情報を集めることによって、思考回路や生活習慣は変わります。
生き方が変わった後に、同じ苦しみによって悩まされるということがあるでしょうか?
生き方が変わったのであれば、そのような苦悩に出会うことはないのです。
毒を食べなければ、腹痛に襲われることもないのです。
あなたは情報(知識)を精査しなければなりません。
溢れている情報を、何もかも飲み込んでいてはなりません。
その中には多くの毒が含まれているのです。
与えられるもので腹を満たしてはなりません。
いつまでも同じことを、何の根拠もなく繰り返してはなりません。
どのような理由で、あなたがそれを行うのですか?
伝統というだけで、価値があるのですか?
時代が変わったのに、続ける意味があるのですか?
それは、偽りであり、過ちであるということはありませんか?
あなたは、それを本当に繰り返す意味があるのか?ということを考えましょう。
無知な者には考える力がありません。
そのような者はしばらくの間苦しんでいましょう。
残念ですが、仕方のないことです。
誰も、あなたの腹に食物を運びません。
あなたが自分自身の判断によってそれを食らうのです。
その情報がどのような意味を持つのか?ということを考え続けなければなりません。
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