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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年12月7日月曜日

実質的な貢献

すべての人は、世界に対して貢献しなければなりません。
これは強制ではありません。
しかし、誰もがそれを望んでいるはずです。
大切なものを守るためには、世界に貢献する必要があるからです。
すべての人が世界に貢献した時、そこに脅威が存在するでしょうか?
貢献することがないために、脅威が発生するのです。
誰もが世界の幸福を考え、行動するのであれば、脅威など存在するはずがないのです。
苦しいこと、辛いこと、嫌なことはあるでしょうが、それが脅威となることはないのです。
苦しみも、辛さも、嫌なことも、大切なものを守るための動力となるからです。
陰陽すべてが必要です。
人が世界に貢献する時には、陰陽すべての力が動力として働くのです。
貢献とは、建設的な作業であり、それは建設的なエネルギーです。
建設的に創造するのであれば、苦悩が脅威となることなどないのです。
人生をどのようなものにするかは自分次第です。
あなたの意思によって、どうするかを決めることができるのです。
世界に貢献しようとすれば、人生は輝きを放ち、希望に満ちたものとなるのです。
しかし、世界に対して貢献することをせず、自分勝手に利を貪(むさぼ)っているのであれば、その行為の故(ゆえ)に苦しみに会うのです。
あなたが大切なものを守りたいと考えているのであれば、世界に対して貢献することを考えていましょう。
大きなことをする必要はありません。
あなたにできること、それも、今すぐにできることから始めれば良いのです。
できることを実行することが貢献なのです。
できることをしない者がいます。
そのような者が世界に貢献することなどできないのです。
実質こそが事実なのです。
見せ掛けは通用しません。
人生は実質を反映するのです。
どのように立派な言葉を並べ立てても、そこに行為という実質が伴っていなければ、貢献したことにはなりません。
人は生み出す(行動する)ことによってのみ、実質を実現するのです。
あなたは実質的に貢献しなければなりません。
どのようなことでも構いません。
しかし、懸命に行わなければなりません。
人助けは、最高の貢献です。
しかし、その人を助けるためのあなたの力添えの判断は、相手に任されています。
相手がそれを許可しなければ行えません。
あなたが苦しんでいる人を助けたいと思っても、相手がそれを求めなかったり、許さなければ行うことはできないのです。
多くの人は、貢献する気持ちが焦り、相手の許可を得ようとはしません。
そして、強要という形に至るのです。
それは、決して貢献などではないのです。
人助けであれば、相手に感謝されてこそ貢献であるのです。
どれだけの強い気持ちで人を助けたいと思っても、それを求め、許す相手がいないのに、その方法に執着してはなりません。
今できることをするのです。
助けを求め、それを許す人が目の前にいないのであれば、あなたはその気持ちを自分自身に向けるようにしましょう。
助ける相手がいない場合は、自分自身を助けるのです。
それは、貢献するために自身を成長させるということです。
助ける相手がいないのに、助ける相手を探してはなりません。
あなたが成長すれば、あなたの助けを求め、それを許す人が必ず現れるからです。
あなたにその状況を導くのは”神”です。
あなたは焦る気持ちを抑え、自身の成長のために与えられた時間と労力を使いましょう。
その時に成長することができなければ、貢献する機会を失うことになります。
成長しなければ求められず、許されないのです。
これは、どの世界においても同じことです。
あなたが頼りにする相手がどのような人物であるか?ということを考えれば明白です。
力のある者を頼りにするでしょう。
力は、自力によります。
時間と労力を余らせたり、成長に対して関係のないことに使ってはなりません。
(厳密には、成長に関係の無いものはないが、関係性の弱いもの。例えば、悪口や暴力、怠慢や乱心などである)
誰も求めず、誰も許さない時には、自身を深く掘り下げましょう。
あなたが成長することが(後の)世界の貢献に繋がります。
無駄な時間も労力も存在しないのです。
あなたはそれを大切なことのために使いましょう。
実質的な貢献を忘れてはなりません。

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