人が豊かな人生を実現するためには、多くの可能性を必要とします。
可能性の数こそが、豊かさの確率です。
可能性が乏しければ、豊かな人生を実現する確率は少ないのです。
可能性の数ほど、豊かな人生を実現する確率が上がるということを理解する必要があるでしょう。
可能性とは興味です。
興味の数によって、可能性の数が決まります。
人が興味を示すものに対しては、それを自主的に学びます。
それは、知識となり、知恵となり、知性となり、人格となり、働きとなり、状況となり、人生となるのです。
それ等は、興味を示さないものからは得られない宝なのです。
興味という原因があってこそ、導かれる最高の結果であることを覚えておく必要があるでしょう。
興味とは、とても小さな働きです。
それは、樹木で言う所の新芽です。
それは、とても小さな芽吹きであり、注目しなければ気付きもしない生命活動なのです。
新芽は小さな葉を付けます。
それはやがて細い枝を伸ばします。
それはやがて葉を増やします。
それはやがて枝を太くします。
それはやがて花芽を設けます。
それはやがて花を咲かせます。
それはやがて実を付けます。
それはやがて豊かさをもたらすのです。
新芽とは、果実への可能性です。
新芽がなければ、果実は実現しません。
どのような果実も、注目しなければ気付きもしないほど小さな新芽から始まるのです。
芽吹きが多いほど、果実への可能性は高まります。
なぜなら、様々な要因によって、枝は失われるからです。
陽が当たらずに枯れ落ちる枝があります。
動物や昆虫などによって損なわれる枝があります。
風雨や降雪によって折られる枝もあるのです。
様々な要因によって枝は失われますが、枝数が多ければ、枝が失われる可能性よりも、果実を付ける可能性は高いものになるのです。
樹木の目的は果実を付けることにあります。
樹木にとっては、果実を付けることが豊かさなのです。
それは、人にとっても同じです。
実り(幸福)ある豊かな人生こそが、人の求めるものだからです。
すべての枝が生き残り、果実を付けるのではありません。
すべての興味が幸福に繋がるのではないのです。
しかし、少ない枝では最大でも少ない実りにとどまり、そこから実際に得られる果実は最大数よりも少ないものとなるのです。
興味の少ない人には、知識が少ないのです。
知恵も、知性も、人格も、働きも、状況も、人生も乏しいものになるのです。
年齢や時代と共に、多くの興味は失われます。
それは、専門性が高まるということです。
それは、視野の狭まりに繋がるのです。
そのため、老人には新たな興味を得ることは難しいのです。
それは、老木が新芽を多く得るのが難しいようにです。
豊かな人生を実現するためには、多くのものを諦めなければなりません。
専門性を得なければ、幸福という結果を導くことは難しいのです。
何の特徴も、特殊性もなければ、貢献することは難しいのです。
一つの街に同じ業種の仕事しかなければ、どうやって互いに貢献するというのでしょうか?
互いが小さな市場を奪い合い、争うことによって破滅する以外に方法はないのです。
すべてが別々の業種の仕事であれば、争いなどはなく、それぞれが貢献していくことができるのです。
あなたは自らの心に従いましょう。
そこには何等かの興味が存在しているはずです。
世間体を気にする余り、自らの興味、可能性を摘(つ)み取ってはなりません。
誰が何と言おうとも、自らの興味を大切に育まなければなりません。
樹木の種類が違えば、違う花を咲かせ、違う実を付けます。
リンゴにはミカンのことは分かりません。
ミカンにもリンゴのことは分からないのです。
あなたの興味は、やがてあなたの花を咲かせ、あなたの実を付けます。
それは、誰も実現することのできない果実です。
それによって、あなたは世界に貢献し、やがては世界を変えることができるのです。
興味を育みましょう。
可能性を育むのです。
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