生まれを嘆(なげ)く必要はありません。
	それは、あなたに相応しいからです。
	それは、あなたの宝となり、あなたに幸福をもたらすでしょう。
	しかし、多くの人は生まれを嘆きます。
	自分のことが気に入らないのです。
	そこで、多くの人は自分を否定します。
	自分ではない誰かに憧れ、その誰かに成ろうと考えるのです。
	しかし、それは、人を幸福にするでしょうか?
	自分を否定し、自分でない何者かに成るということで、人が幸福を得られるのでしょうか?
	あなたは深く考えなければなりません。
	すべての人は、役割を以て生まれたのです。
	この世界に無駄は存在しません。
	不要なものが存在しない世界において、そのような人は存在しないのです。
	すべての人が、この世界に必要な役割を担っています。
	この世界に必要な役割とは、目立つようなものとは限りません。
	著名(ちょうめい)な者が優れているのではないのです。
	多くの富を生み出す者が優れているのでもありません。
	自らに与えられた役割を果たす者が優れているのです。
	人は、その生まれに従って行わなければなりません。
	持って生まれたものを否定してはならないのです。
	必要であるために、それを与えられたのです。
	それは、あなたの役割を果たすのに役立ちます。
	しかし、多くの人は自らの役割を知りません。
	そのため、安易に否定するのです。
	気に入らないという理由で否定しても良いのでしょうか?
	それは、有益な選択であるのでしょうか?
	気に入らないという理由で否定しているのであれば、この世界には何も残りはしないのです。
	自分を気に入らない者は、他の何も気に入ることができません。
	なぜなら、すべては自分から生じるからです。
	原因は常に自分自身にあるのです。
	自分のことさえ気に入らない者には、何も気に入るものなどないのです。
	そのため、気に入らないという理由で否定することは、愚行であるということを理解する必要があるのです。
	多くの人は生まれを嘆きます。
	生まれを否定することによって、幸福が得られると考えているのです。
	それによって、地上の富を得ることはできるでしょう。
	生まれを否定することによって、金銭や地位や名誉を手にすることはできるかも知れません。
	しかし、それは生まれた意味を否定することに繋がるのです。
	生まれた意味を否定するということは、生まれた意味を果たさないということです。
	生まれた意味を知らずに生きることで、あなたは幸福を得ることができるのでしょうか?
	生まれ持った役割を果たすことなく、あなたは幸福なのでしょうか?
	深く考える必要があります。
	地上の富をどれだけ手に入れても、あなたの心が満たされるでしょうか?
	金銭や地位や名誉を集めるだけ集めて、その後にどうするのですか?
	そのようなことで幸福なのですか?
	あなたの幸福とは、その程度のことなのでしょうか?
	生まれを嘆いてはなりません。
	それは、あなたに相応しく、あなたに必要です。
	あなたの問題を改め、あなたに悟りを得させます。
	生まれ持ったすべては、あなたの糧(かて)となるのです。
	誤解してはなりません。
	”わたし”は我慢しろと言っているのではありません。
	それに止まれと言うのではないのです。
	自分を否定してはなりません。
	どのようなコンプレックス(劣等感)も役に立つと言っているのです。
	受け入れましょう。
	生まれは、あなたの宝となります。
	
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