人にはそれぞれの役割が与えられています。
	それは、独自の考え方を生みます。
	独自の考え方は、独自の価値観を形成します。
	独自の価値観は、それぞれの立場を隔(へだ)てるのです。
	人は、それぞれの役割に因(ちな)んだ立場を所有します。
	人は、それを離れることはできません。
	そのため、人はそれぞれの立場を離れることをせず、その価値観を捨てることができないのです。
	それは、強情を導きます。
	人は、それぞれの役割を果たそうとしているのです。
	そのために、強情になり、頑固さは増すのです。
	人は、他人の意見を受け入れることができません。
	それがどのように合理的な意見であっても、簡単には受け入れません。
	なぜなら、人は自らの立場と、そこでの役割を守ろうとするからです。
	それは、無意識の内に行われます。
	それが、自我と呼ばれる歪みを導くのです。
	人にはそれぞれに役割が与えられ、それを果たす必要があります。
	しかし、自分自身がそのままの状態では、それを果たすことはできません。
	すべての人が未熟な状態から始めなければなりません。
	未熟な状態のままでは、自らの役割を果たすことはできないのです。
	そのため、人は努めて経験し、自らを高めなければなりません。
	知識と技術を磨き、知性を高め、人格を育まなければならないのです。
	そのためには、自らの役割に執着し過ぎるのは好ましくないのです。
	自らの役割を果たそうとすることは良いことです。
	しかし、それに特化するあまり、未熟さを克服することができずにいることは問題です。
	専門性を高めるためには、専門的であってはならないのです。
	道を進むためには、他の道を知る必要があるのです。
	例えば、花屋を営むためには、花の知識だけがあれば良いという訳にはいきません。
	営みとは、”連動”だからです。
	一つの知識を用いても、決して上手くは進まないのです。
	花屋が花屋としての役割を果たすためには、花の知識に直接的な関係を持たない知識(経営(理念、手段)、法律、時代(社会学)、環境(競合、立地)、状況(資金、運用)、心理(接客、人間関係)、美術(レイアウト、ムード)などの知識)を必要としているのです。
	人にはそれぞれの役割が与えられています。
	それは、人生という場所においての役割です。
	あなたは自らの役割を果たさなければなりません。
	それは、金銭を集める役割やサバイバルに限ったことではありません。
	それは、あなたの生まれた意味です。
	それを果たさなければならないのです。
	意地を張り、自我を貫いたところで、専門性は高まりません。
	あなたが生まれた意味を果たすためには、受け入れなければならないのです。
	あなたの興味に関係のないことも、学ぶ必要があるのです。
	あなたの直接的な利益に関係しないことにも努めなければならないのです。
	別の道を知ることによって、道を生きることができます。
	他人の意見を受け入れることによって、あなたは知恵を増すことができるのです。
	他人の意見を受け入れない者が、知恵を増すことはありません。
	学習意欲に乏しい者は、自らの役割を果たすことはできないのです。
	誰の意見なのか?ということは重要ではありません。
	その意見が真理に沿った本質的なものであれば良いのです。
	人は立場を基準として考えるために、その判断が歪んでいるのです。
	そして、意見が誰から出たのか?という無価値な価値に執着するのです。
	何が重要なのか?ということを考えなければなりません。
	小さな世界に引き籠(こも)っているのならば、人は専門性を失い、人生の意味をも失ってしまうのです。
	あなたは多くを学ばなければなりません。
	同じ範囲であっては、学びは限られるのです。
	別の範囲には、多くの刺激(違い、気付き)が存在しているのです。
	隣の家で夜を明かせば、あなたは多くのことを学ぶでしょう。
	それは、あなたをより”あなた”に近付けます。
	新鮮な経験によって未熟を克服するのです。
	役割に因んだ立場に執着してはなりません。
	広く学びましょう。
	
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