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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年12月17日木曜日

知性の誉れ

人は知性を求めなければなりません。
知性とは、生きた知識のことです。
知性を得るためには、知識が必要です。
それは、肉体を形成する細胞や臓器のように重要な役割を果たします。
知識の基礎がなければ、知性が生じることはないのです。
知識が足りなければ、細胞や臓器の足りない肉体を得るようなものです。
それは、とても不自由です。
(何等かの障害や怪我を負っている人を卑下(ひげ)した意味ではありません。また、不自由が悪いという意味でもありません)
あなたがこの世界で自由に活動するためには、より多くの知識が必要となるのです。
あなたは知識を求めましょう。
それは、人の話(体験談、人生観、方法論など)を聞くことで得られます。
それは、書籍(筆者の英知)を求めることでも得られます。
それは、自分自身の考察によっても得られます。
知識は、それを求めるのであれば、どのような状況からも得ることができます。
とにかく求めることが重要なのです。
しかし、知識を求めるだけでは知性を得ることはできません。
多く蓄えた知識を知性に育むためには、志(こころざし)という力が必要なのです。
知識とは肉体のようなものです。
志とは生命なのです。
肉体と生命が協力することによって、人は世界に存在することができるのです。
どちらが欠けても自由を得ることはできません。
知識と志とが協力することによって、あなたは知性を得ることができるのです。
その知識は、何のために使われるのでしょう?
知識を使う予定の無い者は、知識を求めません。
知識を求めない者には志が無いのです。
そのような者が知性を得ることは不可能なのです。
人は主観の世界を生きています。
自らの認識を通した世界を生きることを強制されるのです。
誰もが、主観によって生きているのです。
世界は心を映します。
知性を得た者と、無知な者が生きる世界は違います。
無知な者は同じ世界を生きているように思うでしょうが、別の世界を生きているのです。
知性を得た者が、無知な者と同じように喜べるでしょうか?
幼い頃の喜びが、成熟した時にも続いているでしょうか?
いつまでも同じ遊びを喜べるでしょうか?
知性ある者は無知を嫌い、無知な者は知性を嫌うのです。
両者はコンプレックス(劣等感)によって反目します。
知性を得た者は無知に対して、無知な者は知性に対してコンプレックスを抱えているのです。
多くの場合、知性を得た者はより多くの知識を求め、無知な者は知識を憎みます。
そうして、互いの住む世界が離れるのです。
あなたは知識を求めなければなりません。
知性を離れた喜びというものが存在するでしょうか?
下劣(げれつ)な喜びがありますか?
喜びとは知性の誉(ほま)れです。
本来は、無知が所有する喜びというものは存在しません。
なぜなら、無知の誉れとは苦悩であるからです。
しかし、無知な者はそれを(無知によって)喜びとして享受(きょうじゅ)しているのです。
そのため、無知な者は必ず苦悩に会うのです。
この世界に苦悩に会わない人がいるでしょうか?
すべての人が苦悩に会うのです。
それは、すべての人が無知であるからです。
知恵を得たとしても、それはより大きな知性の前では無知に等しいのです。
そのため、あなたは常に知識を求め、知性を高めるように努めなければなりません。
学びを中心とした人生を築きましょう。
知識を得なければなりません。
手にした知識を殺してはなりません。
志によって、知識に命を与えましょう。
知性の誉れを喜びましょう。

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