人生は、因果の仕組みによって実現します。
人生が因果の仕組みを離れることはありません。
あなたは常に、原因に相応しい結果を受け取るのです。
原因に相応しくない結果を受け取ることはありません。
無知な者はそれを”奇跡”と呼びますが、知恵を以て見れば、この世界には”奇跡”などという幻想は存在しないことが分かります。
すべては原因によって導かれる当然の結果なのです。
結果に対する原因を理解することができないために、それを”奇跡”だと安易に呼ぶのです。
成り立ちを持たない結果など存在するでしょうか?
人が無知であるために、神秘は存在します。
しかし、神秘が”奇跡”ではありません。
すべてには、神秘的な成り立ちがあるのです。
”神秘的な成り立ち”という言葉は矛盾していますが、人の状態を現すためにはこのような矛盾の言葉を用いなければならないのです。
それは、人が無知によって矛盾を抱えているからです。
多くの人は矛盾を生きています。
しかし、当然の結果を”奇跡(偶然、奇遇、幸運、不運、災難など)”だと思う者は、自らの矛盾にさえ気が付かないのです。
そうして、無知が蔓延(まんえん)するのです。
無知は矛盾を生み出します。
矛盾は苦悩を導くのです。
人が無知を克服しない限りは、苦悩は続くのです。
無知を所有しているにも関わらず、自らを幸福だと思い込んでいるのは”奇跡”以外の何物でもないのです。
あなたは無知に注意しなければなりません。
矛盾に陥らないように努めましょう。
大切なのは”受け取る力”です。
理解力と言っても良いでしょう。
受け取る力が乏しければ、無知が克服されることはありません。
重要な価値観、考え方、生き方に出会っていたとしても、受け取る力が乏しければ、それを自分のものにすることはできないのです。
無知を克服するためには、知恵を実現する必要があります。
知恵を実現するためには、新たな価値観、考え方、生き方を吸収する必要があるのです。
自分自身に(内面的な)変化がなければ、知恵が実現することはないのです。
知恵とは、自分自身の(内面的な)事柄だからです。
すべての人は苦しみに会います。
多くの人はそれを苦しみとして受け取ります。
しかし、僅(わず)かな人はそれを喜びとします。
同じものを得ても、結果は違うものになるのです。
それは、受け取る力の差です。
人生は平等です。
”奇跡”を信じる無知な者にはそのようには映りません。
人生は違う形で平等であるにも関わらず、無知な者にはそのことが理解できません。
そのため、不平不満を吐くのです。
不平不満を吐いている者が、幸福を実現することができるでしょうか?
あなたはそのような者を支援したいと思いますか?
同じ商品を売っているとして、あなたは感謝する者と、不平不満を吐く者のどちらから買いますか?
知恵のある者と無知な者と、どちらを重要視しますか?
受け取る力に豊かな者と、受け取る力に乏し者と、どちらに話すでしょうか?
どちらと共に過ごすでしょうか?
受け取る力の強化なくして、人生の幸福は実現しません。
苦しみと共に生きて、どうやって幸福を実現するのですか?
苦しみと幸福が共存するでしょうか?
苦しみは、苦しいのです。
受け取る力が豊かであれば、それを苦しみとは思いません。
受け取る力が乏しいがために、それを苦しんでいるのです。
思い通りに進まないことが苦しみなのでしょうか?
考察しなければなりません。
受け取る力があなたの原因となります。
無知による誤解は問題を引き起こし、知恵による理解は幸福を導くのです。
人生がどうなるかは自分自身の事柄です。
人生を決定するのは、(多くの場合)受け取る力のレベルであるということを知りましょう。
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