あなたは、与えられたもので喉(のど)を潤してはなりません。
与えられたもので腹を満たしてはならないのです。
あなたは熟考しなければなりません。
安易な考えてによって、何もかもを腹に収めてはならないのです。
この世界には真偽が存在しています。
それは、真実であるかも知れませんが、偽りであるかも知れません。
自然界には”騙(だま)し合い”が存在しています。
それを否定することはできません。
すべての存在が姿を偽り、行為を偽り、利を得ているのです。
自然界では、偽りによって難を逃れ、偽りによって腹を満たすことができるのです。
上手く偽ることができたものが生き残るのです。
生きるためには、偽りと共になければならないのです。
人は自然界の存在です。
しかし、それは、人体の話です。
人体は自然界の一部です。
しかし、人は人体ではありません。
人は魂という意識であるのです。
あなたは魂です。
あなたの親は、あなたの人体を生みましたが、あなたの魂を生むことはできないのです。
魂を生むことができるのは”神”であるということを覚えておきましょう。
誤解してはなりませんが、あなたの親は人間ではありません。
あなたの人体の親は、親の人体です。
しかし、あなたの魂の親は”神”なのです。
”神”をどう呼ぼうとも構いません。
創造主、高次の存在、真理・・・
好きに呼べば良いでしょう。
厳密に言えば、自然界はあなたの世界ではありません。
それは、あなたの人体の世界なのです。
そのため、人体のために、自然界を大切にしなければなりません。
しかし、人の本質は魂です。
そのため、いつまでも偽りを楽しんでいてはならないのです。
人は、偽りを発します。
それは、自分自身の本質を人体であると考えているからです。
そこには無知が存在するのです。
無知によって、人は偽りを発し、偽りを受けるようになるのです。
自然界では騙したものが勝利者ですが、人の世にあっては敗北者です。
なぜなら、人生というものは生存競争ではないからです。
人生が生存競争であるなら、人が自ら命を絶つことはありません。
本能に従って生存を続けるのです。
眠気を満たし、性を満たし、腹を満たしていれば幸福であるなどということはないのです。
そのような本能的な欲求をどれだけ満たしたとしても、魂である人が満たされるはずがないのです。
勘違いしてはなりません。
人生は生存競争ではないのです。
誰かを騙す必要も、誰かに騙される必要もないのです。
与えられたものを精査することがなければ、あなたは必ず騙されてしまいます。
与えるものを精査することがなければ、あなたは必ず騙してしまうのです。
自らを人体であると思い、人生が生存競争だと考える愚かな者には、偽りが付き従います。
そのような者が真実によって満たされることはないのです。
与えられたもので喉を潤してはなりません。
与えられたもので腹を満たしてはなりません。
それは、”毒”であるかも知れません。
信頼の置ける人からの恵みであっても、疑う必要があります。
ただし、人を疑うのではありません。
その人の知識や行為を疑うのです。
どのような人にも無知が存在します。
そのため、全幅の信頼というものは実現しないのです。
何も考えずに盲信(もうしん)するのであれば、それは宗教的な歪んだ関係性へと発展します。
良く考えましょう。
冷静に精査するのです。
熱狂的になってはなりません。
目の前の”それ”が、本当に喉を潤し、腹を満たすのか?ということを考えましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿