すべての人は真実を探し求めます。
それは、真実ことそがあなたを納得させ、満足させるからです。
すべての人は納得したいのです。
すべての人が満足を求めています。
そのため、真実を欲するのです。
しかし、真実を探しながらも、真実が何であるのか?ということには無頓着(むとんちゃく)です。
多くの場合、真実とは、自分に都合の良いものであるのです。
人は、真実を作り上げます。
事実と異なる状態であろうとも、それを真実に作り上げてしまうのです。
それは、都合の良い解釈によって、都合の良い立場を求めているからです。
そのため、多くの場合、自分にとって都合の良いものが真実となるのです。
多くの人は多くの場合、都合の良いものを真実として認め、都合の悪い真実を受け入れようとはしません。
それは、事実を歪める結果となり、真実からは遠ざかるのです。
真実とは相互的であり、多面的です。
それが一方的であるはずがありません。
人は真実を自分の立場によって定めます。
立場が変われば、正義が変わるように、真実も変わってしまうのです。
多くの場合、真実というものは一方的な解釈にとどまるのです。
そのため、この世界には多くの真実が存在しているのです。
人の数だけ真実が存在しているといっても過言ではないでしょう。
自分の都合の良い解釈によって、一方的な真実を振りかざすのであれば、人は偏った結果を受けることになります。
偏った結果とは、どちらか一方の手に重い荷物を持って歩くようなものです。
人は真っ直ぐに歩んでいるつもりでも、荷物を持つ方に引き寄せられ、結果として目的地には辿り着けないのです。
一方的な真実に陥ってはなりません。
あなたは、常に相互的、多面的に真実を探らなければならないのです。
自分の信じる真実は、自分の立場によって生じる幻です。
それは、有るようで無く、無いようで有るのです。
立場によって簡単に変化するものが、どうして真実なのでしょう?
どのような立場を以てしても通用するのが真実であるはずです。
しかし、人が立場を手放すことはできません。
この世界においては、すべての人が何等かの立場を持たなければならないのです。
そのため、中正(ちゅうせい)に位置し、中立であるということはできないのです。
あなたにできることは、何等かの立場を持ちながらも、その立場に偏らないように努めることです。
相手がどのような立場を持ち、そこから派生するのはどのような価値観であり、考えであり、行為であるのか?ということを意識し続ける必要があるのです。
真実は一つであると思い込んでしまえば、人は分裂を経験することになるのです。
あなたは立場を察しましょう。
それぞれに真実が異なるのです。
しかし、それぞれが真実を所有しています。
自分の真実が正しく、相手の真実が間違っているということはないのです。
それぞれの真実が、それぞれの立場によって正しいのです。
自分の立場であれば自分の答えが正しく、相手の立場であれば相手の答えが正しいのです。
そのことを理解する必要があるでしょう。
あなたが真実を求めるのであれば、愛を重視する必要があります。
真実を得るためには、愛の力が欠かせないのです。
愛とは、すべての存在を繋ぐ力です。
それは、何ものをも否定せず、すべてに共通します。
善人も悪人も、同じ愛を所有しているのです。
(善人と悪人は立場による幻)
あなたは愛によって、相互的、多面的な解釈を手に入れましょう。
一方的な解釈にとどまってはなりません。
真実が偏るはずがありません。
反論を受けるのであれば、それは”どこかに”一方的な解釈が有るということを理解しましょう。
真実であれば、反論を受けることはないのです。
それが真実であれば認められ、相互関係の中で熟成されることでしょう。
愛を以て、真実を探しましょう。
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