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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年12月25日金曜日

視点の執着

あなたは一つの視点に執着してはなりません。
多くの場合、人は自分自身が”気に入った”一つの視点に執着しています。
”気に入った”とはいえ、怒りや悲しみや苦しみなどの視点も、それに含まれます。
あなたの選択こそが、あなたの”気に入った”視点なのです。
人は好んでそれを行います。
あなたは、怒りや悲しみや苦しみなど好んでいない、そのようなものは求めていないと反論するでしょう。
しかし、あなたが好んでおり、求めているのです。
本当に好んでおらず、求めてもいないのであれば、そのようには行わないのです。
そのような結果を得ることもないのです。
そのように考え、そのように思い、そのように行わなければ良いのです。
しかし、あなたはいつまでも怒り、いつまでも悲しみ、いつまでも苦しみます。
なぜでしょう?
それは、あなたが自ら好き好んで行っているからに他ならないのです。
人生はあなたが自ら決めることができます。
誰も、あなたに強制などしてはいません。
多くの人は自らの非を認めず、正当化します。
正当化するということは、自らの非を転嫁(てんか)するということです。
その結果、他人や状況や環境が”悪者”となるのです。
そして、”悪者”に対する怒りや悲しみや苦しみが続くのです。
”悪者”とは何でしょうか?
本当にそのようなものが存在するのでしょうか?
あなたにとっての”悪者”と、他人にとっての”悪者”は違います。
それは、立場によって別のものとなるのです。
両者の間に争いが存在するのは、それぞれの”悪者”が異なっているためです。
”悪者”が同じ対象であれば、両者の間に争いはないのです。
寧(むし)ろ、両者は手を取り合う仲間となるでしょう。
”わたし”はあなたに争って欲しくないのです。
怒りや悲しみや苦しみ(厳密に言えば、喜びや楽しみなどのすべての感情)に執着して欲しくはないのです。
このわがままを許してください。
厳密に言えば”悪者”というものは存在しませんが、あなたは他人と同じ”悪者”を所有する必要があります。
それは、外には存在しません。
それは、自分自身の内側に存在しているのです。
人は自分自身の歪み(未熟さ、弱さ)を”悪者”に仕立てなければならないのです。
それぞれが自分自身の中に”悪者”を持てば、互いに争うことはありません。
それぞれが自分自身の中の”悪者”を克服(許す)するために切磋(せっさ)するようになるのです。
多くの人は、誰かに教えられた一つの視点に執着します。
しかし、教えられた視点を精査することはありません。
教えられたものは無条件で正しいと思い込むのです。
純粋なのは良いことですが、無能であってはなりません。
すべての人は無知を所有しています。
それぞれが正しいと思い込んでいる正義が、それぞれに正しいとは限らないのです。
その時のその人には正しいことであっても、別の時の別の人には正しいとは言えないのです。
物事はそれほど曖昧(あいまい)なものであり、正解も間違いもないということを覚えておきましょう。
立場によって正しく、立場によって間違っているだけなのです。
そのため、あなたは視点を必要とするのです。
一つの視点では足りないのです。
出来る限りの視点を手に入れなければなりません。
”気に入っている”からといって、それに執着してはなりません。
いつまでも喜んでいてはなりません。
いつまでも楽しんでいてはなりません。
いつまでも怒っていてはなりません。
いつまでも悲しんでいてはなりません。
いつまでも苦しんでいてはならないのです。
新たな視点を手に入れ、停滞しないように努めましょう。
いつまでも同じことを繰り返している暇はないのです。
様々に努めましょう。
問題は、視点の執着から生じるということを覚えておかなければならないでしょう。

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