すべての人が本質へと向かいます。
すべての人が本質を得るのです。
本質とは、正体です。
それは、それが何であるのかを知らせます。
すべての人が、その正体を知るでしょう。
それがどのような対象であろうとも、正体を得ることができるのです。
しかしながら、それには時間が必要です。
短時間では正体を得ることができません。
それは、理解が及ばないからです。
理解が及ばないものを見極めることはできません。
その正体を得るためには、理解が及ぶ時間が必要なのです。
理解とは、研究によって実現します。
深く掘り下げることによって理解が得られるのです。
理解を得るための時間は、人によって異なります。
物事の本質を見極めるには、細心の注意が必要です。
物事を粗雑(そざつ)に研究しているのであれば、理解が深まることはありません。
本質とは小さなものなのです。
粗雑であれば見失うのです。
それは、果実の中の種子を探すようなものです。
果実の本質は種子です。
それは、果肉に比べて小さいのです。
物事の本質とは、果実の種子のように小さなものです。
果実を口に放り込んみ、舌先で種子を探し出すようなものなのです。
物事の本質を得るというのは、そのようなことなのです。
注意深く探さなければ見付かりません。
あなたが豊かさを求めているのであれば、細心の注意を以て探しましょう。
本質を得るということは、装飾(そうしょく)を引き剥がすということです。
果肉の奥に種子があります。
果皮を剥ぎ、果肉を削ぎ、ようやく種子が見付かるのです。
本質が得られるまでは、その装飾を剥がし続けなければならないのです。
長く向き合っていると、それの正体が分かります。
初めは幻想に包まれている姿も、時間を掛けて研究することによって、細部が見えてきます。
時間を掛けて研究すれば、印象は大きく変わるのです。
どのようなものも、時間を掛けて研究することによって、その本質が見えてくるのです。
その時に、それがどのような方向性や目的を持っているのかを理解することができるでしょう。
それが何であるのか?ということを知る必要があるのです。
それが何であるのか?を知らずに、どうして豊かさを得ることができるのでしょうか?
時間を掛けて研究することによって、それの真偽が証明されるのです。
それが偽物であるのならば”化けの皮”が剥がれます。
時間を掛けて研究するほど、本質に近付くのです。
あなたは、時間を掛けて研究しましょう。
どのようなものも、短時間で見極められるほど簡単ではありません。
綻(ほころ)びは小さく、気が付くのは簡単ではありません。
しかし、それが必ず出てくるのです。
”しっぽ”は必ず出てくるのです。
化けの皮は必ず剥がれるのです。
あなたは研究者でいましょう。
物事の本質を得なければなりません。
どのようなものとも出来る限り長い時間向き合うようにしましょう。
何事においても、時間を掛けて研究しなければなりません。
そうでなければ、ものの本意、本質が明らかにならないからです。
この世界においては、原因は確実に結果に結び付きます。
偽りを信じているのであれば、苦しむのは確実なのです。
それは、果肉を喜び、種子を蔑ろにするようなものです。
果肉の喜びは限定的で一瞬です。
しかし、種子の喜びは多岐に渡り、長期的です。
多くの人は偽りを信じています。
そのため、苦悩が絶えないのです。
刹那的(せつなてき)な生き方を選択してはならないでしょう。
時間を掛けて研究しなければなりません。
種子を育て、再び果実を収穫することによって本質を得なければなりません。
何事に対しても、それが何であるのか?を知りましょう。