あなたは何のために生きているのでしょうか?
	人生において何を得て、何を遺すのでしょうか?
	人生とは、何でしょうか?
	深く考えなければなりません。
	誰もが人生を生きていますが、それが何のためにあるのか?ということを考える人は少ないのです。
	人生とは何か?という問いを思い付く者は多くいますが、それを深く考える者は多くはいません。
	大抵の者が、問いの答えを諦めるのです。
	そして、別のことを考えるようになります。
	人は”人生とは何か?”という問いに対して、答えを求め続けなければなりません。
	なぜなら、それが本質であるからです。
	しかし、本質を求めることは簡単ではありません。
	誰もが本質的な問いを捨てて、目の前の事象に魅(み)せられるからです。
	そして、視野は狭まり、見解は浅はかなものとなります。
	深層から表層、内面から外面、意識から肉体・・・
	このように、本質から遠ざかるのです。
	多くの人はそれで良いと考えています。
	その時が楽しければ良いのです。
	苦悩を遠ざけ、快楽を貪(むさぼ)ることで満足を得ます。
	しかしながら、そのようなことを続けても、”人生とは何か?”という問いの答えを導き出すことはできません。
	人生が何なのか分からなければ、何が幸福であるのか?ということすら理解することはできないはずなのです。
	しかしながら、多くの人は何かしらの満足と幸福を所有しているのです。
	それは、浅はかな見解に他なりません。
	それは、思春期の頃の淡い恋心のようなものなのです。
	そこに本質はありません。
	そこには、憧れと快楽とがあるだけなのです。
	そのような表面的な見解では、他人を愛することなどできないのです。
	人生とは何でしょうか?
	”わたし”は問い続けなければなりません。
	あなたは、この問いに答えを求め続けなければならないのです。
	多くの人は人生を考察しません。
	そのため、浅はかな選択を喜ぶのです。
	多くの人は損得勘定によって選択します。
	自分にとって得となることには尽力し、損となることには手を抜きます。
	多くの人は得を欲し、損を嫌っているのです。
	あなたは自分自身に問い掛けてみましょう。
	あなたは損得勘定によって選択してはいませんか?
	損得勘定によって選択すれば、すぐに多くの得を抱えることもできるでしょう。
	しかし、それは続きません。
	それは小さなひび割れのように、あなたの気が付かない内に全体を侵食(しんしょく)するのです。
	この世界には因果の仕組みが存在しています。
	それは、均衡(きんこう)を保つために働きます。
	多くの得を取れば、均衡は崩れてしまいます。
	均衡を保つためには、多くの損が必要となるのです。
	損得勘定によって動く者は、次第に人からの信用を失います。
	人からの信用を失って、どうやって幸福を得るというのでしょう?
	他人を犠牲にしていれば、心は離れていきます。
	心が離れた人は敵となるのです。
	敵を生み出せば、争いが生じます。
	それを得だと思うでしょうか?
	浅はかな見解によって敵を生み出してはなりません。
	損得勘定などで動いてはなりません。
	得をしたと思い込んで損をしていることがあります。
	損をしたと思い込んで得をしていることがあるのです。
	あなたといて得をする人は、あなたの友となるでしょう。
	それは、畑に蒔(ま)いた種のように、何倍もの実をもたらすでしょう。
	
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