人にはそれぞれに学ばなければならないことがあります。
	その学びを終えずに、他の学びを得ることはできません。
	一つのことが出来ないのに、どうして二つのことが出来るのでしょうか?
	一つのことさえ出来ないのに、どうして二つのことを任せられるのでしょうか?
	一つのことさえ出来ない者には、一つのことが出来るまで同じことを続けさせます。
	一つのことが出来れば、二つのことを任せるのです。
	あなたも同じことを他人にするでしょう。
	あなたは、一つのことが出来なければなりません。
	認められなければ、二つのことを任せられないのです。
	覚えておかなければなりません。
	多くの人は、自分には一つのことが出来ると思い込んでいます。
	一つのことが出来るのだから、二つのことを寄越(よこ)せという主張です。
	しかし、一つのことが出来ているのであれば、あなたが頼まなくても二つのことが任されます。
	直訴(じきそ)など必要ないのです。
	その人の実力は、常に知られているのです。
	人生は、その人の実力に相応しい状況を導きます。
	人は、自分に相応しい状況において、自分に相応しい仕事をするのです。
	それ以外はありません。
	あなたの所有しているものは、それがどのようなものであれ、あなたに相応しいのです。
	しかし、多くの人はそれに不満を抱えて否定します。
	自分には、もっと相応しい場所がある。
	もっと良い仕事があると思い込んでいるのです。
	しかし、そんなものはありません。
	現状を満足に生きられない者が、どうやって他の状況に満足して生きるのでしょうか?
	現状という一つのことすら満足にこなせないのに、どうして他の状況を満足にこなすことが出来るのでしょうか?
	そこでは、また一つのことが待っているのです。
	状況を変えても、それだけではあなたの”段階”は変わらないのです。
	一つのことが出来ない段階の者が、他へ移っても、そこで同じ結果に陥るのです。
	あなたは誤解してはなりません。
	人生は状況や環境によって決まるものではないのです。
	あなたによって決まっているものなのです。
	一つのことが出来なければ、一つのことを満足させなければならないのです。
	それ以外の方法はないのです。
	安易に考えていれば、後悔することになります。
	後悔したところで、一つのことが出来ない段階が変わることはありません。
	後悔した分だけ時間の損をしているということを理解する必要があるでしょう。
	文句を言わず、弱音を吐かず、一つのことを満足させられるように努めなければなりません。
	あなたが文句と弱音に飲まれることがなければ、その段階から抜け出しているでしょう。
	そうすれば、それに相応しい状況が導かれるのです。
	あなたが望まなくても、変化は訪れます。
	あなたの成長段階に合わせた人生となるからです。
	学びを放棄すれば、階段を登ることはできません。
	階段は、一段一段登らなければならないのです。
	登りたくない者は、次の段階へ進むことができません。
	それは、同じことの繰り返しを意味しています。
	場所を変え、人を変えても同じことを繰り返すのです。
	それは、自分が変わってはいないからです。
	どこで誰といても、それは自分です。
	自分が場所や人の質を決めているのです。
	そのことを理解しなければならないのです。
	あなたはその段階で学ばなければならないのです。
	段階を変えるのが利口です。
	場所や人を変えるのは利口ではありません。
	あなたは利口に学びましょう。
	段階を変えなければ、人生が変わることがないということを理解しましょう。
	文句を言わず、弱音を吐かずに学びましょう。
	そして、一つのことが出来るようになりましょう。
	
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