人は、人生を価値のあるものにしなければなりません。
	すべての人が、人生を豊かなものとしなければならないのです。
	人生をどのようなものにするかは、人の仕事です。
	それは、自分自身の仕事であり、他人や”神”の仕事ではないのです。
	あなたは自分の人生の価値を決めることができます。
	どのように生き、どのような人生にするかを決めるのは、あなた自身であるのです。
	あなたが人生の価値を決めるためには、何に価値を見出すのか?ということを決めなければなりません。
	人は、定められた価値判断に従って集めるのです。
	人は、価値があると判断したものを求めます。
	それによって、人生が決まるのです。
	あなたの求めている価値は何ですか?
	あなたが最も大切に思うものを想像してみましょう。
	あなたはそれを得るために生きているはずです。
	人は、自らの価値判断に従って生きるのです。
	価値判断を決めているのは”自分”です。
	”自分”とは、あなたが考えている自分の姿です。
	あなたは、自分が考えている自分に相応しい価値を定めています。
	多くの人は、自分を”人間”であると考えています。
	そのため、多くの人の価値判断は、”人間”に定められます。
	多くの人は、”人間”にとって価値のあるものを欲するのです。
	”人間”にとっての価値とは、生存と繁栄です。
	そのため、世の中は生存と繁栄のために形成されるのです。
	世の中の至る所に、生存と繁栄のための可能性が整備されています。
	”人間”であれば誰であっても、世の中を豊かに生きる可能性が与えられているのです。
	多くの人は”人間”のための豊かな人生を実現するために奮闘(ふんとう)しています。
	より豊かに生存するため。
	より豊かに繁栄するため。
	そのための制度であり、夢であるのです。
	あなたは、生存を続けることによって幸福を得るのでしょうか?
	繁栄を続けることが満足なのでしょうか?
	あなたはそれ等によって、本当に満たされるのでしょうか?
	生存を求めても、肉体は必ず衰(おとろ)えます。
	死を避けることもできません。
	明日(あす)も分からないのです。
	あなたの肉体が衰え、死を目前に迎えても、それでも生存に価値を見出すのでしょうか?
	それは、繁栄にも言えることです。
	”人間”の求める生存と繁栄は、肉体が若い頃の価値であり、老人には価値とはならないのです。
	老人が生存を求めるでしょうか?
	繁栄を願うでしょうか?
	すべての老人は死を迎え、この世を去るのです。
	それは若人(わこうど)にも同じことが言えるでしょう。
	あなたが”人間”であるのならば、生存と繁栄を求めるでしょう。
	しかし、それは地に降り注ぐ雨粒のようなものです。
	それは、地に染み込んで消えるか、蒸発してなくなるのです。
	”人間”の追い求める価値は、脆(もろ)くて長続きしないものなのです。
	”人間”は、生存と繁栄のために資産を貯(たくわ)えるでしょう。
	資産を貯えるためには偽りの助けが必要です。
	偽りの助けなしに、資産を貯えることはできないのです。
	それは、金儲けとは騙(だま)し合いだからです。
	正直者が資産を貯えることはできません。
	”人間”としての価値である生存と繁栄を豊かなものにするためには、偽りを扱わなければならないのです。
	偽りを用いずに、”人間”の価値を集めることはできません。
	あなたが”人間”であるのならば、偽りを用いて価値を集めましょう。
	偽るほどに、”人間”の生存と繁栄は堅固(けんご)なものとなるでしょう。
	偽ることを嫌うのであれば、自分の姿を改めなければなりません。
	自分が何者なのか?を考えましょう。
	
0 件のコメント:
コメントを投稿