あなたの命の実感はどこにありますか?
	あなたは、何のために生きているのでしょう?
	あなたの命は何のためにあるのでしょうか?
	人は命を所有しています。
	所有している命は、与えられたのです。
	それは、全体意識によって与えられた個体意識です。
	それは、全体の一部に過ぎません。
	一部が全体を凌駕(りょうが)することはありません。
	一部は、あくまでも全体の一部に過ぎません。
	一部が全体を構成しているのです。
	あなたは、全体の一部でしかないのです。
	あなたは、全体の中の一つの命でしかありません。
	あなたは、全体の中の一人の人間でしかなのです。
	あくまで、全体の一部であるということを忘れてはなりません。
	多くの人は全体との繋がりを見失っています。
	全体と離れることはできません。
	一部は全体と繋がることによって一部であるからです。
	全体との繋がりが薄い者は、使命を忘れてしまいます。
	一部は全体のために存在し、全体は一部のために存在する相互関係にあるにも関わらず、そのことを忘れて”荒廃(こうはい)”するのです。
	枝から離れた果実は、地に落ちて腐敗します。
	枝に繋がっている時には、腐敗することはないのです。
	離れることによって腐敗するのです。
	全体を離れた一部は、地に落ちた果実のように腐敗を始めます。
	使命を忘れ、全体を離れた一部の人間の荒廃は避けられません。
	全体のために貢献することのない人間は、苦悩するのです。
	自分勝手に生きたところで、幸福を実現することはできません。
	しかし、これは全体主義でもなければ、社会主義としての思想でもありません。
	誰もが自由に、それぞれの役割に専念し、それぞれの形によって全体に貢献することを求めているのです。
	全体的でもあり、個人的でもあることが求められているのです。
	一部の充実によって、全体の充実を図ります。
	全体のために一部を犠牲にするということではありません。
	勘違いしてはなりません。
	これは理想論ではありません。
	すべての人が自分の人生を生きれば良いのです。
	常識に制限されることなく、命を実感して生きるのです。
	あなたは、命を実感したことがありますか?
	命を実感していますか?
	あなたは生きていると言えるでしょうか?
	命を実感していないという人は、物足りなさを感じているでしょう。
	それは、自分を犠牲にした人生と言えるのです。
	すべての人が命を実感して生きることができます。
	すべての人が命を実感して生きなければならないのです。
	不足や不満の中に生きてはならないのです。
	仕方ないと諦めてはなりません。
	あなたは自分の人生に、自分の命に挑戦しましょう。
	本当にこのままで良いのか?ということを考えましょう。
	あなたは何のために生まれたのですか?
	あなたはそのような人生を生きるために生まれたのですか?
	満足している人はそのままを続ければ良いのです。
	しかし、不足や不満を覚えている人には、改善の余地があるということを覚えておかなければならないでしょう。
	あなたが変わらなければ、命の実感を得ることはできません。
	あなたは変わることができるのです。
	気持ちを切り替えるだけです。
	考え方を変えるのです。
	状況や環境や人付き合いを変える必要はありません。
	その場で、自分を変えるのです。
	命の実感が得られるまで、自分を変え続けましょう。
	
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