あなたは、相手が本当に救われる道を探さなければなりません。
相手が本当に救われることをしなければなりません。
多くの人は自分を中心とした視点によって物事を判断します。
主観から離れられないのです。
相手を助けようと試みても、主観による助言も助力も、相手のためにはなりません。
それは、独り善(よ)がりを押し付けるだけに過ぎません。
自分勝手に相手を助けることはできません
なぜなら、相手が助かったと思うことが成果であるからです。
あなたが助けたと思い込むことには何の意味もありません。
相手があなたに助けられたと思わなければならないのです。
成果は相手が教えてくれるのです。
自分で決めることなどではないのです。
そのため、主観による助言も助力も何の役にも立ちません。
しかし、多くの人がそれで良いと考えているのです。
自己満足は身を滅ぼします。
それは、実質ではないからです。
壊れた箇所を修理したと自己満足に浸っているのであれば、事故に遭(あ)うのです。
壊れた箇所が修理できたのか?ということは、試してみて、同じ状態が導かれないことを確認する必要があるのです。
結果によって理解するのです。
結果が出る前に、どうして満足することができるのでしょうか?
相手を助けていないのに、どうして助けたと考えるのでしょうか?
親は子どもに良い教育を施したと自負します。
なぜでしょうか?
子どもにそう言われたのでしょうか?
子どもが自発的に主張するのであれば、良い教育をしたのです。
子どもがそのように主張しないにもかかわらず、勝手に思い込んではならないのです。
多くの人は偽善を喜んでいます。
自分が誰かを救うことができると考えているのです。
残念ながら、それは難しいでしょう。
誰かを救うことができると考えているような者には、他人を救うことはできません。
それは、独り善がりに過ぎないからです。
あなたには、誰一人として救うことはできません。
あなたにできることと言えば、客観視によって、他人の先を知らせることだけです。
あなたに救うことができるのは自分だけです。
それは、すべての人に言えることなのです。
人は、自分以外を救うことができないのです。
あなたが誰かを救いたければ、客観によって助言し、助力しましょう。
人は主観が強い傾向にあります。
そのため、自分の問題となると視野を失うのです。
その時に、客観を持ち込むことができるのが他人なのです。
客観は先を見ることができる力です。
主観によって視野を狭め、問題を抱えている人には、客観によって先の可能性を示すことが有効的です。
あなたはその人よりも、一つも二つも先を読みましょう。
問題を抱えている人は推測を忘れています。
そのため、可能性を見失っているのです。
ただ、それだけです。
客観によって推測し、可能性を見出すことができれば、問題は解決するのです。
難しいことではありません。
自分の力によって、自分を救うことができるのです。
本当に相手のためになることは何でしょうか?
相手が本当に救われる道を探しましょう。
相手のために探しましょう。
自分のために探してはなりません。
それは、偽善の道であり、苦悩を導く道です。
相手のために助言し、助力しましょう。
相手のためにそうするのです。
独り善がりを喜んではなりません。
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