人は、誰もが気付かなければなりません。
	
	その方法に可能性が無ければ、改めなければならないのです。
	人生における人の目的は成長です。
	成長とは豊かさであり、可能性の継続なのです。
	人は、人生において可能性を見出し続けなければならないのです。
	しかし、可能性を見出し続けることは簡単ではありません。
	なぜなら、人は弱いからです。
	弱さによって様々な誘惑(ゆうわく)に道を迷い、可能性を見出し続けることが困難となってしまうのです。
	そのため、人には”補助”が与えられます。
	補助によって、道に迷ったとしても可能性を見出し続けることができるのです。
	人に与えられる補助とは”苦しみ”です。
	人は苦しみによって道を見出します。
	それは、可能性という希望の光なのです。
	多くの人は暗闇に落ち込み、道(可能性)を見失います。
	それは、弱さによって真っ直ぐに歩むことができないからです。
	暗闇の中では足元も覚束(おぼつか)ず、可能性を見出すことは困難であるのです。
	しかしながら、不思議なことではありますが、人は自らが暗闇の中に歩んでいることに気が付きません。
	そのため、暗闇の中を歩き続けることになるのです。
	暗闇の中を歩き続けることは、道に迷い続けるということであり、目的地に辿り着くことはできません。
	どれだけ暗闇の中を歩き続けても、そこには堂々巡りが待っているだけなのです。
	進んでいるつもりでも、進んではいません。
	そこには、錯覚が生じるのです。
	多くの人は錯覚しています。
	そのため、自分の歩んだ道を根拠もなく誇りに思っています。
	しかしながら、多くの人はいつかは錯覚に惑わされていることに気が付くのです。
	人が錯覚に気が付く時には、その傍(かたわ)らに苦しみが寄り添っているでしょう。
	苦しみはあなたを暗闇から救い出すために寄り添うのです。
	苦しみの助けによって、人は錯覚から目覚めることができるのです。
	あなたの人生は本当に良いものなのでしょうか?
	あなたが苦しみを否定し、拒絶しているのであれば、残念ながら良い人生ではありません。
	苦しみを嫌っているのであれば、暗闇の中を歩き続けている状態であるのです。
	錯覚の幸福に酔い痴(し)れることが、良い人生なのでしょうか?
	あなたは、その幸福が錯覚ではないと証明することができますか?
	多くの人は一時(いっとき)の幸福に執着しています。
	そして、その幸福を損なうことを恐れています。
	壊れてしまう幸福ならば錯覚です。
	錯覚の幸福を損なう時、傍(かたわ)らには苦しみが寄り添うでしょう。
	その時に、あなたは錯覚に気が付き、暗闇の中に差し込む希望の光に気が付くのです。
	苦しみの助けが無ければ、決して気が付くことはありません。
	暗闇の中で零(こぼ)れ落ちた錯覚の幸福を、そこにありもしないのに探し続けることになるのです。
	それが虚しいことは簡単に理解することができるでしょう。
	しかし、暗闇の中では簡単ではないと理解しなければなりません。
	人は弱さを抱えています。
	誰一人として、強い者はいません。
	誰もが暗闇の中を歩み、錯覚の幸福に満足を覚えています。
	しかし、必ず錯覚に気が付く時がやってくるのです。
	それは、苦しみがあなたを助けるためにやってくるからです。
	苦しみを敵としてはなりません。
	苦しみがなければ、あなたが道を進むことはできないのです。
	苦しみが多いほど、良い人生となるでしょう。
	それは、道に戻ることができるからです。
	苦しみの助けを拒否してはなりません。
	苦しみがあなたを助けるのです。
	錯覚してはなりません。
	暗闇の中では、正しく理解することなどできないのです。
	どうして、自分を信じることができるのですか?
	暗闇の中において信じることができるのは光のみです。
	苦しみは希望の光です。
	そのことを忘れてはなりません。
	
0 件のコメント:
コメントを投稿