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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年6月14日火曜日

希望の光

人は、誰もが気付かなければなりません。
その方法に可能性が無ければ、改めなければならないのです。
人生における人の目的は成長です。
成長とは豊かさであり、可能性の継続なのです。
人は、人生において可能性を見出し続けなければならないのです。
しかし、可能性を見出し続けることは簡単ではありません。
なぜなら、人は弱いからです。
弱さによって様々な誘惑(ゆうわく)に道を迷い、可能性を見出し続けることが困難となってしまうのです。
そのため、人には”補助”が与えられます。
補助によって、道に迷ったとしても可能性を見出し続けることができるのです。
人に与えられる補助とは”苦しみ”です。
人は苦しみによって道を見出します。
それは、可能性という希望の光なのです。
多くの人は暗闇に落ち込み、道(可能性)を見失います。
それは、弱さによって真っ直ぐに歩むことができないからです。
暗闇の中では足元も覚束(おぼつか)ず、可能性を見出すことは困難であるのです。
しかしながら、不思議なことではありますが、人は自らが暗闇の中に歩んでいることに気が付きません。
そのため、暗闇の中を歩き続けることになるのです。
暗闇の中を歩き続けることは、道に迷い続けるということであり、目的地に辿り着くことはできません。
どれだけ暗闇の中を歩き続けても、そこには堂々巡りが待っているだけなのです。
進んでいるつもりでも、進んではいません。
そこには、錯覚が生じるのです。
多くの人は錯覚しています。
そのため、自分の歩んだ道を根拠もなく誇りに思っています。
しかしながら、多くの人はいつかは錯覚に惑わされていることに気が付くのです。
人が錯覚に気が付く時には、その傍(かたわ)らに苦しみが寄り添っているでしょう。
苦しみはあなたを暗闇から救い出すために寄り添うのです。
苦しみの助けによって、人は錯覚から目覚めることができるのです。
あなたの人生は本当に良いものなのでしょうか?
あなたが苦しみを否定し、拒絶しているのであれば、残念ながら良い人生ではありません。
苦しみを嫌っているのであれば、暗闇の中を歩き続けている状態であるのです。
錯覚の幸福に酔い痴(し)れることが、良い人生なのでしょうか?
あなたは、その幸福が錯覚ではないと証明することができますか?
多くの人は一時(いっとき)の幸福に執着しています。
そして、その幸福を損なうことを恐れています。
壊れてしまう幸福ならば錯覚です。
錯覚の幸福を損なう時、傍(かたわ)らには苦しみが寄り添うでしょう。
その時に、あなたは錯覚に気が付き、暗闇の中に差し込む希望の光に気が付くのです。
苦しみの助けが無ければ、決して気が付くことはありません。
暗闇の中で零(こぼ)れ落ちた錯覚の幸福を、そこにありもしないのに探し続けることになるのです。
それが虚しいことは簡単に理解することができるでしょう。
しかし、暗闇の中では簡単ではないと理解しなければなりません。
人は弱さを抱えています。
誰一人として、強い者はいません。
誰もが暗闇の中を歩み、錯覚の幸福に満足を覚えています。
しかし、必ず錯覚に気が付く時がやってくるのです。
それは、苦しみがあなたを助けるためにやってくるからです。
苦しみを敵としてはなりません。
苦しみがなければ、あなたが道を進むことはできないのです。
苦しみが多いほど、良い人生となるでしょう。
それは、道に戻ることができるからです。
苦しみの助けを拒否してはなりません。
苦しみがあなたを助けるのです。
錯覚してはなりません。
暗闇の中では、正しく理解することなどできないのです。
どうして、自分を信じることができるのですか?
暗闇の中において信じることができるのは光のみです。
苦しみは希望の光です。
そのことを忘れてはなりません。



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